11/11P
現場主義の研究者として
〜私はなぜ、すまいとまちづくりの研究を志したか〜
広 原 盛 明
<議論の要点>
* 京都の町家の位置づけについて

 高度成長期のころには、郊外に出ようというキャンペーンが行われました。まちの中で住み続ける、あるいは古い町家で住むということがダサイことで、郊外の芝生のあるショートケーキハウスに住むことがカッコイイというイデオロギーがつくられて、それとセットした形で郊外の宅地開発や住宅建設が行われていくわけです。そのころは、町家は非常にネガティブな存在として見られていました。ところが現在は、都市がもう拡張せずむしろ縮小しつつある。そのなかで、都市をどのように支えていくかというときに、とても重要な役割を果たすのが京都で言えば町家です。なぜかというと、都市のなかで住み続けるということのもつ意味が、都市が成熟する中で分かってきたのです。アメリカでもやはり五〇年代、六〇年代は高度成長期で郊外に眼が向いていたのですが、今は老人たちが都市にリターンしています。老人は車の運転ができませんし、一番の心配は犯罪です。それからもう一つは孤立しやすいコミュニティの問題・人間関係の問題です。だから都市の中で集まって住むことや、都市内居住というものの意味が見直されてきています。

 特に都市の成熟段階では、今までは等閑視されていた都市の魅力が大きなウェートを占めてきます。例えば、大阪は都市のいいところを全部壊してしまったわけですね。大阪は水の都で八百八橋のまちなのに、河の上に高速道路を通して景観を壊してしまった。それから水質に注意を払わず、道頓堀もドブ川になってしまった。それから住宅も問題があります。私の教え子でも、大阪に勤めていても絶対に京都から離れないというのがたくさんいます。どうして大阪で住まないのと聞いても、「私は京都で住みたい」といいます。この傾向はアメリカの都市では非常にはっきりしていています。知的な人たちが好むまちというイメージがはっきりしてくる。そうすると、人材を必要とする企業はその近くに行きます。産業構造が重化学工業を中心としていたときには、工場設備そのものが非常に巨大な投資を要するので、その立地がまず決まり、そこへ労働者が単身赴任で行くというライフスタイルが形成されます。ところが、産業構造が高度化して知的な部分がウェートを占めてきて、イニシアチブを発揮するとなると企業立地の様子も変わるのです。

 大阪の都市計画の最大の失敗は、高度成長時代に都市の文化を全部壊したこと、都市の自然環境を壊して重化学工業などの工業地域を作ったこと、そして高度成長時代が去ったあとのまちづくりに対応できなかったことです。

* 京都市の都市計画について

 京都市は不思議なところです。私はライフワークとして、神戸と大阪と京都の都市計画の三都物語を書こうと思っています。大阪と神戸の都市計画は極めて単純で明快です。要するに開発主義です。どんどん開発して、うまくいっていたときには問題がなかったのが、今は地獄です。土地が余って売れない。大阪の最後の賭けは二〇〇八年のオリンピックだったのですが、北京に勝てるはずもなく、今は財政の破綻状態です。

 それに比べると京都は、いろんなことを考えるのですが、一方向にバーッと行けないのです。それには、役人や財界のレベルの低さや力不足ということもありますが、市民が非常にうるさいという力関係があります。京都市民はやはりうるさいですよ。もちろんこれはいいことです。一般的に言えば、大阪では全然問題にならないマンションが京都では大問題になりますね。それは、環境はこうありたい、よい環境を守りたいと市民が強く思っているからです。そのようなまちこそ、これから生き残っていくまちだと思います。また京都の産業構造は、最近はIT関連がありますが、非常に大きいのは観光業と伝統産業です。これをどのようにまちづくりと結びつけて都市を維持していくかという産業政策・経済政策が重要です。

