広 原 盛 明

  昨年度に長年の懸案である都市景観形成基本計画が策定され、今年になって大規模建築物の指導要綱も実施に移されるなど、宇治市での美しいまちづくりへの第一歩がやっと始まったところへ、まるで狙い済ましたかのように宇治橋通りで高層マンション建設計画が三たび持ち上がった。恐れていた事態が思いの外早く到来したのである。宇治・妙楽マンション問題だ。

  一般にどれだけ理解されているか知らないが、専門家の間では、自治体条例に基づく都市景観形成計画は「きわめて実行力の乏しい計画」「強制力のない計画」として通っている。地方自治体の景観条例が国の法律に根拠を持たない自主条例(任意条例)である以上、景観計画の趣旨に反するどれだけ悪質な景観破壊行為に対しても有効な法的・行政的措置がとれないからだ。だから、このような抜け穴だらけの景観行政に失望した全国各地のまちづくり団体や地域住民組織は、美しい景観・環境をまもるためには「景観訴訟」という非常手段に訴えてでも景観破壊行為(業者)と闘う他はなかった。私が宇治市の都市景観審議会への参加を打診されたときに真先に考えたことは、このような無力な審議会が果して美しいまちづくりを担うことができるかということだった。でも、宇治市は自分が若い頃に住んでいた地域(五ケ庄京大官舎)であり、また現在も休日などにはよく出かける散歩場所(宇治橋から大吉山・自然公園・天ケ瀬ダムを経由して宇治橋に戻ってくるコース)でもあるので、少しでも協力できることがあればと思って引き受けた。

  都市の景観問題はすぐれて文化的な性格を有する問題だ。人間の生命や健康に直接的な被害を与えるような公害や交通事故などの深刻な都市問題とは違って、美しい景観に恵まれないからといって人間は今日明日に死ぬようなことはない。「花より団子」という諺があるが、景観はどちらかといえば「花」に近い性格の問題だ。団子がなければ人は飢えるが、花がなくても飢えはしない。にもかかわらず、私たちはなぜいまかくも景観問題にこだわるのか。それは、21世紀のまちづくりが「花も団子も」必要とする段階に到達したからだ。宇治市の場合でいえば、京都市のベッドタウンとしてとにかく宅地開発をすればよいといった量的拡大の時代から、魅惑的な郊外都市の形成すなわち「景観文化都市」として高度の熟成が求められる質的充実の時代に入ったのである。

  ただ残念なことに、このような時代変化の風を宇治市の人たちがすべて共有しているわけではない。議会や当局そして住民内部においてもむしろ少数派に属しているのが現実だ。世界遺産を守るための先進的な市民運動ですら、なんだか小うるさい存在として疎まれるような状況が一般的なのである。そんな空気の中でいったい「美しいまちづくり」など果して議論ができるのか。また出来上がった景観計画は市民権を持ちうるのか。

  逆説的な言い方になるようだが、私は宇治市がそのような現状にあるからこそ景観審議会の仕事を引き受けた。宇治市にとって美しい都市景観がどれだけ大切な存在であり、宇治市のまちづくりの生命線であるかを、審議会の議論を通して市民に情報発信しようと考えたのである。折しも幾つかの市民団体から審議会の公開要求があった。審議会メンバーと同じく資料を配布してほしいとの要望も出された。また傍聴者にも発言を認めるべきだと意見も出てきた。市民が美しいまちづくりや都市景観の重要性を自分のこととして理解するには、まず情報が公開され、次に政策形成過程や計画策定過程への参加が不可欠だ。審議会メンバーに諮ったところ積極的な賛成が得られた。また担当事務局の姿勢も驚くほど柔軟だった。

  その後、私は一身上の都合で辞任したが、景観形成地区指定についての具体的な住民協議など景観審議会での議論は順調に進んでいると聞いていた。その矢先の3番目の高層マンション建設問題である。聞けば、業者側は当初高さ30メートル、幅100メートルというまるで恐竜のような巨大マンションの建設計画を提示したという。そのやり方は、行政や地元の反対を見越して最初は「化け物」のような巨大な計画を出しておき、譲歩したと見せかけて若干高さは下げるが、それでも予定通りの容積(床面積)を確保しようとする悪徳業者の常套手段そのままだ。案の定、地元の反対が強いと見るや20メートルまで高さを引き下げて条例や要綱に基づく指導から逃れようとしているらしい。しかし、アドバルーンを上げての高さ実験では平等院からの景観破壊はもとより、地元周辺の住環境にとっても多大の悪影響を与えることが判明したという。

  私が注目するのは、今回の高層マンション建設計画に対する住民や議会の対応ぶりだ。地元紙の『洛南タイムス』によれば、地元町内会が総出でマンション対策協議会を設置し、会合に参加した各派市会議員も「党派を超えて」対応することを表明したという。また市長・市議会・都市景観審議会に対しても、住民は「宇治市百年の大計のためにも、また地域固有の歴史・文化の継承のためにも、周辺の環境に配慮した毅然たる行政指導・行政措置」を求めている。まさに景観審議会で議論してきたそのことが、いま住民の行動を通して実践されようとしているのである。

  このような状況の下で、私はこの6月11日に成立し、同月18日に公布された「景観法」の速やかな適用を提案したい。景観法は、第2条で「良好な景観は、地域の固有の特性と密接に関連するものであることにかんがみ、地域住民の意向を踏まえ、それぞれの地域の個性及び特性の伸長に資するよう、その多様な形成が図られなければならない」など5つの基本理念をうたい、第3条で「地方公共団体は、基本理念にのっとり、良好な景観の形成の促進に関し、国との適切な役割分担を踏まえて、その区分の自然的社会的諸条件に応じた施策を策定し、及び実施する責務を有する」と自治体の責任を明らかにし、第61条から71条にかけて新しく「景観地区に関する都市計画」を規定している。つまり、市町村は良好な景観の形成を図るため都市計画の地域地区として「景観地区」を決定し、建築物の形態意匠、高さ、敷地面積等を規制することができるとする画期的な内容が盛り込まれたのである。そして建築物の形態意匠は市町村長の認定によって、その他の規制については建築基準法に基づく建築確認によって担保されることになった。要するに、宇治市が当該地域を「景観地区」に都市計画決定すれば、法的拘束力のあるマンション規制・建築規制が形態意匠を含めて可能になったのだ。これはまさしく地元住民が求めている要望事項そのものではないか。

  私は京都市長選において、党利党派を超えた政策マニフェスト「はんなり京都」を提起し、脱高層マンションを訴えた。このときと同じ事態がいま宇治市で出現している。宇治橋通りの高層マンション建設計画へ市長がどのように対応するかは、これからの宇治市の美しいまちづくりにとっての最大の試金石だといえる。ときあたかも宇治市長選も真近に迫っている。市長は自らの政治生命をかけてマンション計画にストップをかけ、直ちに都市計画審議会を開催して(都市景観審議会ではない)、当該地域の「景観地区」指定を諮問すべきだ。この事態に党利党派を超えて対処することは、文字通り市民・住民の代表である市長の責務であり、そうでなければ宇治市の市長としての資格はなきに等しい。速やかな決断が求められる。

  なお本稿は、『くらしと自治・京都』293号、社団法人京都自治体問題研究所ニュース、2004年9月25日発行の連載「美しきマンスリー」に掲載する予定の原稿です。