4月24日:夕張選挙にみる統一地方選挙の残像

 前回の日記を統一地方選挙前半戦の投票日直前に書いてから、もうかなりの時間が経過した。3月末から小樽と夕張の調査結果を7回にわたって集中的に連載したので、少し疲れたこともある。しかしそれ以上に、今回の統一地方選挙は盛り上がりが少なく、その雰囲気に染まってしまったのか、いささか意欲を喪失していたことも原因の一つだ。

 ホームページの掲示板にも、神戸新聞の元女性記者の方から「今回の選挙は盛り上がりに欠けている」とのご意見をいただいた。私と同じようなことを感じておられるらしい。でも、どうすれば盛り上げることができるのか。この沈滞ムードそのものが、現在の自民・民主保守二大政党体制に根ざしている以上、ことはそう簡単ではないといわねばならないだろう。政治体制の抜本的な「構造改革」でもない限り、この閉塞状況を打破するのは困難だからだ。

 そんなことが影響したのか、小樽でも夕張でも選挙結果は私の期待を大きく裏切るものだった。市政の矛盾がここまで激化しているのに、それを変革するための市民の主体的条件がまだまだ整っていないのである。それどころか、小樽はともかく、夕張ではかえって矛盾や混迷が深まっているような気さえする。いったいどうしてなのか。

 小樽では政策上の対決点は明確だった。だが現職市長と元自民党国会議員という現体制を代表する2人の候補者が、市民病院移転問題について表面的な政策争いを演じた結果、元国会議員が市民の批判票を吸収することになって新人候補の進出を阻むことになった。当選した現職候補は、連合小樽と市職労をはじめ自民・民主・公明各党が推薦する市役所一家代表だが、彼が獲得した30297票に対して対立候補2人が獲得した批判票は48530票に達し、全体の62%が「反対」の意志を表明していたにもかかわらずに、である。よくあることだが、現体制は表面上分裂することによって有権者の批判をかわし、自らの権益を守ったのだといえよう。選挙時だけの口約束を市民が見破る眼力がなければ、ちょうどいま民主党が「格差問題」を選挙スローガンにとりあげているのと同じく、いつまでも事態は変わらないというべきだろう。

 一方、全国注目の的、7人の候補が入り乱れて戦った夕張市長選挙はもっと状況が複雑だった。でも結果的にみれば、ここでも中田市長・後藤市長と受け継がれてきた市役所一家体制が基本的に踏襲されていることに気づく。現職の後藤市長が引退を表明することでこれまでの乱脈市政への批判を逸らし、選挙争点を「財政再建計画」の具体化に向けて「総懺悔」的に流し込むことに成功したのである。

そこで市役所一家の後継候補に祭り上げられたのが、一見「しがらみのない外部候補」のように見えながら、その実は後藤市長の高校時代の同級生であり、夕張出身の札幌在住の会社経営者だった。市職労委員長から総務部長・助役を経て中田市長の後継者となった後藤市長は、市役所一家体制を維持するための候補者を探し出し、「連合」(すなわち市職労)の推薦と自公民オール与党の実質的な支援を取り付けた。夕張問題の根源である内部体制を維持しながら、候補者だけは外部人間を起用するという苦肉の高等作戦にでたのである。

 選挙戦が一見複雑に見えたのは、羽柴秀吉氏のような「選挙ゴロ」まがいの人物をはじめ、全国各地から少なくない売名目的の「純粋の外部候補」が参入してきたためである。なにしろ、夕張とは「縁もゆかりもない」市長候補が何人も忽然とあらわれたのだから、地元市民が驚いたのも無理はない。通常は地元有力者の間で戦われる地方都市の首長選挙が、今回は主として外部候補によって争われるという前代未聞の事態が生じたからだ。

これに対して、「夕張の問題は夕張で解決しよう」と名乗り出たのが、「内部候補」である2人の元市議だった。1人は7期連続当選の与党土建派議員、もう1人は前回市長選挙で後藤市長の対立候補だった5期当選の野党革新派議員である。しかし、この2人の中田市政に対する政治的姿勢が正反対であったにしても、結果として夕張の財政破綻問題に深く係わり、しかもここに至るまで事態を悪化させた政治責任を免れることはできなかった。「あってなきが如き市議会」にあって、どれほどの主体性と力量で以て市政をチエックしてきたのか、その政治責任を鋭く問われたのである。

2人の元市議が獲得した得票数は、有効投票数8936票のうち土建派議員1157票(12.9%)、革新派議員461票(5.2%)、計1618票(18.1%)に過ぎず、全体の2割にも満たなかった。実に投票者の8割以上が、体制派・反体制派を問わず、内部候補に「ノー」を突きつけたのである。とりわけ驚愕すべきは、革新派議員候補の得票数が羽柴秀吉氏の2988票に遠くに及ばず(6.5分の1)、千葉県から突然やってきた元市議外部候補の773票にさえも大きく差を付けられたという衝撃的な結果であろう。これでは「泡沫候補」なみの得票数だといっても過言ではない。長年にわたる政治活動の結果がこれだとすれば、もはや革新政党を名乗る資格はあるまい。

このような事態の根源は、革新陣営が夕張問題の深さと広がりを完全に見誤ったことにある。革新候補の論調である「夕張市の側にも問題があったが、基本的には国の責任によるものだ」とする主張は、ほとんど市民に受け止められなかった。「野党だから責任はない」(一時期は中田市政の与党だった時もあるが)といった態度は「責任回避」ととられ、野党候補は有権者の共感を呼ぶことができなかった。そして市民自身が自信喪失している全体状況の下で、ある者は「しがらみのない外部候補」にはかない希望を託し、ある者は「藁にもすがる思い」で私財を提供すると口約束した羽柴秀吉氏に票を投じたのであろう。

要するに私に言いたいことは、夕張問題の根源は、現象的には財政破綻など自治体行政の腐敗と歪曲としてあらわれたが、本質的にはこの地に地方自治・住民自治を支える地域民主主義が育たず、その主体である市民・住民が形成されてこなかったということなのである。全てを為政者に委ね、「お願い行政」と「お任せ民主主義」に甘んじてきた地域住民が、ある日突然、自治体破産を目前にして呆然と立ちすくんでいるとき、市民・住民としての自覚を促し、自治意識を育てることなく、ただ要求運動を提起するだけといった方針では、到底、問題の困難さに立ち向かう住民のエネルギーを組織することができないということなのである。

「一から出直す」という言葉があるが、夕張の革新陣営にはいまそのことが求められているといえるだろう。「財政再建計画」が今後呵責のない勢いで住民生活に覆いかぶさってくるなかで、このような事態をもたらした背景や原因を系統的に学習し、究明していくことが重要だ。そしてそのことと結び付いた生活擁護・再建のための運動を組織するなかでこそはじめて、次の政治革新への展望が生まれてくる。政策づくりに精を出し、キャッチコピーを考えれば選挙に勝てるような時代はもはや終わった。私たちはいま改めて、「夕張選挙にみる統一地方選挙の残像」をかみしめるときなのである。

戻る