7月9日:限界集落はどうなる、能登半島地震の示すもの(その2)
能登半島地震の最大の特徴は、日本の海岸部の過疎地域を襲った地震だということだ。中越地震の場合も中山間地域すなわち山間部の過疎地域の地震だった。阪神・淡路大地震のときは大都市の震災の凄まじさに圧倒されたが、過疎地域の震災は、被災者数や被災地面積がそれほど大規模でないこともあって、マスメディアの報道も国民の関心もいま一つのように感じられる。
過疎地域というのは、人口が少ないだけでなく、実は少子高齢化が極限まで進んでいる地域だということだ。「日本の未来の縮図」がそこにあるといってもよい。日本全体より20年ぐらい早く少子高齢化が進んでいるので、過疎地域でいま起こっていることは、いずれ「明日は我が身」に起こることなのである。
「限界集落」という言葉がある。高知大学で長年過疎山村地域の調査研究を続けてきた大野晃名誉教授(現在は長野大学教授)が10数年前に提唱した概念で、「65歳以上の高齢者が集落人口の半数を超え、冠婚葬祭をはじめ田役、道役などの社会的共同生活の維持が困難な状態に置かれている集落」(大野晃、「限界集落−その実態が問いかけるもの」、『農業と経済』、2005年3月号)のことだ。大野教授はまた、65歳以上の高齢者が総人口の過半数を占める過疎自治体を「限界自治体」と命名しており、この問題が単に集落レベルの現象に止まらないことに警鐘を鳴らしている。つまり市町村などの自治体レベルでもこれほどの少子高齢化が進むと、自治体としての実質的な存続が危うくなるというのである。
国土交通省国土計画局が行った「過疎地域等における集落の状況に関するアンケート調査」(2007年1月中間報告)によると、過疎地域を抱える全国775市町村の62271集落のうち、高齢者(65歳以上)が半数以上を占める集落は7873集落(12.6%)、集落の維持困難な集落が2917集落(4.7%)、機能低下した集落が5939集落(9.5%)、また「10年以内、あるいはいずれ消滅の可能性のある集落」が2641集落(4.2%)だ。消滅の可能性のある集落は、圧倒的に山間地の10世帯未満の小規模限界集落なのである。消滅の理由は、いうまでもなく「人口の自然減」すなわち高齢者の死亡による集落人口の滅失だ。
このように限界集落では、たとえ災害が起こらなくても消滅への道を着実に歩んでいるわけだから、地震など大災害に襲われればひとたまりもない。衰弱しきった身体に一撃を加えるようなものだ。最初の打撃をかわすことも容易でないし、まして急場を凌げても、その後の回復はきわめて困難な状況に置かれることになる。
「真の『安全・安心大国』をめざして」と題する2006年国土交通白書は、「わが国の国土の約7割の面積を占める中山間地域や沿岸地域においては、自然災害が発生した場合、地形条件、交通アクセス等から孤立集落がしばしば発生してきた」と述べ、農業集落58799のうち17451集落(29.7%)、漁業集落6246のうち1787集落(28.6%)、合計19238集落(29.5%)が孤立する可能性があると指摘している。
幸い能登半島地震では孤立集落は出なかったが、地震は高齢者を直撃した。高齢者がとくに被害を受けやすかったというよりは、被災地の人口がもともと物凄い勢いで高齢化が進んでいたのである。2005年10月の国勢調査では、被災自治体の65歳以上人口比率は、門前町47.1%(2006年2月、輪島市と合併)、穴水町35.9%、能登町35.5%(2005年3月、能都町・柳田村・内浦町合併)、輪島市31.4%、志賀町31.1%(2005年9月、富来町・志賀町合併)、中能登町27.2%(2005年3月、鳥屋町・鹿島町・鹿西町合併)、七尾市26.5%(2004年10月、七尾市・田鶴浜町・中島町・能登島町合併)などという高位の数字がズラリと並んでいる。
なかでも驚くのは、合併前の門前町の50%近い高齢化比率だろう。これはもう立派な「限界自治体」だといってもよい数字だ。そんな門前町がこれも高齢化率が30%を超えている輪島市と合併したのだから、家族でいえば「老老介護世帯」(高齢者の子どもが高齢者の親の面倒をみる家庭)になったようなものだ。そこで地震が発生し、旧門前町(輪島市門前地区)は全壊44棟、半壊96棟と最も大きな被害を受けたのである。
新聞報道や現地調査をした人たちからの情報によれば、当日の地震発生時刻がたまたま地区の行事と重なっていて、多くの高齢者が外に出ていたこともあって難を免れたというが、家屋倒壊による死者・行方不明者がゼロだった最大の背景には、この地区が地震発生から僅か数時間ですべての高齢者の安否を確認できる体制を確立していたことがあった。門前町では合併前から「寝たきり」、「独り暮らし」、「夫婦のみ」などと地図上に色分けした「高齢者マップ」をつくり、また更新も怠らないで、役場と民生委員が同じ地図を持っていざという時の体制を整えていたのだった。
そして地震が発生したとき、役場支所が地区内の民生委員全員に災害緊急電話で高齢者の安否確認を依頼し、民生委員が各自戸別訪問をして高齢者を避難所に誘導するという方法がとられた。そのことが、日頃の災害避難訓練の成果も含めて、地区人口の約半分にも達する3700人余りの高齢者の無事を守ったのである。
だが、本当の問題はこれからだ。高齢者はこれから生きていかなければならないし、また地区はこれから持続的な復興を遂げていかなければならない。しかし高齢者は日に日に年をとっていく。いわば「時間との戦い」のなかで、いったいどんな「復興プログラム」を考えればよいのか。
大都市はたとえ被災地であっても「消滅」することはない。被災地から人口が流出しても、また新しい人口が流入してくる。阪神間の被災地はこうして復興に向かって立ち上がってきた。だが人口が「減る一方」の過疎地域、なかでも限界集落ではこのような展望は描けない。(続く)