12月6日:大阪市長選、京都市長選の混迷(大連立騒動の波紋、最終回)
 
太田知事の泣く泣くの出馬断念を受けて、来年1月の大阪府知事選の行方は混沌としてきた。しかし、ここ2、3日、マスメディアで取り沙汰されている候補者は、芸能人かそれに近いタレントの類の人物ばかりで、およそ首長としてのキャリアや政策を持った尊敬に値する有識者や政治家の名前はいっこうに上がって来ない。「ここまで堕ちるのか」と嘆かずにはいられないほどのお粗末な寸劇ぶりだ。

芸能人やタレントを「水準が低い」とか「識見がない」とか、一般化して言っているのではない。彼らはそれぞれの分野で立派に活躍しているのだから、それぞれの分野でその才能を活かせばいいのである。それが「知名度」があるというだけで首長選挙の候補者に祭り上げられるようになると、大きな間違いが起こることは避けられない。結果は本人も不幸だし、有権者はもっと不幸になる。

どこかでもあるように、お笑い芸人がたまたま知事になったといって有権者が喜んでいる内はいいが、それが単なる「広報マン」の域を出ないことがわかるようになると、これからの深刻な課題を抱える自治体行政や地方政治が混迷に陥ることは避けられないだろう。そんな時期が目前に迫っているというのに(いや真っ只中にいるというのに)、相変わらずの「芸能人頼み」や「タレント探し」という有様では本当に情けない。

今回、自民から大阪府知事候補として名前が上がった某弁護士などは、法律事務所を開いて弁護士活動をしているわけではない。所属しているのは「タレント事務所」であって、本人は「弁護士という名で活躍しているタレント」なのである。だから、もし「タレント」を「弁護士」として担ぐとなると、有権者も錯覚するし、本人も戸惑うことになる。大阪府議会のオール与党議員は、「横山ノック事件」の教訓をもう忘れているらしい。

一方、「これで決まり」だった京都市長選の候補者選びの方は、その後、ニュースがパタリと途絶えたままになっている。経済界の指令で自公民で一応候補者は決めたものの、今度はどの党が選挙を仕切るかで水面下で大揉めに揉めているのだという。次の総選挙が迫っているので、各党は自陣営に出来るだけ有利な体制で市長選を仕切りたいのである。

こんな一連の首長選挙の候補者選びの経過をみていると、地方政界も中央政界も大連立騒動は全く同じ構図であることに気づく。つまり表向きは異なった政党でありながら、中身はほとんど変わらない政党が、日本の中央・地方の政治を圧倒的に支配しているという事実があらわに見えてくるのである。政策の違いで争うという政党政治が、いまだに日本の風土に根付いていないのだといえよう。

日本の政界では「大連立」は今更始まった現象ではなく、実質的には「大連立的」政治状況がこれまでもずっと続いてきたといった方が正確だろう。その証拠に、民主党の小沢代表は、国政選挙での「反自民」という政権公約をいとも簡単に投げ捨てた。これでは選挙公約は、選挙が終わればゴミ箱に棄てられる一片のビラやチラシと同じようなものだといわれても仕方がない。「政治とはそういうものだ」という国民の政治への不信感を頂点にまで高めたのが、今回の大連立騒動だった。

これで、地方首長選挙では「自公とは相乗りしない」という小沢方針も、もはや同様に「ゴミ箱行き」の運命になってしまった。それも選挙が終わってから棄てるのではなく、早くも選挙前に棄てるという念の入れようだ。民主が国政で躍進したといっても、結局、昔と何も変わっていない。大連立をするかしないかは、単なる外見上のことであって、実質的には相変わらずの「大連立的」状況が継続しているだけの話なのである。

大阪市長選で当選した「民主党独自候補」は、おそらく近い将来に「大連立的」状態へ政治姿勢をシフトさせるだろう。なにしろ大阪市議会では民主は少数与党で、自公の協力を得なければ何一つ決まらないという厳しい現実があるからだ。「ねじれ国会」どころの比ではないのである。おまけに「民主独自市長」を支えるのは、札付きの部落解放同盟および同根の大阪市労連だ。市長はまず「身内」の解同や市労連の「要求」と早晩対立せざるを得なくなる。そのときに「救いの手」を差し伸べるのが自公だとしたら、これはもう一も二もなく実質的な大連立政権となること請け合いである。

京都市議会では、自公民相乗り候補が当選すれば、もっと明確な大連立政権が継続するだろう。同和利権や同和職員不祥事事件を何一つ片づけられなかった現市長の後継者としての次期市長候補は、そのキャリアといい政策といい、オール与党にとっては申し分のない候補者である。この候補者は、教育委員会の総務部長当時、市民ウオッチャーが提訴した同和不正支出事件(解同の「学習会」と称する温泉旅行に市民の多額の税金を注ぎ込んだ公金不正支出事件)の行政側の被告となり、裁判所から公金の返済を命じられた責任者でもある。

国政では、これから「ねじれ国会」の打開策と称して実質的な「大連立的」状況が常態化するだろう。また地方政界では、大阪と京都の首長選挙にみられるように、これまでの大連立政権が相変わらず継続するだろう。だとすれば、現在の国民生活を襲っている未曽有の困難を解決する出口が見当たらない。なにしろ革新政党を名乗っている共産・社民両党の支持率を合わせても、数パーセントにしかならないのが日本の政治の現実なのである。

小泉構造改革で徹底的に痛めつけられた国民が、まだその出口を見出せていないという悲しい現実のなかで、私たちはこれからの数年、「大連立状況」の森のなかで彷徨うことになるのかもしれない。次の総選挙後あたりから政界の再編劇がはじまり、しばらくは混迷状況が続くと思うが、その「トンネル」を抜けたあたりに「明るい未来」があると思いたい。
戻る