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本稿が読者諸氏の目に触れる頃には、もう一連のプロジェクトが終わって日本に帰国しているかも知れない。私のホームページ(http://www.hirohara.com/)の中の「つれづれ日記」でも書いたように、この8月9日から26日までの間、日中の「まちづくり交流」のため、京都コミュニティ・デザイン・リーグ(京都CDL:京都近辺の建築・住居・デザイン・都市計画系の各大学研究室から構成)の学生たちと一緒に中国の古都・西安を訪問する。10年程前に京都府大・京都大に留学していた段錬需君(西安工程科技学院副教授)と同級生の小林大祐君(京都文教大学講師)が中心になって企画し、私たちを招請してくれることになったのだ。中国側は、西安工程科技学院・長安大学・西安建築科技大学の3大学がホスト役になり、日中の学生約60人が混成チームを編成して、西安市街地のフィールド調査とまちづくり提案をするというものだ。
このような日中学生の「まちづくり交流プロジェクト」が実現した背景には、いま西安と周辺農村が直面している都市居住環境整備の立ち遅れと歴史的市街地の破壊という二重の危機がある。中国の改革開放政策は1978年末から始まり、今年で四半世紀を数える。この改革開放政策は「総設計師」といわれたケ小平総書記によって指導されたもので、地域開発政策は「先富論」(条件のある地域や個人が先行して豊かになり、後発地域を支援する)という開発イデオロギーに基づいて行われた。経済全体の発展を加速するためには一定の不平等は容認すべきだとする考え方であり、同氏の「黒猫でも白猫でも鼠を獲るのがよい猫だ」という考え方と軌を一にするものだ。それからというものは開発投資が東部沿岸部に集中し、国民1人当たりの所得格差は東部を100とすると西部内陸部は55(1978年)から41(2000年)へと拡大した。
しかしこのような効率至上主義の地域開発政策は、その後に生じた数々の大事件を契機にして修正を余儀なくされる。第1が1997年の東南アジア金融危機である。東部沿岸部に集中立地した輸出型外資系企業偏重の経済政策が国際金融投機資本(ヘッジファンド)の金融操作によって大打撃を受け、中国経済の持続的発展のためには内陸部の内需拡大政策が不可欠との認識が生まれた。第2が1998年の長江大洪水、99年の黄砂大発生など深刻な環境破壊に基づく自然災害の頻発である。広大な内陸部の国土保全・災害防止のための予算が継続的に軽視され続けた結果、「天災」という名の自然災害が巨額の経済損失をもたらすようになった。そして第3が政治危機である。拡大する一方の地域間格差をこのまま放置すると、中国全体の支配体制が揺るぎかねないという危機意識が生じた。中国経済に存在する格差のうち最大問題は都市・農村格差であり、東部の2:1に対して西部内陸部では3:1に達する。とりわけ西部は全国の少数民族の7割以上が集中しており、農民と少数民族の生活水準を向上させることは、社会的安定維持のために不可欠なのだ。
かくして1999年半ばから、江沢民総書記によって「西部大開発」政策が打ち出される(アメリカのニューディール政策を参考にしている)。そして2001年から始まった「第10次国民経済・社会発展5カ年計画要綱」においては、(1)インフラ建設、(2)生態環境保護、(3)農業基盤強化、(4)工業構造調整、(5)観光業振興、(6)科学技術・教育発展の6大重点政策が掲げられ、一斉に「開発ブーム」が始まった。
いうまでもなく西安は、京都平安京のモデルになった長安の都であり、京都の姉妹都市だ。紀元前11世紀から10世紀初頭まで2千年にわたって都が置かれ、シルクードの起点として東西文明・交易の結節点となり、秦の始皇帝をはじめ多くの中国王朝の舞台となった歴史文化都市である。西安は、西部内陸部の中でも中部に最も近くかつ中国有数の観光都市ということもあって、すでに開発ブームはかなり以前から始まっていた。8月1日に京都市国際交流会館で開催された国際シンポジウム「日本と中国、歴史都市の保存再生に向けて」において、「歴史都市の保存再生〜京都・西安両市を比較して」との基調講演を行った大西国太郎氏(京都造形芸術大学客員教授)は、「西安は殻だけの卵のような都市になってしまった」とその印象を語った。「殻」とは西安の旧市街地を取り巻く明代の城壁であり、これはよく保存されている。しかし「黄身」に当たる歴史的中心地区はやせ細り、「白身」の歴史的市街地はほとんど消滅しているというものだ。西安は、現在人口700万人に近い大都市だが、市街地は10数キロの城壁に囲まれた西安城址を歴史核として拡大の一途をたどっている。城壁内では超高層ビルはさすがに規制されているが、中高層ビルはすでに林立状態にあり、貴重な歴史的市街地景観はまさに「風前の灯火」なのである。
日中混成チームの学生たちがフィールドサーベイやワークショップを通してこのような西安の現状をどう把握するか、そしてどのようなまちづくりプランを提案するかが楽しみだ。両国の都市計画・まちづくり研究者や建築家も多数参加するが、お互いに「口を出さない」約束だ。ただ彼らの参考のために合同で講演会を開いたり、現場調査に付き合うことには大いに協力することになっている。帰国したら、その結末をもう一度書きたい(なお本稿は、『くらしと自治・京都』292号、社団法人京都自治体問題研究所ニュース、2004年8月25日発行)の新連載「美しきマンスリー」に掲載する予定です)。
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