6月22日:平成市町村大合併をめぐって、地域住民のアイデンティティ・クライシス(その1)

 私は基本的には市町村合併に大反対である。どんなに小さな町や村であっても住民生活と住民自治の基礎が地方自治体にある以上、それがこと志に反して強制的に合併させられるなど「もっての外」だと思っている。

だが、小泉内閣の下ではじめられた市町村合併の嵐は数年余りで全国を席巻し、市町村数は1999年度末の3234(670市、1994町、568村)から、2006年度末には1821(777市、846町、198村)と半数近くにまで激減してしまった。僅か7年の間に、実に1148の町、370の村が姿を消してしまったのだ。およそ日本の「町」と「村」の3分の2が消えて(消されて)しまったことになる。こんな乱暴な自治体再編は、世界の国のどこを探してもみつからないのではないか。

その結果、「市」だけが107増えたが、それはかっての都市的なイメージの市とは似ても似つかぬものだ。実態は「超広域農山村地域連合体」あるいは「中心都市+周辺農山村地域広域連合体」ともいうべきもので、およそ「市」と呼べる代物ではない。「名は体を表す」というが、「名が体を表さない市」が粗製乱造されたのである。

「市町村」という自治体名称は、もともと伊達や酔狂でつけられた名前ではない。基本的には人口規模にしたがってのことであるが、「市」と「町」と「村」は、明らかに地域イメージからいっても住民気質からしても異なったアイデンティティ(自己認識、個性)を持っている。それぞれの自治体名称に一律的に住民の「民」をつけた場合でも、「市民」、「町民」、「村民」から受ける印象は明らかに違う。事実、印象だけでなく、それぞれの地域の住民の性格や考え方は大きく異なり、そこで形成されている地域社会・コミュニティの色合いも悉く違うのである。またそれが、地方自治の根底を成す地域社会の存在意義だというものだろう。

ところが小泉構造改革に基づく平成大合併は、歴史的に形成されてきた市町村のゆたかな個性や自立性を壊して、全国一律の「のっぺらぼう」の「市」に変えてしまった。国が治めやすい「行政区画」としての「市」である。いま政府内ではもっぱら「基礎自治体」という無機的な名称が氾濫しているが、そのうちに「市」という名称さえ消されるときがくるのではないか。

だから合併後の自治体は、いま全国どこでもひどい混乱に陥っている。町役場や村役場がある日突然に一緒になったものだから、職員間の人間関係の調整だけでも大変だし、仕事の連携もすぐにはうまくいかない。それに何よりも住民自身が戸惑っている。近くにあった役場は市役所の「支所」は「出張所」になってしまって、顔見知りの職員の多くがいなくなってしまったので、相談事ひとつにしても遠くの「市役所」までわざわざ出かけなければならなくなったのである。

それだけではない。住民の多くが「私はだれ」といった「アイデンティティ・クライシス」(自己同一性認識の危機)に陥っている。「アイデンティティ・クライシス」とは、自分の実態や所属がわからなくなって心理的に不安定になっている状態のことだ。このことに最初に気づいたのは、日本一の超広域大合併をした岐阜県の高山市に調査に行ったときのことだった。高山市の「市民」になった奥飛騨地域のかっての「むらびと」たちは、合併後の「高山市民」という名称との間に、埋めようのない空虚感と絶望感を感じていたのだった。

高山市は、旧高山市を中心にして奥飛騨地方の7つの村と2つの町を吸収合併してできた「市」である。人口は9万7500人、面積は大阪府や愛媛県よりも広く、東京都に匹敵する2180平方キロ(東西約81キロ、南北約55キロ)の日本一広い「市」だ。県境では、長野・富山・石川・福井の4県と隣接するという想像を超える広さなのである。積雪期には豪雪の山間道路を数十キロも走らないと市役所に行けないという広さなのである。

しかし驚くのは早い。高山市の広域合併構想は当初はもっと大規模で、岐阜県北部全体がすっぽり入る飛騨地域1市3郡20市町村の大合併を想定したものだった。これら地域の人口は16万8千人で県人口210万8千人の8パーセントに過ぎないが、面積は4161平方キロで県面積の39パーセントを占め、地図上の直線距離にすると南北90キロ、東西75キロにわたる広大な中山間地域だった。市町村合併というよりは「県の分割」といった方が適切かと思うほどの超広域合併構想だったのである。しかしさすがにこれだけの大規模合併になると不安の声が相次ぎ、北部の吉城郡6町村のうち4町村が別に合併して飛騨市となり、南部の益田郡5町村はそのまま結束して下呂市を結成し、そして白川村が独立を選択するに及んで、残りの9町村が高山市へ編入してこの一大合併劇の幕は閉じられた。

そして合併に伴う当面の暫定措置として、役場や保育所などを含む9町村の約640人の旧職員のうち6割強に当たる約400人余りは各総合支所(旧役場)に残され、後の200人近くが市役所へ異動となった。したがって市役所には現在、旧高山市の職員を加えて800人近い職員が在籍しており、総合支所を合わせると1250人の職員を抱えているわけである。新高山市長は近い将来これを3分の2の800人程度に削減する予定だという。

そうなると編入町村の総合支所には全部合わせてせいぜい100人程度、1支所10人前後の職員しかいないことになり、この僅かの職員で人口1千人から4千人の高齢化した住民が散在する200〜400平方キロの山間地域の行政サービスを担うことになるのだから、それがどんな困難な状況を意味するかは想像に難くない。遠からずして可住地の大々的な収縮・縮小が現実化することは必至だろう。

すでに2005年度には職員100人、嘱託職員33人の削減が実行された。また644公共施設のうち直営施設として残すのは学校など167施設だけで、移譲・譲渡・廃止するのが108施設、指定管理者制度の管理に移すのが399施設という「仕分け」作業が完了していて、06年度には181施設に指定管理者制度が導入された。その中には、火葬場、診療所、ごみ処理、児童館、市営住宅、公園、上下水道、学校用務、スクールバス、学校給食、図書館、福祉センター、デイサービスセンター、老人の家、公民館、体育館、文化施設などほとんどの公共施設が含まれている。また移譲施設のなかには、保育園、特別養護老人ホーム、農業生産施設、畜産振興施設、地区公民館などが含まれている。

こんな広域合併は「例外」だと考えたいが、現実はそうでもない。お隣の滋賀県でも面積500平方キロに達する超広域合併が進んでいる。そのなかの一つが琵琶湖湖西地方の旧高島郡5町1村を1市に統合した島市だ。合併当時の人口は55700人、面積は511平方キロの広大な農山村地域だが、JR湖西線が平野部を走っていて京阪神大都市圏と直結しているところが過疎地域の中山間地域とは違う。

ここの合併後のまちづくりや住民と行政の協力関係のあり方、あるいは新旧住民間を結ぶコミュニティづくりなどについて、龍谷大学の研究チームが島市と一緒になって考えることになった。市町村合併の反対論者の私が(皮肉にも)その責任者となり、合併後の問題処理と今後の方針展開の処方箋を求められることになったのである(続く)。
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