5月7日:大型連休の私流すごし方

 「この連休はどこへも行かない!」と、以前から固く心に誓っていた。この間、出張続きで仕事が大幅に溜まっていたこと、それになによりも身体がへばっていたことが最大の理由である。実は神戸の震災復興研究センターの面々からも、連休中に能登半島の被災地調査に行かないかと(しきりに)誘われていたのだが、今度ばかりはいろんな口実を設けてサボらしていただくことにした。(みなさん、御免なさい)。

 それから、5月3日の京都会館で開かれた憲法集会にも行かなかった。決して護憲の志を失ったわけではないのだけれど、研究室から個人的にエールを送ることで勘弁してもらうことにした。(でもこれは言い訳です。主催者の方々、そして掲示板によくご意見をいただく東京の千坂さん、神戸の猪野さん、申し訳ありません)。

 ということで、4月29日から5月6日までの8日間、いったい何をしていたのかというと、これはもう自宅と研究室をほとんど毎日ピストン往復して、ひたすらパソコンと向かい合っていたという次第である。1年のなかで最も新緑の美しいこの季節に、こんな風変わりな連休の過ごし方をしているのだから、「我ながら呆れてしまう」と言いたいところだが、毎日、けっこう変化があって面白いのだから不思議なものだ。

 以前にも書いたことがあるように、私の研究室はロースクール(法科大学院)の教室や研究室がある棟の一角にある。本部キャンパスから少し離れているので普段でも静かなのだが、この連休中はまさに静寂そのものだった。それでいて少数の先生と相当数の学生たちは毎日出て来ていて、研究や学習に余念がない。学生たちは、図書館(分館)付きの24時間使える学習室と自分の机を与えられているので、講義以外の時間はほとんどそこで過ごしているようだ。深夜になっても灯が消えたのを見たことがない。一般の学生や大学院生からみれば破格の扱いだが、授業料も滅法高いのだから当然というべきだろう。

私の大学生活は結構長い。しかしその間、これほどよく勉強する学生たちはみたことがない。文字通り「学生」という名にふさわしい若者たちだ。それも女性が半数近くいるのだから、彼・彼女たちが法曹界で活躍する日が楽しみだ。でも司法試験の合格率は平均で3〜4割というところだから、その重圧は相当なものだろう。こんな毎日に耐えきれなくなって、休学したり退学したりする学生も少なくないという。

連休の合間には、社会人大学院生の論文指導の時間もあった。私の担当する社会人院生は男女2人で現職の地方公務員だ。都市計画と社会教育の仕事をしている中堅幹部の方々である。役所のなかでも一番忙しい年代の人たちだから、研究の時間を確保することは並大抵のことではないだろう。文字通り「身を削って」、仕事の合間になんとか研究時間を捻出する毎日なのではないか。家庭生活への影響も大きいことだろう。うちひとりの方は、こんな仕事と研究の「二重生活」の無理がたたって一時は入院する破目になったのだから、きわめてハードな生活であることは間違いない。

そんなこともあって、論文指導の時間はできるだけこの人たちの都合に合わせるようにしている。原則として、ゼミの時間は職場が終わってから大学に駆けつけられる平日の午後7時から10時近くまでとし(土曜日は朝から晩まで講義がぎっしりと詰まっているので)、各自に論文レジュメを発表してもらって3人で議論するというやり方で進めている。ゼミが終わってからの帰宅時間はおそらく「午前様」近くになるのではないか。それでも社会人の場合は経験が豊富なので、私とのやりとりよりも院生相互の討論の方が面白い。私自身が教えてもらっているようなものだ。連休中の合間も休まず、3人でキチンと議論をした。この人たちをみていると、全く頭が下がる。研究に専念出来る自分がどれだけ恵まれているかがよくわかるからだ。

こんな毎日だったが、1日だけ外出した。この時期に行われる恒例の古書大即売会に出かけるためだ。京都では例年、春、夏、秋に大古書市がある。春は岡崎公園の京都市勧業館(みやこめっせ)、夏は下鴨神社の境内、秋は百万遍知恩寺が会場となる。今年は京都の古書店でつくっている「古書記念会」の30周年だそうで、50万冊に上るさまざまなジャンルの古本が出品された。各店のブースが会場にズラリと並んでいて、そこに思い思いの古本が溢れている。これをざっと一回りするだけで3〜4時間はかかる。

古本市の楽しみは、なによりも「掘り出し物」があることだ。狙ったものがあることはまずない。目標を定めていくとガッカリする事が多い。だから、いつも全くの白紙状態で行くことにしている。「犬も歩けば棒に当たる」の心境だ。しかし実は、これが古本探しの極意なのである。東京神田の古書店街でも、ふらっといった時の方がはるかに収穫が多い。今回の古書市でも高価な稀刊本や学術書は敬遠して、もっぱら新書や選書などの廉価本を中心にして探した。

 嬉しいのは、同じ本でありながら価格が安い本を見つけた時のことだ。今回のような大型の古書市になると、同じ本が違った書店の棚に結構並んでいる。逸る心を抑えてじっくりと見て回り、最後に最低価格で入手した時など「やった」と思う事もしばしばだ。今回も世界都市に関するシリーズが最初の方のコーナーでは各2千円で並んでいたのを、奥の方のコーナーで1冊500円の値札が付いているのを見つけた。北京・東京・ロンドンの3冊本である。心の中で快哉を叫んだのはいうまでもない。

往復する道すがらの風景ウオッチングも楽しみのひとつだ。毎年この季節になると、「京都新緑百選」といった企画記事が新聞に掲載される。今年はそのなかに京都教育大学のキャンパスが入っていた。国立大学のなかでは最少の部類に属する小さな大学だが、緑あふれるキャンパス環境は本当にすばらしい。以前、同大学の運営諮問委員をしていたとき、キャンパス緑被率(全面積に占める緑空間の割合)は、国立大学のなかで最も高いと聞いた。そのキャンパスを往復の経路に(勝手に)組み込んで緑を楽しんでいるわけだ。正門の守衛さんともすっかり顔なじみになって、毎朝挨拶を交わす仲になってしまった。(ひょっとすると私を京教大の先生だと思っているのかもしれない)。

京教大の裏門を抜けると、琵琶湖疏水分流の伏見疎水の側道に出る。歩行者専用道路なので車は来ないから安心して歩ける。今年は例年にも増して水量が豊富で、川面の風も一段と心地よく感じる。近所の家の軒先でヒナを育てている親燕が絶えず水面近くを飛び回って虫を捕らえている。また疎水縁には住宅が並んでいるが、そこの人たちが側道にいろんな草花を植えていて、毎日草を抜き、水をやって丹精を込めて育てている。この数日間はシジミ蝶やモンシロ蝶が乱舞していた。それを「只見」しながら歩いていくのは、贅沢であり快適そのものだ。

こうして私の連休は終わった。静寂だったキャンパスにはまた学生たちが元気に戻ってくる。

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