2.メダルの裏表〜阪神・淡路大震災と中山間地域大水害
いまからちょうど10年前の1995年1月17日、戦後最大の直下型大地震の阪神淡路大震災は、開発主義のトップランナーだった神戸市・阪神地域を直撃した。わが国では都市とりわけ大都市を経済活動の主舞台として位置付け、それに必要な高速道路・港湾・空港などの大規模インフラ建設事業が最優先の都市計画事業として推進されてきた。それが文字通り軒並み総崩れとなったのである。しかし、被害はそれだけに終わらなかった。住民多数の生活空間でありながらこれまでは都市計画の対象として取り上げられず、長年にわたって放置されたままの老朽密集市街地が住宅の倒壊と火災によって壊滅的な打撃を受けた。6千数百名に上る死者の大半は老朽住宅の居住者であり、またその犠牲者の多くが貧しい高齢者だった。
それから約10年後、兵庫県丹波地方や京都府北部を襲った台風23号風水害そしてそれと前後して発生した新潟県中越大震災は、阪神・淡路大震災とは対照的な過疎地域や広範な中山間地域での大災害としてあらわれた。被災地では各所で集落が孤立し、道路が寸断され、田畑や住宅が土石流によって押し流された。また河川の氾濫によって山間部も平野部も床下・床上浸水が広がった。しかし、孤立した集落や住宅での住民や高齢者はなす術がなかった。家財道具を持ち出すことも2階に上げる暇もなく、自分の身体一つを避難させるだけで精一杯だった。そして避難もままならなかった高齢者は、不安に怯えながら命からがら救出を待つほかはなかったのである。
20世紀末と21世紀初頭を挟んでこの10年間に発生した2つの大災害は、決して偶発的な事故や災害ではない。それは、戦後高度経済成長期を通して推進されてきた自民党政府の国土・地域開発政策と成長型都市計画の必然的帰結であり、同じメダルの表裏なのだ。表向きはタテマエの「国土の均衡ある発展」を掲げながら、その実、国土空間の効率的利用(資本活動にとっての)を徹底的に追求してきた地域開発政策が、国土を二分する深刻な過密過疎問題を引き起こした。それが一方では阪神・淡路大震災での「過密型災害」の原因となり、他方では中山間地域での「過疎型災害」としてあらわれただけのことなのである。