景観裁判は分水嶺を超えた
昼夜を分かたず一滴一滴とグラスにしたたり落ちた水滴が、やがて表面張力で盛り上がり、遂には耐えきれなくなってどっと溢れ出る−−−。昨年暮れに下された国立マンション裁判(東京地裁民事訴訟)の判決文を読んだとき、そんな鮮烈な印象にとらわれた。「分水嶺」という言葉があるが、景観裁判は21世紀になって漸く分水嶺を越え、流れの向きを決定的に変えたように思える。今後の逆流もあり、安易な予断は許されないとの声もある。だが建築界にとっては衝撃的な出来事であったにしても、もはや時代の流れは止められず、歴史の審判は下ったというべきであろう。筆者は、この画期的な判決を引き出した原告の国立市民、原告を励ましつづけた上原市長そして献身的な弁護活動を続けてきた弁護団や参考人各位に心からの敬意を表したい。なお、文中の引用は全て判決文である。

金科玉条でなくなった建築基準法
それにしても、判決要旨は明快であり画期的である。本件の主な争点は、(1)本件建物が建築基準法に違反するか否か、(2)景観に権利性が認められるか否か、(3)原告らに受忍限度を超
える日照被害、景観被害その他の被害があるか否か、の3点である。ここでは紙幅の制約から、主として(1)(2)について判決内容(一部)について若干の私見を述べようと思う。
本判決の第1の意義は、あらゆる建築行為の準拠法である建築基準法に関して、その基本性格と運用についてはじめて本格的な司法判断を示したことである。周知の如く、最大容積・最大利益を追求するデべロッパーやマンション業者は、これまでは建築基準法上の「合法性」を楯に周辺住民や地元自治体の声を無視して建設を強行してきた。いわゆる「金科玉条」としての建築基準法の行使である。本件においても、デべロッパーは20メートルの高さ制限を規定した国立市建築条例の改正直前に駆け込み申請を行って緊急着工し、建築基準法をクリアーしているという理由で43.65メートルの高層マンションを強行建設した。
これに対して判決は、本件建物は改正条例の適用を受けず、建築基準法に違反する建物ではないと認めながら、「しかしながら、建築基準法は、国民の生命、健康及び財産を保護するための建築物の構造等に関する『最低の基準』(同法1条)にすぎないから、本件建物が同法上の違法建築物に当たらないからといって、その適法性から直ちに私法上の適法性が導かれるものではなく、本件建物の建築により他人に与える被害と権利侵害の程度が大きく、これが受忍限度を超えるものであれば、建築基準法上適法とされる財産権の行使であっても、私法上違法と評価されることがある。」とした。
中曾根内閣の「アーバン・ルネッサンス」政策に始まり、小泉内閣の「都市再生」政策に至るまで(両政策は名前まで酷似している)、建築基準法の歴史は規制緩和の歴史であった。国民の生命・健康・財産をまもる「最低の基準」が止めどもなく切り下げられてきた。この「バナナの叩き売り」に漸く歯止めがかかったのである。

能動的概念としての景観利益
国立マンション判決の第2の意義は、歴史的にすぐれた景観(自然景観、歴史景観、都市景観など)が存在し、近隣周辺住民や諸団体が共同してこれを守り享受しており、かつ社会的にもこのことが広く承認されている現実があれば、その景観利益に私法上の権利性を認め、日照権や眺望権と同じく一定要件の下で法的保護に値するとしたことである。
景観破壊とりわけマンション建設にともなう景観破壊の著しい特徴は、マンション業者が周辺一帯のすぐれた環境を食い物にして(破壊しながら)、私的利益だけを追求しようとするその際立った反社会性にある。本判決においても、「本件土地に高層建築物を建てることによりそれまで維持されていた本件景観が破壊されることを十分認識しながら、自らは、本件景観の美しさを最大限にアピールし、本件景観を前面に押し出して本件マンションを販売したことは、いかに私企業といえども、社会的使命を忘れて自己の利益の追求のみに走る行為であるとの避難を免れない。」とデべロッパーは厳しく指弾されている。
その上で、「特定の地域内において、当該地域内の地権者らによる土地利用の自己規制の継続により、相当の期間、ある特定の人工的な景観が保全され、社会通念上もその特定の景観が良好なものと認められ、地権者らの所有する土地に付加価値を生み出した場合には、地権者らは、その土地所有権から派生するものとして、形成された良好な景観を自ら維持する義務を負うとともにその維持を相互に求める利益(以下『景観利益』という)を有するに至ったと解すべきであり、この景観利益は法的保護に値し、これを侵害する行為は、一定の場合には不当行為に該当すると解すべきである。」との判決が下されたのである。
判決もいうように、都市景観は、即地的に与えられた自然景観の受動的な享受などとは異なり、地権者や住民が相互に自己犠牲を伴う長期間の継続的な努力によって自ら作り出し、自らこれを享受するという住民の能動性・主体性にこそその特殊性がある。したがって都市景観を守るためには、地域住民は自らの財産権の自由な行使を自制する負担を負う反面、他の地権者らに対して同様の負担を求めることができなくてはならない。全国一律に適用される「最低基準」の建築基準法に基づき、地域住民の能動的・主体的努力によって築き上げられてきた都市景観を「合法」的に破壊することは許されないのである。

「部分撤去」の意味するもの
国立マンション判決の第3の意義は、「よって、本件棟のうち、地盤面から高さ20メートルを超える部分については、その撤去を命じる必要がある。」と完成後の建物の一部撤去を認めたこと
である。
周知の如くマンション紛争の最終結果は、往々にして周辺住民の泣き寝入りか金銭上の妥協に終わる場合が多い。このことが関係業界をして無理押しや強行姿勢の背景となっており、住民側のあきらめにも通じていた。本件のデべロッパーも、「本件土地に大規模な高層マンションを建設しようとすれば、近隣住民から強い反対を受け、また、行政からも指導を受けることが必至であることを十分認識していながら、行政指導には法的な強制力がなく、公法上の高さ規制がない以上、近隣住民がいかに強固に反対しようとも、これを押し切って建築を強行してしまえば、何ら咎められる筋合いはないとの経営判断のもとに、本件土地を購入し本件建物を建築した」との文字通り問答無用の姿勢に終始した。
これに対して本判決は、「本件建物による景観利益破壊の程度を総合考慮すると、本件建物のうち、少なくとも、大学通りに面した本件棟について高さ20メートルを超える部分を撤去しない限り、同原告らを含む関係地権者らがこれまで形成し維持してきた景観利益に対して受忍限度を超える侵害が持続し続けることになり、金銭賠償の方法によりその被害を救済することはできないというべきである。」として金銭賠償を除け、部分撤去という「建築的解決」を命じた。この判決は、建築行為のもたらす環境への影響を建築行為自体によって是正すべきであることを明確にした上で、当該マンション業者はもとより建築界に対する社会的責任を喚起したものといえよう。
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