3.変容迫られる洛西ニュータウン
洛西ニュータウン(1969〜83年)は、高度経済成長期に開発がスタートした大阪・千里ニュータウン(1960〜69年)、名古屋・高蔵寺ニュータウン(1965〜81年)、東京・多摩ニュータウン(1966〜00年)に引き続く第1世代のニュータウンである。これら初期ニュータウン計画の事業根拠法となったのが、1963年公布の新住宅市街地開発法であった。
新住宅市街地開発法は、通産省と建設省の協議が必要となる(縄張り争いが起こりやすくて時間がかかる)職住一体型の都市開発よりも、建設省だけで進められる住宅都市開発の方が政策化しやすいという官僚的思惑のもとでつくられた法律である。また先行する千里ニュータウンをモデルにして、その計画コンセプトがほぼそのまま条文化されたという異例の計画事業法でもある。同法は読んで名のごとく、(1)人口集中の著しい市街地の周辺地域に健全な住宅市街地の開発及び住宅に困窮する国民のために居住環境の良好な住宅地の大規模供給を図ること、すなわち新しい住宅都市開発が目的であること、(2)当該区域が「住区」(1ヘクタール当たり80人から300人を基準として概ね6千人から1万人までが居住することのできる地区)を計画単位とし、各住区を結ぶ幹線道路その他の主要な公益的施設を備え、健全な住宅地として一体的に構成すること、すなわち近隣住区理論に基づく計画コンセプトを条文に明記していること、(3)施工者を地方自治体や住宅公団など政府特殊法人に限定していること、(4)計画区域用地を全面買収できる土地収容権を付与していることなど、当時の国家目標を体現したきわめてテクノラート体質の濃い計画事業法であった。新住宅市街地開発法は日本型ニュータウン法として各ニュータウンを大枠規定することになり、洛西ニュータウンもその例外ではなかった。しかしながら、大都市自治体が挙ってニュータウン開発に踏み切った背景には、当時の急迫する大都市住宅事情の深刻化があった。同時に高度経済成長政策を担うホワイトカラー労働力を確保するためには、彼らのニーズに応える水準の良好な居住環境を整備する必要があった。それに当時の激化する一方の公害問題への強い反発から、大都市住民の間では職住一体型の都市よりも広域的な職住分離を原則とする郊外住宅都市のイメージの方が大きな共感を得ていた。こうして年齢的にも階層的にも近似した若年家族の集住地として出発した成長ポイントとしての郊外型ニュータウンは、「団地族」という夫婦と子どもだけの近代家族を社会の標準世帯として認知させ、「団地生活」という戦後の新しい近代的生活様式・ライフスタイルを生み出す場となった。そこでは、都心の職場へ出勤する夫を専業主婦の妻が見送るという性別役割分業を前提とした郊外型生活様式が、戦後の新しいライフスタイルとして形成され定着した。ステインレスの流し台や水洗便所が完備され、室内が家庭電化製品に囲まれたRC構造の団地住宅、駐車場付きの近代的ショッピングセンター、そして緑ゆたかな近隣公園などに象徴されるピカピカのニァ璽織Ε鵑蓮∪験莖弯掘・暖餝很燭琉貘腟鯏世箸靴涜臈垰埆嗣韻箸蠅錣閏稠・搬欧瞭瓦譴療、世辰燭里任△襦・・実匸・碵雹丘凾タだがそれから40年有余を得た現在、ニュータウン自体もニュータウンを取り巻く環境も大きく変化した。冒頭に述べたごとく、洛西ニュータウンでも少子高齢化が進む中で人口減少傾向が露わになった。加えてここ数年のうちには団塊世代のリタイアが一斉に始まることも予測され、彼らの居場所をどう確保するかがこれからのニュータウンの大問題になろうとしている。また性別役割分業が崩れて、夫婦共働き世帯が普通になった。時代は男女共同参画社会の時代に移り、育児や家事労働など家族のライフスタイルが大きく変化する中で、子育て世代の共働き世帯にとってニュータウンは必ずしも快適な居住環境ではなくなってきたのである。
一方、洛西ニュータウンを取り巻く外部環境にも大きな変化があらわれた。マイカー交通の普及で住民の行動範囲が広域化し、スーパーやコンビニ、大型ディスカウント店などがニュータウン周辺各所に所かまわず進出するようになった。幹線道路の交通渋滞が激化し、市バスの運行ダイヤが乱れ、公共交通への信頼性が失われるような事態も発生するようになった。そして都心型マンションが単身者のみならず若年家族や高齢者家族もひきつけるようになり、遂には高度経済成長期とは逆方向の人口の都心回帰が始まった。伏見区や山科区などの居住条件の整わない郊外住宅団地では転出者が相次ぎ、空家・空地化が進んで団地の空洞化が憂慮されるようになった。かっては都心や市街地から脱出して郊外に住むのが流行だったが、いまや都心のマンションや町家に住むことが流行であり、人気を集めるようになってきたのである。
こうして大都市成長時代の申し子として生み出されたニュータウンは、いまやその歴史的使命を終えようとしているのではないか。言いかえれば、洛西ニュータウンを少子高齢社会における「サステイナブル・コミュニティ」として再生しなければならないまちづくりの時期を迎えたのである。そしてこのような時代認識を欠き、今後の対応を誤るときは、ニュータウンの「衰退サイクル」が今後不可避的に現実化することも考えられよう。