8月28日:安部改造内閣の評価と行方、(2007年参議院選挙をどうみるか、最終回)
昨27日に安部内閣の改造が行われた。今日の新聞各紙やテレビのワイドショーでは、「実力重鎮内閣」だとか、「延命居座り内閣」だとか、はたまた「派閥領袖人質内閣」だとか、各種の評価が入り乱れて飛び交っている。おそらく2、3日後には各紙の世論調査結果が発表されて、内閣支持率の結果が明らかになるので、国民の反応や大方の受け止め方がわかるだろう。
この世論調査の結果次第で、依然として安倍内閣の低支持率が続くのか、それとも「御祝儀相場」で意外な支持率の回復がみられるかが明らかになるのであるが、そのことは安倍改造内閣の前途を占う上で極めて重要な判断材料になる。それは、通常の内閣改造とは異なり、今回の内閣改造が安倍首相の続投(居座り)に対する轟々たる非難のなかで強行されたものであるだけに、国民の評価や反応は今後の政局運営に直接的な影響を与えるからだ。
もし低支持率を依然として回復できないとなると、安倍首相自身による政策変更は絶対に考えられない以上、早晩に「頭のすげ替え」の議論や「安倍降ろし」の動きが自民党内で顕在化するだろう。しかし支持率が一時的にせよ回復するようなことがあれば、各閣僚(とりわけ派閥領袖クラス)は、自分の好きなような発言や行動を繰り返しながら、結果として「安倍カラー」を薄めていく方向での動きを強めるだろう。
なぜなら、彼らの間では安倍首相はもはや政治的には「無いも同然」であり、「野垂れ死」の運命をたどることが予定のコースとして想定されているからだ。にもかかわらず、なぜ彼らが閣僚として参加したかというと、それは安倍首相とともに自民党の本体が沈没していくのを避けるためである。「泥船」からいち早く逃げ出した小池前防衛相などのような「子ネズミ」もいることはいるが、「泥船」を何とかもたせながら、「次の船」に乗り換えるまでの時間稼ぎをしているところが、これら派閥領袖たちの「大ネズミ」たる所以だろう。
だが、「船を乗り換える」ことはそれほど簡単なことではない。また、そんな器用な芸当が果たしてできるとも思えない。私は、参議院選挙直後の日記で、「地方の反乱」が起きたのは、小泉構造改革が「地方の自民党をぶっ壊した」からだと書いた。しかしここにきて、今回の一連の内閣改造劇をみていると、小泉改革は「中央の自民党もぶっ壊した」のではないかとさえ思えてくる。麻生幹事長は、「ぶっ壊された自民党を建て直すのが自分の役目」といったが、実は彼自身を含めて大半の派閥領袖たちが、すでに小泉改革によってぶっ壊された存在ではないのか。ぶっ壊された「破片」が、自民党本体の建て直しなど、およそできるはずがないのである。
彼らが解体状況にある理由は幾つでも挙げられる。なかでも最大のものは、これら派閥領袖たちがついに「反安倍」の倒閣運動に立ち上がれなかったという事実だ。「馬鹿の一つ覚え」のように「戦後レジームからの脱却」と「改革実行」を繰り返すだけの安倍首相に対して、これに代わる政策を示すことができず、結局は構造改革政策の継承の枠内でしか行動することができなかったのが、麻生幹事長をはじめとする「大ネズミ」たちの実態なのである。
だからいくら大物閣僚を揃えても、安倍内閣は「メッセージを出せない」といわれて今後ますます低迷していくのは必至だ。また閣僚たちが独自色を出そうとしても、それはせいぜい右翼的な「安倍カラー」を薄める程度のことであって、構造改革政策そのものを転換して国民のための政策を打ち出すことなど、とてもできるものではないだろう。もしそんなことを本気で考えるのであれば、安倍倒閣運動を起こす以外に方法がないからだ。その意味で、自民党は政局運営を意のままに動かす主導権を、もはや政策的にも失っていると見るべきだろう。
問題は、これからの小沢民主党の出方だ。小沢代表は政策的には自民党とほとんど違わないが(ある意味ではそれ以上だが)、行動様式は「政局中心」に動く現実的な政治家だといわれている。前原前代表のように民主党の政策にこだわると、状況を省みず新自由主義的でアメリカ追随の行動をとる他はない。しかし今回の参議院選挙で驚いたのは、農産物の貿易自由化など新自由主義的農業政策を唱えていた民主党の政策などはそっちのけで、小沢代表が農家の個別所得保障を掲げて地方農村を行脚したことだ。それが「政局転換」にとって必要だと判断したからだろう。
私は政策本意で政党や政治家の評価をするタイプの人間だ。それに、政策は理念的にも実践的にも体系的であり整合性のあるものでなければ本物とはいえない、と思い込んでいる。このような観点からすれば、小沢代表の言動は理解できないし、信頼もできない。一時的なパフォーマンスにすぎないと思ってしまう。目先の選挙を勝ち抜くために「口当たりのよいことばかりいっているのではないか」と感じてしまうのである。
確かにそういう面もあるだろう。小沢代表個人のこれまでの政治信条からすれば、今回の行動などは「例外」であり「論外」だと思っているかもしれない。だが、私は小沢代表をして、そのような行動をとらせた社会情勢・政治世論の厳しさの方に注目したいのだ。またそのような政治情勢を知りながら、「安倍降ろし」の行動に出られなかった自民党政治家の「政局判断」の甘さを指摘したいのである。
政治権力というものは、究極的には国民世論の支持をえなければこれを維持することができない。安倍改造内閣の掲げる政策は、小泉構造改革の正体が暴露された現在では、もはやこれ以上続けることが不可能になったものばかりだ。にもかかわらず、自民党は安倍首相の交代を迫ることができず、協力する振りをしながら自民党政権の延命を図ろうとしている。彼らはその程度でしか国民生活の窮乏や国民の怒りがわかっていないのである。権力の座に長い間安住してきた政治家たちには、民意の所在や国民の声を理解することが不可能になってしまったのだ。
小沢代表は、国家権力を掌握するためには、この国民の怒りを利用する以外に方法が無いことを知りすぎるほど知っている。彼は自民党や民主党のだれよりもリアルな「マキャベリスト」だといってよい。だから当面は、自分たちの政策や個人の政治信条を抑えて、一定程度、国民ニーズに対応した政策を次から次へと出してくるのではないか。たとえそれらが従来の小沢氏の思想や民主党の政策から考えれば一貫しないことであっても、その時々の政局転換に必要とあれば大胆に打ち出すのが「小沢流」の政治手法だろう。
私は自民党と民主党の「大連立」が、「改憲」を軸に比較的近い将来に実現することがあるかもしれないと思っていた。だが、この参議院選挙で示された国民の怒りは、そのような保守党の政治的思惑をはるかに超えた巨大なものだった。そしてそのエネルギーの凄まじさと恐ろしさを誰よりも知悉しているのが小沢代表であり、誰よりも鈍感であるのが安倍首相であることもわかった。
これからの政局は、小沢代表を中心にして回転することはまず間違いない。そして、自民党や公明党の動向だけでは理解できない政治情勢が次々と起こるかもしれない。国民本意の政治革新を望む人たちは、「反自民」を座標とする従来の政治判断に加えて、民主党の行動も視野に入れた「二勝面作戦」を迫られることになるだろう。(終わり)