7月19日:日本最初、日本唯一の島根県中山間地域研究センター、能登半島地震の示すもの(第4回)
この日記の連載中に、またもや新潟と長野で地震が起こった。震度は前回の中越地震クラスだというが、震源地が山間部から海岸部に移動したこともあって、柏崎市を中心にする沿岸一帯に被害が集中しているようだ。とりわけ今回の地震では、世界最大の発電量(821万キロワット)を擁する東京電力柏崎刈羽原子力発電所において地盤や建物設計の上で「想定外」の事故が連続的に発生し、また消火体制においても信じられないような不備があったことが次第に明らかになってきている。柏崎市長が原発関連施設の停止を求めたのもそのためであろう。
実は、私が客員研究員を務めている関西学院大学災害復興研究所では、明日20日に新潟県の防災担当課長をはじめ数人の県スタッフと震災復興についての勉強会を予定していた。しかし、これで全てのスケジュールは吹っ飛んでしまい、いろんな研究課題のなかでも災害研究ほど現場と結び付いているテーマはないことを痛感した。このワーキンググループに参加している研究者のなかにはすでに現地に入った人もいるし、弁護士グループも地元の弁護士会と被災相談などの準備を始めている。とはいえ被災地の復興問題は、これまで繰り返し主張してきたように、長期にわたる「地域づくり」の課題と連動している。いや、「そのものだ」といってもよい。だからこんな緊急時にいったい何をしているのかとお叱りを受けるかもしれないが、ここ暫くは能登半島の復興問題について書かせてほしい。
前回の日記でも書いたように、能登半島地震の復興を考えるに当たって必要なことは、地元の石川県が過疎地域再生と災害復興支援を結びつけた本格的な常設研究機関をつくるべきだということだ。この点における先行モデルは、日本最初で唯一の「島根県中山間地域研究センター」である。しかし恥ずかしいことに、私はまだ島根県の中山間地域のど真ん中にある現地の研究センター(島根県飯石郡飯南町上来島)を訪問したことがなく、また研究上の交流もない。せいぜいメーリングリストに登録した程度だ。ただ人口学会が松江市で開かれたとき、島根大学の友人や県職員の話を聞き、また少なからぬ資料をいただいたこともあって、研究センターの設立趣旨や活動ぶりにいたく感銘を受けた。これこそが過疎地域における研究機関の姿であり、自治体や大学が取り組むべき研究課題だと思ったのである。
研究センターは、1998年に全国で初めて、そして唯一の中山間地域に関する総合研究開発機関としてスタートした。以降、農業試験場、林業技術センター、県有林事務所などの県試験研究機関との統合によって、社会・経済、農業・畜産・林業、鳥獣対策を束ねた横断的な研究体制を整え、研究開発・情報交流・実務研修の機能を持った拠点施設として2003年から本格的な活動を開始している。
私が感銘を受けたのは、まず第1に、研究センターの設立趣旨がきわめて明快であることだ。通常、県自治体などの試験研究機関の統廃合はリストラ関連のものがほとんどで、施設の統合が新しい研究テーマの開発や総合力の発揮につながる場合はそれほど多くない。研究者と施設の単なる「寄せ集め」にすぎない場合がほとんどなのである。しかし当センターの場合は、社会科学的な視点から「持続的な地域社会の形成を支援するシンクタンク」として、その中核的な役割の「地域研究の総合プロデュース機能」を果たす「地域研究グループ」をまず立ち上げたところがユニークだった。
中山間地域の主産業は農林業であるから、その生産技術や経営方法の研究開発は欠かせない。しかし問題は、日本の農林業がもはや単なる経営・技術指導だけでは維持できなくなっているということだ。後継者の確保も含めて地域社会の全体を維持することができなければ、「限界集落」がやがては「消滅集落」へと移行し、地域社会そのものが衰退と消滅に向かうことになる。だから中山間地域の研究は、少子高齢化問題への対応を含めて社会経済と技術との両面からの取り組みが求められるのである。
この点、地域資源と地域社会の総合的な環境管理を担う各専門分野の研究者からなる「地域研究グループ」は、総合的で実践的なテーマをこなしていくための5つのユニークな研究方法を掲げている。第1が住民・行政研究者の三者が参画する「参加型研究」、第2が各分野を横断して同時進行する「地域システム型研究」、第3が地域現場での実践を通して進化する「社会実験型研究」、第4が限定された期間で成果を出す「ミッション型研究」、第5が研究基盤としてのGIS(地理情報システム)に対応した「総合データベース整備」である。
これらはいずれも、一般的には学際的研究において提唱されてきた研究方法に他ならないが、それが中山間地域の持続的発展を図るための県自治体の総合的研究機関として自発的に実現に移されたところに多大の意義がある。そしてその中でもとりわけ注目されるのが、「限られた期間に成果を出す」という「ミッション型研究」の提起である。大学の研究者が往々にして「研究には時間と金がかかる」との理由で現場での実践的な研究から尻込みする場合が多いのに対して、ここには、「現場の問題から逃げない」、「一定期間内に必ず研究成果を上げる」、「研究成果を現場での問題解決に具体的につなげる」との堅い決意と使命感が見て取れる。
「ミッション型研究」が提起される背景には、それだけ中山間地域の矛盾が深刻であり、現場での危機意識が高いからであろう。島根県の中山間地域では、現在70歳代の「昭和一桁世代」が人口の6分の1を占め、今後25年間で人口が3割減少すると予測されている。従来とは異なった地域構造への転換と持続可能な地域システムの構築が急務の解題になっているのである。
それにしても同様の過疎問題を抱える他県で、このような発想や試みが出てこないのはどうしてであろうか。また国の農林水産省管轄の研究所から同様の研究方針が打ち出されないのはなぜであろうか。霞ヶ関や県庁所在地からでは、日本列島や中山間地域の現状や行方が見えないとでもいうのであろうか。石川県庁に働く職員の意識からは、能登半島の姿がすっぽりと消えてしまっているのだろうか。(続く)