7月26日:現場からの「過疎地域サミット」を開こう、能登半島地震の示すもの(最終回)
毎日の新聞を見るのが怖いほど、次から次へと柏崎原発の被災状況が明らかになってくる。と同時に、東電の震災対策や被災時の対応の杜撰さとか、それを監督しているはずの国の原子力安全・保安院が、もっぱら東電の報告を受けているだけで自らが緊急調査に乗り出すのが決定的に遅れているとかで、危機管理体制がまったく機能していないことを知って背筋が寒くなる思いがする。
ちなみに、経済産業省の特別機関である「原子力安全・保安院」とはどんなところかというと、ホームページには「国民生活や産業活動に欠かせないエネルギー施設や産業活動の安全確保を使命とする組織です。事故・トラブルの未然防止、万一の事故への迅速で的確な対応、事故の再発防止に徹底的に取り組みます」と謳っている。また安倍内閣の甘利経済産業大臣のメッセージは、「世界で一番安全な原子力立国をめざして」というのだから、これだけ読めば立派なものだ。しかし現実には、原子力安全・保安院の院長が新潟県知事に対して「東京電力の対応は極めて遺憾なところがある。指導、監督する立場からも反省すべき点がたくさんある」と陳謝しているのだから、実態は推して知るべしだろう。
私は原発のことに関しては一般的知識しかなく(原子核工学・原子炉工学の専門家の友人は結構たくさんいるのだが)、これ以上のことはいえない。でもソ連時代のチェルノブイリ原発事故(炉心融解による暴走事故)の際に、当局が事故発生の事実を当初ひた隠しにした結果、それが保安工事関係者の無防備や周辺住民の避難の遅れにつながり、数十万人に上る犠牲者を生み出したことの恐ろしさを忘れるわけにはいかない。
東電も保安院も被災の事実を覆い隠すことなく有りのまま国民に公開し、今後の安全対策と復旧対策に全力を尽くしてほしい。そうでなければ、周辺地域住民の信頼を取り戻すこともできないし、「風評被害」といわれる周辺地域への国民の不安も拭えない。柏崎とは遠く離れた海水浴場や旅館街でキャンセルが相次いでいるのは、国民の原発事故への恐怖感の大きさを裏書きするもので、それが単なる「杞憂」であるとか、「根も葉もない噂」であるとかいった類のものでは絶対ない。それぐらい原発事故の影響力は大きいのである。
「風評被害」を消すために、「早く安全宣言を出せばよい」といった声も地元では強いと聞く。しかし、拙速的な対応で「安全宣言」を出し、もしその後に重大な事故の事実が明るみに出るようなことがあれば、周辺住民や国民の原発に対する不信感は決定的なものになり、「風評被害」は「実態被害」に転化することは避けられない。国の原子力政策もまた厳しい批判にさらされ、電力会社の営業運転にも重大な支障が出るだろう。
話を能登半島地震の本題に戻して、今回で最終回にしたい。私の問題意識は、被災地に対する当面の救援対策もさることながら、過疎化と高齢化が急速に進んでいて、もはや「限界集落」や「限界自治体」に達している能登半島のような過疎地域の中長期的な復興支援対策をどう考えるかということだ。そしてそのときに注目したのが、島根県中山間地域研究センターの活動だったのである。
研究センターの研究戦略は、いま必要な「すぐやるミッション型研究」を進める一方、長期的には「2020年代の持続可能な国土形成に向けた中山間地域の役割」を明らかにし、それを単なる主張ではなく「実践モデル」として構築しようというものだ。過疎地域に関する研究は膨大な蓄積がある。また過疎地域振興議員連盟など政治的な応援部隊もそれなりにいる。しかし現実の問題として、彼らは過疎化も高齢化も止めることができなかったし、現在の仕組みや制度ではそれが不可能なことも完膚なきまでに実証されているのである。
ならばどうするか。それは過疎の現場から自治体・住民と研究者が一体となった動きを起こす他はない。まず、中山間地域の過疎問題に取り組む全国の住民、農林漁業者、自治体関係者、研究者などが一堂に会する「全国過疎地域サミット」を開くことだ。第1回の開催地は、可能なら島根県中山間地域研究センターにお願いし、そこで寝泊まりしてこれからの運動方向を徹底的に語り合うことから運動をスタートさせることだ。
