9月20日:福田政権の登場を許す国民的事情、(2007年参議院選挙をどうみるか、番外編3)
安倍首相が辞意を表明してから1週間余り、福田氏と麻生氏の後継争いの筋書きもほぼ読めてきたような気がする。一言でいうと、後継内閣は「安倍抜き政権」というだけで、政策の中身も路線もそれほど変わらないということだ。選挙用に起用した安倍首相があまりにもお粗末な「欠陥部品」だったので、少しキャラの違う福田氏に「首をすげ替える」というのが大方の意向だろう。
「首をすげ替える」だけのことだから、胴体部分は全く変わらない。つまり小泉構造改革路線は基本的に踏襲するということだ。福田・麻生両氏とも小泉政権や安倍政権の中枢にいたのだから、これまでの路線が間違っていたとでも言おうものなら、その瞬間に自分の存在に失格宣言することになる。これはとてもできない相談だろう。
もし自民党が小泉路線を本気で変えようというのなら、福田・麻生両氏以外の候補者を擁立しなければならない。でも、そんな人材がいまの自民党の中にいるとは到底思えない。それほど自民党は小泉前首相に「ぶっ壊されて」しまったのだ。小泉路線と違った政策を打ち出そうとしても、みんな同じような部品になってしまったので、いまさら異なった構造体に組み立てようがないのである。
だから後継争いは、政策面での違いというよりは、いきおい候補者の「キャラ」の競い合い程度にならざるを得ない。品質の変わらない部品を少しでも違ったように見せかけようとすれば、丸く削ったり、表面を磨いたりして、「見栄え」を変える以外に方法がないからだ。
しかしこの点で、麻生氏はどうやら大いなる勘違いをしているように思える。もともと下品で粗野な言動で知られる同氏は、今回も「ガッツのある強いリーダーシップ」を強調することで、国民の人気を得ようと考えているらしい。これは、安倍首相があまりにも「ひ弱で幼稚」だったので、その向うを張って「強くて頼りがい」のあるキャラを演出することの方が得策だと思っているからだろう。だから、ひ弱な「オタクのメッカ」である秋葉原に行って、「頼りがいあるオジサン」ぶりをひけらかすことになるのである。
だが、安倍首相の無惨な末路を目の当たりにしている国民は、本質的には「ひ弱で幼稚」でありながら、表面だけは「強がる」ようなキャラは警戒するようになってきている。麻生氏がパフォーマンスを強めれば強めるほど、彼に対する国民の不信感は増し、警戒感が強くなっているのが現状だ。このことを彼がもしわからないとしたら、それは安倍首相と同じく、これまで国民を舐めきってきた世襲議員、それも祖父に元首相を持つ「名門」政治家の御曹司の遺伝子のなせる所為だろう。
この点、福田氏はまだしも自分の「立ち位置」を心得ているようにみえる。政策面での転換が図れない以上(図る意思もない以上)、「国民の声に真摯に耳を傾ける」というキャラとポーズの演出が何よりも効果的であることをよく自覚しているのだ。この間の彼の柔らかい物腰や丁寧な演説の仕方がそれをよくあらわしている。
この「福田キャラ戦略」を一段と効果的にしているのが、後継争いをめぐるテレビの報道合戦だ。かっての小泉時代とは全く政治状況が異なるにもかかわらず、小泉劇場を演出したマスメディアは、いま再び福田氏に焦点を合わせた画面づくりに精力的に動いている。そして福田氏の姿が画面に露出すればするほど、政策面での検討や分析は背景に遠のいていく。まるで「モンタージュ写真」のように、安倍氏から福田氏への「首のすげ替え」が映像的に操作されていくのである。
こんな「目眩まし」的な方法は、もし国民が事態の推移を客観的に見る目があれば、直ちに見破られてしまうほどの幼稚な手法でしかない。しかし残念なことに、まだそのような世論形成が難しいのが日本の現実であり、国民世論の水準だ。このことを痛感したのが、帰国早々に手にした9月17日付の朝日新聞と読売新聞の緊急世論調査の結果だった。この世論調査は、いずれも15日午後から16日にかけておこなわれたもので、福田・麻生両氏の後継争いがスタートした時点でのものである。
結果をみると、「次期首相は安倍首相が進めてきた政治路線を引き継がない方がよい62%、引き継いでほしい26%」(読売)と国民は圧倒的に安倍路線の転換を求めながらも、「安倍首相が小泉首相から受け継いた経済成長や競争を重視する改革路線を次期首相も受け継いでほしい54%、受け継ぐべきでない36%」(朝日)と過半数が小泉路線の継続を求めている。この一見矛盾する世論調査結果をどう読み解けばよいのだろうか。
