8月1日:「地方の反乱」は起きたが「下層の反乱」は起きなかった、(2007年参議院選挙をどうみるか、その1)
「安倍政権の最初の審判」といわれた注目の参議院選挙が7月29日に行われた。結果は「自民党の歴史的大敗」と「公明党の後退」、そして「民主党の圧勝」と「共産・社民党の伸び悩み」に終わった。その原因や背景を考えるべく、各種のマスメディア情報を精査したが、どれもこれも物足りなかった。メディア企業の思惑や利害関係が真実を語らせないからだろう。
紙面の大型座談会やテレビのトークショウに出てきた「常連たち」の意見も、(一部の民放を除いて)それにふさわしく陳腐なものだった。そうでなければ「常連」に選んでもらえないのだから仕方ないが、そんな裏の事情を知らない多くの国民にとっては迷惑な話だろう。いまや「真実を語る」のではなく、「真実を覆い隠す」のがマスメディアの実態であり役割だとしたら、若者たちが新聞やNHKから離れていくのも無理はない。
私の感想を一言でいえば、それはタイトルにもあるように、「地方の反乱は起きたが、下層の反乱は起きなかった」というものだ。正確にいうなら、「地方の準支配層の反乱は起きたが、全国下層の反乱は起きなかった」ということだ。民主党の小沢代表は、下層住民の支持を狙ったのではなく、地方の準支配層(保守系中間層)に集中して働きかけ、1人選挙区での勝利をものにした。従来の自民党支持基盤の一角を崩したのである。それが「プラス・マイナス効果」(自民党の票を減らした分がそのまま民主党の票になるという二重の政治効果)を引き起こすことをよく知っていたからだ。
小泉構造改革が「自民党をぶっ壊した」のは本当だ。しかしそれも正確にいえば、「地方の自民党をぶっ壊した」のである。平成大合併の強行によって保守系の地方首長や地方議員は大幅にリストラされ、集票活動の末端機構が動かなくなった。地方の土建業者の基礎食料費だった公共事業が削減され、選挙での手足がいなくなった。中堅農家の家計を支えてきた農業補助金も大型農家へ集中し、農協の結束が保てなくなった。「地方分権」とか「三位一体改革」などと称して地方交付金や国庫補助金が容赦なく削減され、役場や議員の権威が損なわれた。地方はまさに「踏んだり蹴ったり」の状態に陥り、「地域格差」が一挙に広がった。それに「火を付けた」のが小沢代表だったのである。
彼は東北出身の(元)自民党政治家であり、田中角栄派の重鎮だったこともあって、地方農村部の実情や権力構造を知り尽くしている。小泉構造改革によって打撃を受けながら、しかしまだ末端権力につながっていて選挙への影響力を失っていない保守系の「準支配層」に焦点を当て、その切り崩しを図ったのである。この選挙戦術は共産党も社民党も真似ができない。共産党は農協や土建業界など地方の利益団体や権力機構には縁がない。社民党は地方組織が全くないのだから、これもどうしようもない。「地方の反乱」の主役となった一部保守層の「受け皿」は、小沢代表が独り占めできたのである。
「下層の反乱が起きなかった」のはなぜか。それは、創価学会・公明党の支配機構がまだ崩れていないからだ。まるでイタリアのマフィアのように、日本の下層・貧困層を全国的に支配している創価学会・公明党は、共産党と社民党を合わせたよりもはるかに多くの集票能力を有している。しかし表向きは宗教政党という独特の体裁をとりながら、その実、組織内部では専制的な上下支配が貫徹していることはほとんど知られていない。彼らのマスメディア対策が劫を奏して、その実態が国民の前に暴露されていないからである。「新聞広告費」や「スポンサー料」という名目で、莫大な利益供与がマスメディアに対して日常的に行われている。極め付きは、「創価学会新聞」の印刷が全国紙・地方紙を問わず、各地の新聞社の印刷所に委託されていることである。この委託印刷を引き上げるといわれたら、各新聞社とも経営的に大きな打撃を受けるので、「創価学会・公明党タブー」は依然として健在なのである。
だが、どれだけ実態を覆い隠そうとしても、内部矛盾の激化と組織の崩壊は避けられない。創価学会の信者であり公明党の支持者である多くの下層・貧困層は、実は小泉構造改革の最大の犠牲者なのである。その最大の被害者に対して加害者の自民党への投票を組織しようというのだから、これほど大きな矛盾はない。日々の生活に押し寄せてくる貧困の原因をデマゴギーで粉飾できるうちはよいが、餓死者が広がってくるほど貧困が深刻化してくると、やがてはそれで覆い隠せなくなる。そのときが、「創価学会・公明党の後退」ではなく「動揺と崩壊」がはじまるときなのである。
創価学会の信者は無くならないだろう。宗教を信じる気持ちは誰もが持っているし、信仰の自由は基本的人権として尊重されなければならない。だが、宗教政党としての公明党は別だ。政党は政治イデオロギーと政策で組織される政治結社である以上、その政治的欺瞞と虚構性は徹底的に批判され、暴露されなければならない。それは心あるジャーナリストの責務であり、また研究者・専門家の社会的責任でもある。
思えば、2007年参議院選挙は、安倍首相の掲げた改憲問題をめぐって戦われるはずだった。まさに「憲法9条問題」が戦後最大の政治的対決点として浮上していたのである。しかし現実の選挙戦では、安倍首相は年金問題の釈明に終われ、改憲を真正面から打ち出すことができなかった。それに代わって国民の最大関心事になったのは、年金問題であり、地域格差であり、階層格差という国民の生存権・生活権にかかわる政治課題だったのである。
かねてより「9条の会」では、「憲法9条と25条」をドッキングさせなければ、憲法を守る国民運動を末端まで浸透させることができないと指摘されていた。しかし今度の国政選挙を通して判明したのは、憲法25条の国民の生存権・生活権を守る戦いこそが現在の最大の課題であり、そのための新たな戦略の構築が求められているということだったのである。
「地方の反乱」と「下層の反乱」を結びつけるためには、「9条の会」などの護憲勢力と生活苦に喘ぐ国民各層との交流が必要だ。そのためには、創価学会をはじめ多くの宗教団体に「格差社会の根絶」を訴える対話活動をスタートさせてはどうだろうか。自民党の下っ端から抜けられなくなった公明党にはもはや未来はないが、「自公癒着」に違和感を覚える学会会員に対してはまだ希望を捨てたくないのである。(続く)