6月5日:「同一職場・大量採用」が京都市同和犯罪・不祥事の背景
(2008年京都市長選挙を迎えて、最終回)
なぜ京都市でかくも同和犯罪・不祥事が続発し、根絶出来ないのか。その背景に同和選考職員の同一職場への大量採用があることは明白だ。結論的にいえば、属地属人主義同和行政の「職場版」が同和選考採用制度だということなのである。
京都市職員の給与など人件費は市民の税金でまかなわれている。職員が何人いていくら人件費が支払われているか、情報公開の最初に記載されるべき重要事項である。ところがこと同和選考採用職員数に関しては、京都市のあらゆる公開資料をみても一切記載されていない。たったひとりで長年にわたって同和行政の情報公開運動に取り組んできたフリージャーナリストの寺園敦史氏でさえ、正確な同和選考採用職員数を掴んでいないというから、その「秘匿度」は並外れている。
同和地区出身者を運動団体の推薦によりフリーパス(健康診断以外はチエックなし)で技能労務職の市職員に雇用する「同和選考採用制度」は、船橋市政(1971年)から本格化し、桝本市政(2002年)に至るまで実に32年間にわたって継続した。現在は表向き廃止されたとされているが、しかし実態は公表されていないので本当かどうかわからない。
2006年現在、京都市職員の概数は16700人、市長部局9700人、現業部局7000人である。このなかで「技能労務職」が集中している職場は、環境局(まち美化事務所)、都市建設局(土木事務所)、交通局(バス部門)、上下水道局、教育委員会(給食調理、用務)などであり、技能労務職は市長部局では環境局を中心に約2500人、現業部局では全体の半分約3500人が就労しているものと思われる。これらの技能労務職はほとんどが同和選考採用職員だから少なく見積もっても総数は6000人前後に達し、京都市全職員の3分の1を上回る数になっている。言い換えれば、地方公務員としての資質や資格を何ら問われることなく、京都市職員になっている人間が市役所全体の3分の1以上を占めているというわけだ。こんなことは、「解同天国」といわれたさすがの大阪市でもみられない。
その結果、京都市の同和地区有業者数の4割は公務員であり、他の政令都市(1割強)の3倍から4倍の比率に達している。同和地区で仕事に就いている者の2.5人に1人が公務員だということは、平均するとほぼ1世帯(家族)に1人の公務員がいることになる。要するに、地区内のほとんど全ての家庭が京都市民の税金で飯を食っているわけだ。こんな異常な事態は、果たして憲法22条に保障された「職業選択の自由」に反しないのだろうか。
属地属人主義同和行政によって地区住民と一般市民との自由な交流が妨げられ、「純粋な部落」が保存されてきた結果、歴史的に蓄積されてきた部落の生活様式の後進性や文化性低位の後遺症は克服されることなく現在まで続いてきた。運動団体自身にその自覚がないから、個人が気づかなければ克服のしようがないのである。それが「職場」にまで増幅されたのが、同和選考採用制度の本質なのである。
つまり「居住」と「職場」の両方が属地属人主義同和行政で覆われることになった結果、地区住民は一般市民と同じ職場で働き、同じ地域で暮らす自由を奪われることになり、自らのライフスタイルや労働様式を見直す機会を失ってしまったのだ。普通の家庭や一般市民が身につけている生活マナーや労働規律を日常的に学ぶ機会を逸してしまったのである。なぜなら、属地属人主義同和行政と同和選考採用制度によって、地区住民が家でも職場でも従来からの同じスタイルで過ごす(過ごせる)ことが可能になったからである。
地区住民の生活様式の後進性や文化性低位の根源は、基本的には労働規律の欠如にある。かって地区住民がまともな職業につけず、雑業で家計を賄わなければならなかった時代は、規則的な生活様式と労働規律の獲得は困難だった。しかしそれが普通の職場の仕事に就けるようになると、そこでの労働規律を守り、人間関係に習熟しないとやっていけなくなる。こうして地区住民は生活様式の後進性と文化性低位を克服し、人間性と人格の陶冶・形成の道を歩き始めることができた。
だが、それを決定的に阻んだのが京都市の同和選考採用制度である。特定の職場の技能労務職に地区住民がフリーパスで大量採用され、しかもほとんどが部落出身者で占められるようになると、そこでは「職場の規律」よりも「部落の慣習」が支配するようになる。地区内での日常生活のリズムがそのまま職場に持ち込まれ、「公私の区別」がつかなくなる。遅刻や早退、無断欠勤なども特に意識されることなく日常生活上の延長としてあらわれる。そしてその果てに犯罪や不祥事が頻発しているのである。京都市の人事管理規則や労務管理が宙を浮くのもむべなるかなというべきだ。
このような構造問題を職場に持ち込んだ京都市の責任は重大だ。というよりも、現市長をはじめ議会・運動団体・労働組合など各関係者の責任は「万死に値する」といってよい。だがはっきり言って、この問題を京都市の人事管理上の改善や運動団体の自助努力だけで解決することはもはや不可能だと私は考えている。それぐらい問題は深刻であり、事態は「病膏肓に入る」状況になっているからだ。
ではどうすればよいのか。もちろん解決の糸口は、「市民ウオッチャー・京都」の提言の実行から始められなければならないだろう。しかしそれと同時に、「同一職場・大量採用」の弊害にメスを入れる外科的手術が必要だ。まず、「不良役人」は容赦なく辞めさせる。これは民間でも役所でもごく当たり前の原則だ。次に各職場で「選考採用職員比率」を3年で5割、5年で3割程度に下げる。これは定員不補充と人事異動によって実現する。他の職場への人事異動に必要な職業研修を徹底して行うことはいうまでもない。しかしそれでも効果が上がらない場合(労働規律が改まらない場合)は、大胆な民営化方策の検討も必要だろう。
「公務労働」の意義は、公務労働者が市民のために働き奉仕することにある。しかし京都市の同和犯罪・不祥事の頻発は、「公務労働」の存在意義が根底から崩壊していることを示している。ならば、このような職場を「公務」として維持する必要はさらさらない。同和系の民間会社が同様の問題を抱えているとすれば、市民団体が新しいタイプの「ごみリサイクル企業」を立ち上げ、それに順次業務を移管していくことも考えられよう。要するに、「働かないものは去る」、「働かない者の職場はなくす」の原則を確立しなければ、同和犯罪・不祥事の再発構造を根絶することは不可能なのである。
次期市長候補は、このことを公約に掲げて闘ってほしい。