広 原 盛 明

  実は以前からの懸案事項なのだが、早稲田大学や東京工業大学などで都市計画を教えている教授連中が「京都のまちづくりの光と影」がわかるようなところへ(夜の部も含めて)案内しろと前々から言われていた。いずれも市長選で東京から応援してくれたグループだ。喜んで引き受けないわけにはいかない。そこで考えたコースが、まず京都タワーに上ってビルの谷間に埋もれていく京都のまち全体を俯瞰し、次いで「ひと・まち交流館」でざっと京都のまちの歴史的変遷を復習してから、幾つかのポイントを這うようにしてウオッチングしようというものだ。彼らはいずれも「まち歩き大好き人間」で数時間連続で歩いても平気な連中ばかりだから、一切の乗物を使わず徹底的に歩くことにした。

  その中でも彼らがとりわけ「感銘」と「衝撃」を受けた場所を幾つか挙げよう。まず最初は東本願寺渉成園・枳殻邸。国の名勝にも指定されている京都屈指の名園なのに、一歩中に入ると河原町通りに建つ高層マンションとラブホテルが威風堂々と庭園を睥睨している。それこそ一同全員が思わず息を飲むような凄まじい光景だ。京都は宗教都市である。全国の総本山の多くが京都にある。京都の明日を考える上で、この宗教都市としての個性や環境をどのように維持していくかは欠かすことのできない戦略的課題なのである。全国的にも物見遊山的な団体観光や修学旅行が次第に衰微してくる中で、京都では精神的充足や心理的癒しを求める小グループや個人旅行が増えてきている。そのような京都で市役所や本願寺がどうしてこんな反宗教的行為を許すのか。また信心深い仏教徒がどうしてこんな事態に目をつぶっているのか。ヴァチカン宮殿の前にラブホテルが建つような事態に直面したら、ローマ市民や世界のキリスト教徒は絶対に黙っていないだろう。

  次ぎは五条楽園である。最近の若い人たちは多分知らないだろうが、売春防止法以来、火の消えたようになってしまった場所だ。でもかっての遊郭建築はいまでも立派に残っているし、お茶屋として営業を続けているところも結構ある。大正時代から昭和初期にかけて一世を風靡したカフェ建築も所々で健在だ。実は、大阪の飛田地区に「百番」という有名な料理屋があるのを皆さんは知っておられるだろうか。元は飛田地区随一の遊郭だったが料理屋として再出発したところである。建築学会や都市計画学会でも研究会の場所としてよく使っている。飛田に行ったことのない(飛田という名前も知らない)若い研究者や学生たちを連れていくと目を見張るが、いまや存在感のある歴史的建築物だ。そんな関心から五条楽園の辺り一帯を舐めるように見ていたら、何時の間にか会津小鉄組本部の前に出てしまった。気がつけば、ズラリと並んだ黒塗り高級車の前で屈強な若い衆数人が眼光鋭くわれわれ一行をウオッチしているではないか。早々に引き揚げざるを得なかった。

  それからは五条通りを経て、西大谷本廟から清水寺への「歩行者専用道路」を歩いた。歩行者専用道路とは墓地の中のかなり急な小道だ。清水寺へは自動車や観光バスに脅かされて行く他はないと思い込んでいた彼らにとって、この道は意外な空間の発見だったらしい。清水の舞台から見る京都の遠景も素晴らしいが、誰も来ない墓地から見る景観も素敵なのである。でもこの場所は、地震がきたらまずは助からない危険な空間であることも忘れてはならない。道の両側から墓石が一斉に飛びかかってくるので逃げ場がない。それでもわれわれ都市計画研究者なら死んでも本望だが、一般の方々には必ずしもお勧めするわけにはいかない。

  ところで昔は1月15日が「成人の日」だったので、それまでは何となくお正月らしい気分でいられた。お正月の松の内と成人の日がちょうど年明けの節目になっていたのである。だが最近になって成人の日が1月の第2月曜日になり、年によって日が変わるという変則きわまりない休日になった。連休にした方が休みとしては効果的であるし、成人式などの行事もやりやすいという実務的な理由に基づくものであろうが、しかし「国民の休日」をそんな安易な理由で変えてよいものか。「国民の休日」とは、国民が挙って祝う記念すべき日だ。記念すべき日なのだから「何月何日」と特定されていなければ意味がない。例えば、憲法記念日を5月の第1月曜日などとしたら、その歴史的意義がまったく失われてしまうだろう。若者の成長を祝うハレの日を並の休日にしてしまうなんて、国としての見識がないことおびただしいではないか。未来を担う新しい有権者を迎える日なのだから、元の15日に戻してキチンと祝うべきだ。

  このことと関連して思い出されるのが、郵便配達や地番整理などのために由緒ある地名を全国一斉に変えてしまった「住居表示法」の愚行である。新しい団地やニュータウンならともかく都市の歴史的地名まで簡単に変えてしまうとは、およそ都市の歴史的文化的価値に関する無知以外の何物でもない。記号化するなら郵便番号にして、地名は残せばよいのである。考えても見たい。私たちがそれぞれの固有名詞で呼ばれず、国民背番号で指名されるようになったらいったいどんな想いがするだろうか。住居表示制の画一的な実施は国民背番号制の先取りだというのが私の見解だ。だからこそ京都市民が歴史的な地名を守って住居表示の変更を許さなかったのは、世界に誇るべき偉業だと思う。どんなに不便でもどんなに長くてもやはり京都の地名が守られてよかったと、いまは誰もが思っているに違いない。大阪の友人たちが私の住所の長たらしさに閉口しながらもそういうのだから間違いないのである。

  東京の都市計画研究者が折に触れて京都へ来るのは、もはや実務的・機能的視点だけからの画一的な近代都市計画の時代が終わったと感じているからだろう。全国の都市を席捲した近代都市計画がもたらしたものは、結局は都市の遺伝子を葬り、没個性的な都市を作り出しただけだった。そしてその渦中にあった多くの都市計画研究者は、いま内心忸怩たる想いを込めて反省の巷に沈んでいる。彼らが京都へ来るのは、その心の痛みを少しでも和らげたい、癒したいと思っているからに他ならない。でも、いまの京都がそんな彼らの傷口に塩を塗るような都市になりつつあるとすれば、それはあまりにも悲しい。