5月29日:同和地区住民の文化性低位の基盤は属地属人主義同和行政
(2008年京都市長選挙を迎えて、その4)
これまで同和地区住民の生活文化の後進性すなわち文化性低位の問題は、そのことを指摘すること自体が「差別行為」だとして「タブー視」されてきた。極端に言えば、同和地区で発生するさまざまな社会問題はすべて「外からの差別」の所為とみなされ、地区住民自身の「内なる自己責任」が問われることはほとんどなかったのである。
同和研修はもっぱら地区外の「一般市民」がその対象であって、地区住民が人間性や人格を高めるための主体的な学習の場として自ら活用することは皆無に近かった。部落開放同盟(解同)が「学習会」と称して京都市民の税金を湯水のごとく浪費し、温泉旅行を毎年のように重ねていたのが、地区住民の「学習」の実態だったのである。
子どもの学力問題ひとつをとってみても、地区の子どもの低学力や低進学率はすべて社会的差別の所産であって、子ども自身に勉強する意欲がない、勉強する習慣がない、勉強するために必要な最低限の生活習慣が確立していないなど、子ども自身の人間発達に関する根本問題が素通りされてきた。要するに、子どもが勉強しないことの原因は「外側の条件」にあるのであって、「子ども自身」にはないという「逆立ちした論理」が地区住民の間で罷り通ってきたのである。
だから、「同和指定校」では一般校にはない特別の校舎基準や教員配置基準が適用され、「手取り足取り」の手厚い特別授業が行われてきた。また同和地区住民の子弟にだけ適用される奨学金も、家庭の経済状況の如何にかかわらず長年にわたって支給されてきた。そして、こんなに手厚い同和教育によって育てられた地区住民の子弟が京都市職員に採用されたいま、信じられないような犯罪や不祥事を繰り返しているのである。
歴史的に形成されてきた生活文化の後進性を克服し、「普通の人間」「一般市民」としての社会的常識や教養文化を身に付け、人間性と人格の発展向上にとって必要不可欠なけじめのある生活ルールとライフスタイルを獲得することが、部落運動の究極の目標であったはずである。にもかかわらず、この目標が「属地属人主義同和行政」と運動団体の「物取り主義闘争」によって歪められ、現在のような同和犯罪・不祥事という結果になったところに、京都の同和問題の最大の不幸がある。
私は、同和行政にとって、憲法14条、25条そして22条の視点が重要だとかねがね力説してきた。いうまでもなく14条は、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」といかなる差別をも禁じ、25条は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」として生活のナショナル・ミニマムを保障し、22条は、「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」として居住・移転の自由を国民の基本的人権として保障したのである。
憲法の規定からすれば、同和行政は、部落差別をなくすために(14条)、同和行政を講じて生活改善を図り(25条)、地区住民と一般地区住民の自由な交流を通して(22条)、部落を普通の居住地にしていくための時限的な特別措置であった。同和行政は、この憲法の精神に則って厳密に執行されなければならなかった。
しかし現実の京都市の同和行政は、「属地属人主義」(部落出身者でありかつ部落住民でなければ同和行政の対象にしないという方針)のもとに執行された。たとえ同じ地区の劣悪な環境に住んでいても、部落出身者でない住民や在日外国人は同和事業の対象からはずされ、改良住宅に入居することを認められなかった。差別を無くすための同和行政が、「属地属人主義」という「線引き」(差別)をして適用されたのである。(この措置は、当初は、同和事業の拡大を恐れた政府や自治体の思惑に基づくものであろう)。
今日に至る部落運動のボタンの掛け違い(誤り)は、実はこの「属地属人主義」に基づく同和行政を運動団体や地区住民が(実質的に)容認した瞬間から始まった、というのが私の見解である。同じ貧しい境遇に喘ぐ近隣住民が「部落出身者でない」という理由だけで目の前で同和事業から排除されていくのを、運動団体は理由はどうあれ容認したのである。
確かに、当時の「長年の差別に苦しんできた自分たちが先だ」という感情は理解できる。しかしこの方針がその後もずっと継続するとなると、話は別である。そこには、貧しくて虐げられ差別された人間同士を結ぶあたたかい連帯感やヒューマニティが感じられない。人間としての尊厳性を取り戻す運動には不可欠な「ミッション」(使命感)が感じられないのである。
こうして属地属人主義に基づく同和事業が部落出身者によって独占され、既得権となり、やがて同和利権に結びつくようになっていくと、運動団体や地区住民の間から「普通の人間」や「一般市民」になっていくという目標が消えていくのは当然だろう。「自分たちだけが甘い汁を吸う」ためには、「一般市民とは違う」ことを運動の基礎にすえなくてはならなくなるからである。
属地属人主義同和行政はまた「改善された部落」を再生産し、結果として地区住民の「居住・移転の自由」を封じてきた。部落出身者だけに入居を認めた改良住宅は、「部落をなくす」ための同和事業であるにもかかわらず、「部落を残す」、「部落を拡大する」ための事業として機能してきた。その結果、同和地区住民と一般住民との交流の自由が阻害され、生活の後進性すなわち文化性低位の基盤となった生活様式の改善が著しく遅れることになった。
加えて最近の十数年の間に、京都市の同和地区においてはかってない構造変化が進行している。それは地区住民のなかの恵まれたファミリ−層が地区外に急速に転出していることである。子どもの将来を考えれば、このまま同和地区に残ることはできないと考える住民が多くなったのである。子どもが普通の市民としての教養文化とライフスタイルを身につけるためには、地区を出る以外にないと考える人たちが増えたのである。
そうなると、同和地区の現状に批判的な住民がこれからも地区から続々と転出していくことは避けられない。すでに住民が半減あるいは1/3近くになった地区も珍しくない。同和地区は地区住民からも棄てられ始めているのである。このままの状況が続けば、地区は遠からず自立できない社会的弱者やアウトロー集団の溜まり場となるほかはない。京都市の同和選考採用職員問題は、このような同和地区の構造変化を背景にして噴出しているのである。(続く)