 いままでの観光スタイルは、いま激変しつつあります。今までは大量観光・マス観光が主流です。観光バスで職場旅行や団体旅行の一行が名所旧跡をまわり、夜は旅館でドンチャン騒ぎをやってあくる日パッと帰るというものでしたが、今はそのようなスタイルでは、若い人は全然来ません。自分たちで、あるいは自分一人で、自分の好きなところに行き、歩きながら観光したいと思っています。修学旅行も変わってきています。観光バスからタクシー分乗型にかわる。一日交通券を買ってバスや地下鉄に乗って行くように変わっています。そのようななかで、「まち」が観光の対象になってきているのです。要するに、清水寺と平安神宮と銀閣寺と金閣寺に行ってさっと帰るというものから、清水寺に行ったら二年坂、産寧坂などを歩いて、最近では少し陶芸をやっているような工房まで足を延ばす。というように、まちそのものの観光が中心になってきているのです。ナカミも普通の町屋をカフェやギャラリーに変えたり、ちょっとした小物を売る店などに変わってきているでしょう。そうすると、観光業は、ホテルと旅館と名所旧跡があったらよい、というのでは対応できません。まちが美しく、魅力的でないといけないわけです。そのようなことを京都は意識的にやってこなかったのですよ。

* 路面電車について

 今、LRTの復活運動をかなり具体的に考えています。どこかの路線で実際にやりたいと思っているのです。

 京都の市電が撤去されたときは、土木型交通計画が主流でした。経済成長は右肩上がりに伸びます。そうすると、車の発生量、交通量がさらにあがってパラレルになります。渋滞を起こさないで済むためにはこれだけの道路量がいります。現在、その道路量が何%不足しています。新しく道路をつくる、道路を広げるということが重要です。だから車をスムーズに流すためには、路面電車は邪魔ですから撤去します、というのが当時の主流の考え方でした。私たちは、京大土木の教授とまっこうから喧嘩しました。そうじゃないですよ。都市は道路のためにあるのではないのです。都市には固有の空間や環境があり、道路と道路空間とその周りの町並みというのは一体的な空間で歴史的な文化的な環境を構成しています。だから、道路を広げて町並みを全部壊したら都市はなくなってしまいますよといいました。都市というのは文化的な存在でなくてはならない。乗り物というのはA点からB点までただ短時間で行くためだけの乗り物ではなく、まちを見たり、これを眺めたりするプロセスが重要なのです。市電に乗って東山通りを行くとき、町並みを見たり、東山を見たり、本を読んだりして行く。これが京都の市電の乗り方だと言って都市文化論を展開したのですが、分かってもらえませんでした。

* まちづくりコンサルタントについて

 さまざまなコンサルタントがいますが、私たちの領域からの出身の人が非常に多いです。まちの計画を作るというのは、ある意味でシステム工学です。非常に多様な要素をある一つのシステムに従って集約したり分析したり、そして提案したりというような流れがあります。そのためには一つのことを非常に深く専門的に知っているわけではないけれども、全体を見る能力が必要です。私たちはさまざまな研究分野の人と一緒に共同研究や共同プロジェクトをしますけれども、全体として計画を総括してまとめていくという能力については私たちの分野の方が進んでいて、ほとんどまとめ役になっています。個々の専門分野をつないで全体を見るということです。これは企業で言えばゼネラル・マネージメント、役所で言えば管理機能の資質ですね。また計画では、将来的にどうなっているかを見通したり、分析したりという能力がないといけないし、それへの対応も必要です。いくつかシナリオ・ライティングをして、シナリオAの場合、Bの場合、Cの場合というように複数の計画を作り、それぞれを選択したときにはどういう結果があるから、現在の総体的なチョイスはここですよ、具体的にはこうですよ、と判断する。これは全体的なシステムを見通す独特のトレーニングや経験が必要です。

 しかしそのような能力を育てる体系的なシステムは、日本には今までありませんでした。今までは大企業のトップエリート層と役所のキャリア官僚が経験的な方法で、養成されてきただけです。現在、それ以外の組織で受け止めだしたのがシンクタンクです。三菱総研や野村総研などいわゆる銀行・証券関係の元調査部が中核になってつくられた調査分析組織です。経済アナリストが中心ですけれども、それだけではなく、例えば東大の都市工学を出た人が入るとかで、開発部門をどんどん膨らませていき、いまは巨大なシンクタンクになっています。そして、かつて役所と特定企業が独占してきた仕事を外注で取っていく。これはアメリカン・システムです。アメリカの場合はそのようなシンクタンクが非常に発達しています。日本の場合、そのようなシンクタンクのトップにいるのは、総合研究開発機構(NIRA)です。
 TOPに戻る