3.阪神・淡路大震災復興計画からの教訓
だが、このような過密過疎問題を引き起こした地域開発政策や成長型都市計画の結末は悲惨かつ深刻だ。それは、いま大都市といわず農山村といわず日本全体を覆っている激しい少子高齢化の波と地域コミュニティの弱体化・崩壊になによりも顕著にあらわれている。阪神・淡路大震災で最も大きい被害を受けたのは、神戸市の下町、長田区(テレビで繰り返しよく報道される市街地が燃えているところ)だった。長田区は戦前からの労働者や職人のまちで、子どもが道路まで溢れているような典型的な人口密集市街地だった。それがいま、神戸市の中でも最も人口減少が激しく高齢化が著しい衰退地域に変貌してしまっている。震災後も人口は依然として8割前後の水準にしか回復せず、痛ましいことに自殺率が市内で最も高い地域となっている。
このような事態を生み出した原因の一つに、「震災復興計画」と称して強行された各種のハコモノ計画の押し付けがある。復興計画の真髄は、被災者を励まし生活再建を助けることだ。震災当時の被災者の気持ちは、たとえ「バラック」でもいいから自分たちが住んでいた地域で一刻も早く店や工場を再開したい、住むところを確保して互いに励ましあって生きていきたいというものだった。だが道路や港湾などの復旧工事には巨額の復興予算が投入される一方で、被災者の傾いた店舗や町工場への応急修理に対してはほとんど援助がなかった。被災した現場で自力で仮設住宅を建設しようとした人への資金援助も皆無だった。生活再建の要である住宅の建て替えに対しても「個人資産の形成につながるような国庫補助は不可能」という屁理屈で予算が付かなかった。またせめても近所の人たちが一緒に住みたいという公設仮設住宅への入居希望も考慮されなかった。それどころか、被災者たちは行政当局の「震災に強い市街地をつくる」という名目の都市計画決定によって、自分たちの住んでいたところから遠く離れた埋立地や山間の宅地造成地の仮設住宅に追いやられていったのである。
一方、倒壊・焼失した市街地の多くは土地区画整理事業や市街地再開発事業の計画用地として転用された。しかしその後の推移は、国・兵庫県・神戸市をはじめとする行政当局の復興の意図がいったいどこにあるのかを疑わせるような事態ばかりが露呈している。最終的には被災者は丈夫な住宅に住めるようになった。しかし避難所から仮設住宅へ、仮設住宅から復興公営住宅へと次々と転居を強制される中で次第に人間関係が寸断され、被災者は互いに孤立せざるを得なかった。鉄の扉で隔離された鉄筋コンクリートの復興公営住宅の中では、高齢者の孤独死だけがますます増えていくという痛ましい状態がいまも続いているのである。
でも考えてみれば、このような事態は当初から予想されていたことだった。植物でも樹木でも乱暴な植え替えを繰り返せば、根が張れないままに枯れていく。まして人間はそう簡単に地域社会に馴染めるものではない。高齢者になればなるほど人間関係を築きコミュニティに溶け込むのが難しくなる。職住一体の生活を営んできた人たちから「復興のため」と称してコミュニティを取り上げてしまったら、いったいそこに何が残るというのか。震災復興の最終目的が「ヒト」を救うことであり、「ハコモノ」をつくることでない以上、復興事業は立派に完成したがそこに人がいなくなってしまった、住めなくなってしまったといったことだけは絶対に避けなければならないのである。