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| 分水嶺を超えた景観紛争とまちづくり |
龍谷大学法学部教授
広 原 盛 明 |
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6月末に「住み続けたい京都を考えるシンポジウム」が、筆者をコーディネーターにして京都市内で開かれた。パネリストは、国立市市長の上原公子、「豊郷小学校の歴史と未来を考える会」代表の本田清春、「姉小路界隈を考える会」事務局長の谷口親平の三氏。開催主旨は、京都市内で猛威を振う高層マンションラッシュにどう歯止めをかけるか、京都のすぐれた歴史的都市景観を如何にまもるかである。
周知の如く、史跡名勝が集積する京都の東山・北山・西山一帯の山麓地域は歴史的風土保存区域ならびに風致地区に指定され、建築物に対する厳しい高さ・建ぺい率規制が実施されている。ところが中心市街地とりわけ「田の字地区」と称される都心地区は建築基準法上の「商業地域」に指定
され、建築物の高さは45メートル、容積率は700パーセントまでが可能である。だから市内一円の高さ制限がここ都心地区だけは「青天井」になっていて、高層マンションの傍若無人な建設ラッシュが続いているというわけだ。
このような用途地区指定及び建築制限が罷り通ってきた背景には、都心地区は高層建築でなければならないという「近代都市計画神話」、そして都市計画法や建築基準法は全国一律に実施しなければならないという「中央集権主義」の著しい浸透がある。つまりどのような歴史と背景を持った都市であれ、都市計画や建築規制は国の指示に基づいて実施されなければならず、その都市の規模や個性に合わせて用途地域や建築規制を個々に決めることなど論外だとされてきたのである。その結果、都市計画が進展するほど都市の画一化が進み、どこの駅に降りても、どこの都心を歩いても、全国で同じような景観に出会うことになってしまった。まさに「制服の都市計画」である。
全体主義国家なら話しは別だが、本来都市は人間と同じように個性が必要だ。というよりも、人間の生活空間としての都市は本来的に個性的でなければならないのである。衣服が人間の自己実現・自己表現のかけがいのない手段であるように、都市計画や建築デザインは都市の個性を育て表現する上で不可欠のものである。自分たちの街はなぜかくも面白くないのか、なぜ住み続けたいとする魅力に乏しいのか、人々はいまやっとそのことを本格的に考えはじめたようだ。
会場では、上原市長が高さ20メートル超の高層マンション上階の撤去を命じた東京地裁判決の意義とそれを引き出した国立市の住民運動の歴史とパワーを紹介し、本田代表が郷土を愛する経済人の篤志とヴォーリスの名建築で知られる豊郷小学校を守った地元住民の身体を張った闘いを述べ、谷口事務局長が京都の都心2ヘクタールにわたって地権者97名が建築物の高さを20メートル以下に抑える建築協定を結んで街の風格と伝統を守った粘り強い努力を語った。豊郷では、中学校の生徒たちが校舎の窓に鈴なりになって反対運動のデモに拍手を送り、小学校の児童たちはデモ隊の後ろを手を叩きながら一緒に行進したという。熱気溢れるパネリストの話し振りは聴衆に強い感銘と勇気を与え、会場は拍手と歓声と感動に包まれた。
かって、歴史的建築物や景観をまもり高層建築物やマンションに反対する市民・住民運動は、都市計画を推進しようとする行政の目には「妨害行為」としか映らなかった。最大容積・最大利益を追求するデべロッパーやマンション業者は、建築基準法の「合法性」を楯に周辺住民や地元自治体の声を無視して建設を強行してきた。だが、国立マンション訴訟判決は、「しかしながら、建築基準法は、国民の生命、健康及び財産を保護するための建築物の構造等に関する『最低の基準』(同法1条)にすぎないから、本件建物が同法上の違法建築物に当たらないからといって、その適法性から直ちに私法上の適法性が導かれるものではなく、本件建物の建築により他人に与える被害と権利侵害の程度が大きく、これが受忍限度を超えるものであれば、建築基準法上適法とされる財産権の行使であっても、私法上違法と評価されることがある。」として、建築基準法の画一的運用に歯止めをかけたのである。
また、歴史的にすぐれた景観(自然景観、歴史景観、都市景観など)が存在し、近隣周辺住民や諸団体が共同してこれを守り享受しており、かつ社会的にもこのことが広く承認されている現実があれば、その景観利益に私法上の権利性を認め、日照権や眺望権と同じく一定要件の下で法的保護に値することを認めた。「分水嶺」という言葉があるが、景観紛争は21世紀になって漸く分水嶺を越え、流れの向きを決定的に変えたように思える。都市の歴史的景観を守る市民・住民運動は、いまや個性的な都市計画とまちづくりの存在証明となったのである。
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