12月10日:「神戸市政フォーラム」を取り巻く複雑な状況(最近の講演活動や研究報告から、その1)
年末になってくると、身辺が何となく慌ただしくなってくる。12月は「師が走る」と書いて「師走」というが、私自身は「師」といえるような存在では到底ないものの、それでもなぜか走らざるを得ないような感覚に襲われることが多い。事実、11月あたりから12月にかけては、学内でも学外でも講演活動や研究報告が相次いだ。少し早めになるが、この1年を振り返りながら年末の足跡をたどってみたい。
11月は、自治体行政や市民運動関係の会合に出席する機会が多かった。神戸では11月18日に、「神戸再生フォーラム」の主催で「第1回神戸市政フォーラム、市民のくらしと神戸市政」が開かれ、コメンテーターとして参加した。このフォーラムの報告集の表紙には、「神戸市政を市民の手に。官から民へ。かえよう神戸2009。腐敗脱却、市政改革。つくろう市民の市長を」というスローガンが記されているように、2009年の神戸市長選に向けて果敢な市民運動を展開している市民団体が催したものだ。
2004年4月に結成された「神戸再生フォーラム」は、半世紀にわたって続いてきた神戸の「市役所一家体制」を市民の力で打破しようという市民運動である。なにしろ神戸は大阪と並んで、助役出身の市長候補をオール与党と市労連が半世紀あまりにわたって担いできたいう「市役所一家体制」の“元祖”であり、“本家本元”なのである。だからその堅固な布陣は、大阪に勝るとも劣らない強固なものだ。
この市政フォーラムが開かれたのは、大阪市長選の直前のことだった。しかし、市長選そのものがテーマになったわけではない。むしろ神戸市政の抱える数々の問題を市民の眼でじっくりと分析し、野党市会議員と市民が議論を深め合って、次の市長選挙に臨む政策を練り上げていこうというのがその趣旨である。
本来ならば、この種の政策討議や神戸市政にかかわる分析は、長年の自治体問題への取組に実績を持つ「兵庫県自治体問題研究所」(民間の研究機関)が行って然るべき課題である。だが自治体問題研究所は、もはや正面から神戸市政を分析の対象にすることができない。なぜなら、市役所一家体制を支えている神戸市労連メンバーが研究所会員の多くを占め、研究所の中枢部にも市労連の役員が参加しているからだ。自治体問題研究所にとって神戸市政を批判することは、事実上の“タブー”と化してしまっているのである。
研究者や研究組織が、ある種の研究対象を“聖域”や“タブー”にして忌避することは、当該関係者にとっては自己否定(自殺行為)以外の何物でもない。まして兵庫県下の自治体問題のなかで神戸市の問題が占める比重の大きさを考えれば、これを除外することは研究所自体の存在意義を自ら放棄するものだといっても過言ではないだろう。だが、このような「獅子身中の虫」を抱える研究所組織が堂々と存在しているところに、兵庫県や神戸市を取り巻く複雑怪奇な政治状況があるのである。
この間、神戸市を取り巻く複雑な状況を象徴する出来事に、「民主的自治体労働者の組合」を自負する自治労連が、今年8月の第29回定期大会を神戸市内で開催したことがある。労働組合がどこで会議を開催するかといったことは、無論、組織の自由に属することで何ら問題とするところではない。しかしその大会に「開催地の首長」として矢田神戸市長が来賓として招かれ、堂々と「祝辞」を述べさせたことの舞台裏には、単なる儀礼的行動の域を超えたある種の“政治臭”が感じられる。
矢田市長といえば、歴代続いた神戸市役所一家体制に乗ってトコロテン的に当選し、市民の大反対運動を押し切って(20数万人の直接請求署名を否定までして)、“赤字の塊”である神戸空港建設の推進を強行してきた張本人である。建設後間もない市立中央病院をわざわざ市街地から遠く離れた埋め立て地に移転させ、莫大な建設赤字を承知の上で、医療都市構想の付属施設化しようとしている人物である。また「デザイン・コンペ」と称して市立高校跡地を民間デベロッパーに格安で払い下げ、民間資本の新たな開発利益の創出に貢献している当事者である。さらにいえば、公立保育所の民営化を強行し、保護者に訴えられて、神戸地裁から手続き的にも「違法」だと敗訴した被告でもある。
こんな反市民的な市長を性懲りもなく担いできたのが神戸市労連を中心とする右派労組幹部であり、これが中心になって関係労組に働きかけ、挙げ句の果ては自治労連の定期大会までを神戸に「誘致」したのだから、その影響力たるや相当なものだ。おまけに「神戸にくるときは神戸空港を使ってほしい」との条件(要請)付きだったというから、労働組合まで利用して「コンベンションシティ・神戸」のお先棒を担ぎ、神戸空港の赤字解消の一端を担おうとしたのであろう。その労使協調というか蜜月(癒着)ぶりには呆れる他はない。
こんな状況だから、率直に言って神戸の市民運動は相当厳しい環境にある。市民にとっての最大の応援部体である(はずの)労組の協力が皆目得られないのだから、実質的には“孤立無援の闘い”ともいうべき状態だ。だが驚嘆するのは、この人たちは絶対にめげないし、またよくあるように反政党や反労組を標榜する「無党派型市民運動」にもならないことだ。手を結べる組織や団体には垣根を作らずに広く参加を呼びかけ、独立独歩の努力を重ねて、財政、中小企業、福祉、医療、まちづくりの5つの分科会までを設けた午前午後の全日研究集会を、200人近くの参加者を集めて立派に成功させたのである。
私は、専門家でもないのに「財政分科会」のコメンテーターとして参加したが、野党議員(複数会派)からの最新情報を基にして議論した内容は実に興味深いものだった。また財政という一見複雑で取り組みにくいテーマであるにもかかわらず、30人近い多くの市民が参加したのも驚きだった。とりわけ大企業や役所から退職したばかりの元管理職クラス(らしい)市民が熱心に討議に参加し、また大阪などから神戸に移転してきた人たちの発言も目立った。「外から見た神戸」と「住んでみた神戸」の“落差”があまりにも大きかったからだという。
神戸市の財政状況は、知れば知るほど「鬼気迫る」ものだ。これはもう、一市民団体や専門家がなにか対案を出せるようなレベルをはるかに超えている。だから、分科会の議論は重苦しい空気に包まれたのも当然のことだった。でも最後に私が提案したのは、「実態をあまねく市民に知らせる」ことからすべてが始まるのではないか、ということだ。議員レベルでしか手に入らない財政資料を易しく解説した小冊子にまとめ、これをテーマごとに「シリーズ」にして頒布するというアイデアだ。
もちろん、このような高度な内容を易しく解説するには、執筆者も編集者もプロ級の人材が要る。しかし財政学者が作成した複雑な数表の羅列ではなく、市民の切実なテーマに即しての「特集」なら、専門家の協力を得ながら出版や編集のプロの方がむしろいいものをつくれるのではないかと思う。財政学会での議論と市民レベルの関心の共通性と違いに留意しながら、神戸でこのような新しい試みが実現すればと思ったのだ。
「神戸再生フォーラム」には、市民団体には珍しく“プロのデザイナー”が参加している。これまで発行されたビラ、ポスター、チラシ、パンフレット類のどれ一つをとってみても、その出来栄えは群を抜いている。日本中を驚かせるような「神戸財政パンフシリーズ」が、そのうちに神戸から生まれるかもしれない。そのときこそ市民が神戸市長選に勝利するときなのである。