私の分析は、「国民は小泉改革の痛みを実感するところまではきたが、その根本原因が小泉改革自体にあることにまだ気づいていない」というものだ。つまり小泉改革の「結果と原因」の因果関係が依然として明確に把握されていないのである。だから安倍首相に対するマイナス評価は、「小泉改革路線から逸脱した極端な政治路線の誤り」にあるのであって、「改革路線そのものの誤りにあるのではない」ということになる。
この国民の認識レベルが、次の福田政権の登場を許す政治的背景になっている。福田氏が「小泉路線は基本的に正しいが、問題点があれば手直しをする」といった程度の言い訳で現状を乗り切れるのはこのためだ。そのことは、福田氏の支持理由が、「安定感がある62%」、「人の考えをよく聞く協調型62%」(朝日)といった点に集中し、「政策や理念がよい17%」(朝日)が極端に少ないことでもよくわかるのである。
だが、この世論調査で私が注目したいもうひとつの項目がある。それは、毎回調査される政党支持率の変化だ。朝日新聞によれば、前回の9月13日調査から今回の15、16日調査の間に、本来なら激減していいはずの自民党が30%から32%へと上昇し、上昇してもよいと思われる民主党が28%から24%へと逆に下落していることが第1の注目点だ。第2は、いつもはめったに変動しない公明党支持率が、今回は3%から1%へと急落していることだ。
このことの意味するものは、安倍首相が退陣し、福田氏が後継首相になることによって当面の政局の安定が取り戻されると、自民党支持者がひとまず安堵したからであろう。またそのことが民主党政権の登場に対するブレーキとして働いているためであろう。自民党支持者の自民党離れはせいぜい「地方の反乱」程度に止まり、自民党に対する「路線転換」の要求までには達していなかったのである。「反乱」は現行路線に対する拒否行動であることには間違いないが、それが必ずしも「政策転換」や「路線転換」に結び付くとは限らないからだ。
「反乱」が「転換」に移行するためには、小泉構造改革に対する客観的な因果関係の認識が不可欠だ。つまりいま地方を襲っている厳しい地域格差、都市部の下層社会で進行している激しい階層格差の「痛み」を国民が感覚的に感じているだけでは駄目で、その原因が小泉改革の結果に他ならないことを「理解」してはじめて、政策転換や路線転換の政治要求が生まれてくるのである。
しかしこれまで本格的な福祉国家政治を体験することもなく、長年にわたって「経済成長なくして生活向上なし」との経済イデオロギーに染められてきた日本国民の多くは、この期に及んでまだ「成長イデオロギーの呪縛」から抜けられないでいる。だからこそ「次期首相にも小泉路線を受け継いでほしい」と願い、それを自民党に託さざるを得ないのである。
自民党支持層が小泉改革の本質を理解するまでにはもう少し時間がかかるだろう。その間に福田政権が案外長続きするかもしれないし、また第2、第3のたらい回し政権が生まれるかもしれない。また民主党がどこかで自民党と政策的に妥協して(事実上の大連立政権の成立)、「痛みの原因」を明らかにさせないままの国会状況が生まれるかもしれない。そうなれば、国民の政治変化を願うマグマは地に埋もれて休火山となり、アメリカのような階級社会・格差社会のなかに埋め込まれていくかもしれない。
とはいえ、私がもう一つの「マグマ」として注目するのは、公明党支持率の急落だ。これが一時的な現象なのか、それとも調査技術上のミスやエラーなのか、いまのところはよくわからない。おそらく今後の支持率の動向を注意深く観察することによって真相が見えてくると思うが、もしこれが本物の世論動向の前兆なら、今度は「下層の反乱」ともいうべき新しい政治状況が生まれてくることは十分考えられる。
「下層の反乱」の特徴は、痛みの原因がわからなくても激しい政治エネルギーを生み出すことだ。「下層の反乱」の担い手たちは、「地方の反乱」の主役となった準支配層のような生活の余裕がないだけに、原因がわからなくとも「何とかしてくれ」という直接的な行動に訴えることが多い。この時に自民党の下僕としての公明党は崩壊の危機に直面するだろう。そして公明党の崩壊は、自民党の集票機能の危機に直結する。そのときこそが、戦後保守支配体制の本当の存亡の危機に転化するときなのである。(続く)