広 原 盛 明
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3.事前復興を担うまちづくり
 
  だが現実は政府や官僚の姑息な思惑をはるかに超えて先に進む。災害が忘れないうちにやってくるようになり、前の災害が終わらないうちにやってくるようになると、国が応急対策だけで後は国民に任せればよいといった(屁)理屈はもはや成り立たなくなる。災害が「天災」でなくなり、「非常時」が日常時に近づきつつあるような事態が生まれてきたのである。おかしな表現だが、最近では「事前復興」という言葉までが学会や自治体で使われるようになり、災害予防のための日常的な対策が重視されるようになってきたのである。

  この「応急救助」から「事前復興」への国民レベルの災害観・防災意識の転換はきわめて重要だ。日本の災害対策史上の歴史的転換点だといってもよい。ここで第3の論点が浮上する。日常的な「事前復興」を担う主役はいったい誰かということだ。それは国でも地方自治体でもあるまい。いうまでもなく生活者である住民・市民そのものではないか。住民主体の「安心・安全のまちづくり」として災害予防対策が取り組まれたとき、「事前復興」が住民の手でコミュニティレベルで意識的に追求されたとき、そして国や地方自治体がこれら住民主体のまちづくりに対して支援体制を組んだとき、はじめてこの課題は成功するといえるのではないか。「事前復興」というキーワードがこのような新しい時代の登場を予言していると考えるべきなのだ。

  こうした観点からみるとき、日本の都市と農山漁村を通貫する災害対策上の際立った弱点が浮かび上がってくる。それはわが国の中央集権的機構のもたらす一極集中型の国土・大都市構造の災害脆弱性であり、市町村合併の強行にともなう過疎地域の恐ろしいまでの防災力の衰退だ。阪神・淡路大震災では兵庫県・神戸市に代表される中央集権的行政機構の矛盾と脆弱性が白日の下に曝されることになった。全ての権限が県庁や市役所に集中している行政機構の下での応急救助対策は全て後手後手に回らざるを得なかった。被災者の避難所への誘導、災害救助物資やボランティアの受入れ、負傷者の搬送あるいは緊急車両の交通整理ひとつを取ってみても、災害現場に直面する市町村や区役所が裁量権限を奪われて自主的な判断能力を失った結果、職員に深刻なモラルハザードが発生して指示待ち状態が常態化したからだ。また応急仮設住宅の入居をめぐって現場を知らない官僚が画一的な高齢者優先入居にこだわった結果、被災地のコミュニティが寸断されて高齢者が孤立し孤独死が続発するといった事態も発生した。

  一方京都府北部の風水害においては、中山間地域・過疎地域の災害問題の深刻さが一段と明らかになった。それは市町村合併で広域化した地方自治体では、もはや地域防災力が衰えて災害時の応急救助さえもままならなかったという事実である。舞鶴市に合併した周辺地区では救援物資も避難勧告も円滑に届かなかったし、救助体制の全てを集落の消防団に頼る他はなかった。また首長・議会・職員のモラルハザードや公務意識の崩壊も深刻だった。広域再編によって災害現場での対応が不可能になった京都府土木事務所、京都府からの防災情報の意味を理解できずに住民に避難勧告しなかった市町村の無能・無責任体制、緊急時に役場を離れて居場所が分からなくなった首長など、その例は枚挙の暇もない。市町村合併にともなう過疎地域の社会的淘汰は、人口減少・少子高齢化に基づく地域コミュニティの崩壊、地域防災力の低下、そして凄まじいばかりの自治体行政の荒廃をもたらし、災害時には「棄民政策」のレベルにまで達していたことが判明したのである。

  こうした状況を克服し、安心・安全のまちづくりを進め、「事前復興」を追求するためには、なによりもそれを担う地域コミュニティの復活と再建が必要だ。大都市においても過疎市町村においても分権・分節のまちづくりこそが災害から住民をまもる基本用件なのだ。災害が常態化し日常化するような状況の下では、日常のまちづくりこそが最大の防災対策であり、地域の持続的発展を保障する道なのである。ハードな土木事業だけでは地域をまもれなくなった。国の危機管理体制も地域コミュニティの防災力と連動しなくては効果を発揮できなくなってきた。結局、都市や農山村をまもるのは住民・市民であり、地域コミュニティなのである。