10月11日:学生による「授業評価」を評価する(その1)
9月末から後期のスケジュールが始まったが、なかなか思うように波に乗れない。学生も教員も双方がそうである。私たちが学生の頃は、夏休みが終わるとすぐに前期の試験が控えていたので、前期で習ったことを必死で思い返しながら、なんとか9月を乗り切って後期の授業に入っていったものだ。
しかし最近では、10月に新学期が始まる欧米の大学制度の影響で、日本の大学でも夏休みを挟んで前期と後期を完全に分離するセメスター制度が普及してきた。7月末まで授業をやって試験を終え、単位を確定してから9月末からの後期授業に入るというやり方である。
制度的にはセメスター制度の方がすっきりしていることはいうまでもない。学生も教員も夏休み前にすべてを片づけて休暇に入るので、「後顧の憂い」なく夏休みの活動に打ち込めるわけだ。欧米の大学でもこの間は学生にとっては「世界を放浪」する期間だし、教員にとっては研究活動や国際会議に集中する慣行になっている。ちなみに欧米の大学では夏休み中は給料が出ないので、他国の大学に「出稼ぎ」に行くことも珍しくない。イギリスの大学などでは、南アフリカやオーストラリアなど旧植民地国の大学に講演や集中講義に出かける人がいまでも結構いるのである。
しかし問題は、この夏休みの過ごし方だろう。10月から新学期が始まるのであれば、心機一転して新学年の講義に臨めるが、4月から学年季が始まる日本の制度では、夏休みが完全に「中央分離帯」になってしまって、ここをうまく乗り切らないと1年のスケジュールが大幅に狂ってしまうことになる。前期の勉学ムードが夏休み期間中にどこかへ吹っ飛んでしまって、夏休み明けにもう一度エンジンを掛け直さないといけないような事態になりかねないのである。
それに最近では、学生たちの夏休みの過ごし方が大きく変わった。それが勉学のためであれ、遊ぶためであれ、まとまった資金を稼ぐのはこの期間しかないので、夏休みはとにもかくもアルバイト一色の生活となるのである。昔のゼミのように夏休み中に揃って調査に出かけるとか、研究室にこもって朝から晩まで作業するとかいったことは、およそ不可能なのだ。
とりわけ派遣労働が野放しになった昨今では、学生も立派な派遣労働力にカウントされている。彼らの携帯電話には前日に仕事の連絡が入る仕組みになっていて、それが引越し作業であれ、スーパーの荷揚げ作業であれ、オーケーさえすれば、集合場所と集合時間が指定されて、とにかくその日かぎりで1日働くというわけだ。腰を痛めるようなきつい労働でも日稼ぎのよい仕事なら、彼らは仕事の種類を選ばない。とにかくまとまった金が必要なのである。
だからたいていの学生は、夏休み明けにはくたびれ切って大学に返って来る。彼らの脳裏には、前期で何を勉強したかといったことなど完全に吹っ飛んでいる。前期にし残した宿題をやってくるなんて「夢のまた夢」というわけだ。これでは勉学の効率が上がるはずがない。といっても、現在の学生たちの厳しい生活状況を思えば、アルバイトを禁止して勉学に集中しろなんていえるはずがない。それほど日本の高等教育は、学生たちとその家庭の犠牲のうえに成り立っているのである。
こんな学生たちを見ていると、もっと教育への国家予算を増やして彼らの負担を軽くしてやれないかとしきりに思う。しかし政府のいう「教育再生政策」とは、このような現状を放置しながら、私たち教員には「もっと教育効果を上げろ」と叱咤激励することでしかないから恐れ入るというものだ。
だから最近では、どこの大学でも「教育改革」のための格段の努力が続けられている。「改革の実」を挙げないと、国庫補助金が容赦なく削られる仕組みになっているからだ。そのひとつが「学生による授業評価制度」の導入である。龍谷大学でも「個々の教員の勤務評定には使わない」という前提で、授業評価が実施されている。後期の授業が始まる前に受け取ったのは、前期の授業評価という「成績表」だった。
この授業評価に関するデーターは、授業への理解度や満足度など9項目の質問に対して、学生による5段階評価の結果を加重平均して集計したもので、全学と当該学部の分布状況が示され、自分の担当科目がどのあたりに位置しているかが一目でわかるようになっている。個々の教員には各自の担当科目の評価だけが渡される仕組みだから、お互いの「成績」はわからないようになっている。それぞれの教員が自分の授業に対する評価を見て、自覚的に講義内容や方法を改善しろというものだ(続く)。