単なる研究交流集会や経験交流集会にしないことが重要だ。目的は過疎地域の振興であり、再生であり、復興である。研究成果も運動経験も行政施策も全てはこの1点に集中させなければ意味がない。また運動はどんな小さなグループでも、どんな地域でも、必ず実践することが前提だ。少しずつでもよいから具体的な行動を起こすことのなかから連携を取り合い、励まし合って過疎地域を持続させる運動を進めていくことが必要なのである。
いま国際的にみても、国家や国際機関が主催する数々の国際会議(サミット)に対して、「下からのサミット」が同時並行的に開かれている。「もうひとつの世界」を、現場から立ち上げようという社会運動であり、政治運動だ。「サミット誘致」に税金使って血道を上げ、周辺住民は警護のための「機動隊の壁」だけをみているような国際会議やイベントはまったく意味がない。
これまで地域問題の研究は、それぞれの専門分野の研究が縦割りで進められてきた。その限界を破ろうとして「学際的学会」も開かれるようになった。また行政分野では、国の省庁ごとの機関や地方自治体の関係機関がこれも縦割りで政策や事業に関する研究や研修の交流機会を設けてきた。でも過疎地域の復興問題はこんな既成の取り組みでは絶対にうまくいかないし、まして災害と過疎が重なったような場合はそうだ。「地べた」からの総力を上げた新しい取り組みや運動のデザインが必要なのである。
私は、「竹下王国」とも「青木王国」ともいわれる島根県で、このような中山間地域研究センターが生まれたことの不思議さと歴史的必然性を思わずにはいられない。土木公共事業の牙城であり中海の干拓事業を強行してきた島根県が、全国で最初・唯一のユニークな研究組織を作り上げられたのはなぜか。それだけ矛盾が深刻だったともいえるが、やはり「県」という広域地方自治体の持つ特徴と役割を上手に生かした「知恵者」や「優れ者」がきっと県庁のなかにいたからに違いない。
このような研究センターは市町村段階では到底できないし、といって国の発想から生まれるものでもない。また過疎地域そのものが市町村の枠を超えて広がっており、その意味でも県が取り組まなければ政策的にも効果を発揮できない問題である。だからこそ県自治体が取り組むべき課題なのだが、それが今までできなかったし、現在もできていない。石川県は「森王国」であり、島根県に劣らない土建王国であるにもかかわらず、そんな気配すら感じられないのである。
中越沖地震が起こってからは、「能登半島地震はもはや忘れられているのではないか」と、地元では心配が広がっているという。だとすれば、石川県の責任はますます重大ではないか。新潟に全国の関心が集中し、石川の能登半島がそのまま取り残されていくような事態はなんとしても避けなければならない。そのためには、ふたたび国民の目を能登半島に向けさせるような取り組みが求められる。それはなにかといえば、準備段階でもよいから、「プレ・過疎地域サミット」を地元で開いてはどうかということだ。
輪島市には谷口部長のような人材がいる。周辺の市町村にもきっと知恵者や優れ者がいるにちがいない。そんな人たちに呼びかけてまず地元市町村で構想を固め、つぎに石川県の有志に働きかけて島根県と連絡を取り、中山間地域研究センターのスタッフを能登半島に招いてプログラムを組めばよい。そうなれば全国から災害復興支援のボランティア団体もNPOも駆けつけ、きっと将来に向けた実ある話し合いができるにちがいない。
これは「思いつきのアイデア」でも「夢想」でもない。具体化の道筋はいろんなケースが考えられるであろうが、その方向性やコンセプトは確かなものだと自負している。だれかがこの日記を読んで、「やってみよう」と思ってくれれば、これに勝る喜びはないのだが。(終わり)