5月22日:京都市職員同和犯罪・不祥事問題の根源、
(2008年京都市長選挙を迎えて、その3)

前回の日記で、「京都市職員の同和犯罪・不祥事問題の根源は、実は地区住民の人格形成や人間性陶冶の欠如に起因している。負の遺産としての文化性の低位が克服されず、それが運動団体を媒介にして市役所の職場の中で歯止めのない肥大化・増殖を遂げたところに、同和選考採用職員問題の格別の深刻さがある」と書いた。

これまで、京都市の同和選考採用職員問題は市民の前に一切公表されて来なかった。職員採用はすべてが運動団体と市当局の間で「密室取引」され、ことは「闇の中」で実行されてきたのである。これは、「密室」と「闇の中」でなければ、到底、「世間では通らない話し」であることを運動団体も市当局もよく承知していたからだ。それは「お天道さんの下には決して出せない出来事」だったのである。

それでは、数千人にも上る同和選考採用はいったいどのようにして行われてきたのか。京都市の職員は、市民の税金で雇われているれっきとした「地方公務員」だ。「市民の公僕」であり「市民の奉仕者」であるためには、「公務労働者」としての職業倫理を自覚し、「公務」を遂行出来るだけの充分な資格能力を備えていなければならない。そのために採用にあたっては、厳正なルールに基づいて人事採用試験が行われる決まりになっている。これは公務員になるための必要最小限の関門だ。(このルールに反して不当に職員を採用したときは、市長の辞職をはじめとして厳しい社会的審判が行われることは、最近の加西市の例でも明らかである)。

ところが、こと京都市の同和選考採用に限っては、30年有余にわたって採用試験が一切行われて来なかった(現在、表向きには廃止したことになっている)。具体的に話そう。たとえば毎年数十人の現業職員の採用予定があるとする。この採用枠を市当局は運動団体との密室取引(解同はこれを「対市交渉」と称している)を通して、各々の運動団体の勢力関係に応じて割り振る。すると各運動団体では、幹部が自分たちの裁量で必要人員を「選考」する。そして市当局はこの人員を無条件に「京都市職員」として採用するのである。

ことの意味するものは深刻だ。まず公務員の採用という「公務中の公務」が特定の運動団体の手に握られていた(いる)ことの重大さである。どんな基準で「選考」されてくるかが市当局には一切わからない。だから、「どんな人物」が京都市の公務員になってくるかについて、京都市は完全に人事管理権を放棄していることになる。後でわかることだが、採用後に職場で犯罪や不祥事をひき起こした問題職員(寺園氏はこれを「不良役人」とネーミングしている)のなかで、少なくない部分が元暴力団員(現職の暴力団員も含まれている)であったり、麻薬常習者であったり、またいったん懲戒解雇を受けた者が再び「選考」されてくるような例が後を絶たないのはこのためである。

おまけに、運動団体による同和選考採用が「同和利権化」しているとされていることも問題の深刻さに輪をかけている。京都市の職員になるためには、まず運動団体に加入しなければ選考対象にされない。それに「解放運動」に精を出さないと優先枠をもらえない。だから運動団体主催の集会に動員されて点数を稼ぐ。しかしそれだけでは駄目で、幹部との特別のコネでもない限り、それ相応の「選考料」(年収の半分程度といわれている)を払わないと選考してもらえないというのが通り相場だそうだ。もしこれが本当だとしたら、幹部の懐には毎年膨大な収入(利権)が転がり込むことになる。

同和選考採用職員のなかには、「自分は京都市に採用された職員」であるというよりも、「運動団体幹部にお世話になった一員だ」と思う人間が数多く存在する。いわば同和選考採用を地区住民の「権利」あるいは「特権」だと考え、その権利行使が運動団体すなわち団体幹部にあるとみなしているのである。だから職場では、市当局のいうことに聞く耳を持たない空気が普通になっている。京都市の職場規律や人事管理が現業職場でいっこうに機能しないのはこのためである。

当然のことながら、そんな職場では多数の規律違反や不祥事問題の発生が常態となる。無断欠勤や早退も多発する。そんなときに市当局はどうやって職場の「穴埋め」をするのか。しかし、そのときが職場にいる団体幹部の出番なのである。幹部の「威光」をもって不断から手なづけている部下を動員し、欠勤や早退の穴埋めに走り回る。それが運動団体の値打ちであり、幹部の存在意義を示す絶好の機会だというわけだ。いわば「マッチポンプ」の役割を運動団体の幹部が引き受けているのである。

こうなると、市当局は運動団体幹部に「借り」ができる。この「借り」はどこかで返さなければならない。京都市で出世していくタイプの人間は、この「貸し借り」が上手な「労務屋」というのが専らの評判である。現市長も教育委員会の「労務屋のトップ」として頂点まで上り詰めた人物だ。現業職場で運動団体幹部を通して最低限の職場秩序を維持する能力に長けた人物が、京都市の管理職として出世していく仕組みが、この30有余年の間に市役所のなかで牢固として出来上がっているのである。

京都市の同和選考採用職員の不祥事問題は、これまでは「一部の者の心得違いの仕業」であって、「大多数の職員は真面目に働いている」というのが公式見解であった。だがこれだけの不祥事が多発・継続し、しかもそれらの多くが悪質な犯罪に転化している実態をみるとき、もはやそれらは同和選考採用に起因する「構造問題」と考えなければ抜本的な対策がとれないことは明らかであろう。そしてその抜本的な対策とは、選考採用職員はもとより地区住民全体にかかわる人格形成や人間陶冶の課題で直結するものでなければ意味をなさない、と私は考える。(続く)
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