4月5日:社会党王国下の夕張市政の専制と腐敗、「夕張ショック」の物語るもの(その6)

夕張市の財政破綻状況は、正直言って「ここまでやるか」の一言に尽きるほど酷いものだ。2005年度決算ベースにおける実質赤字額257億円、実質債務632億円は、夕張市規模の自治体標準財政規模45億3千万円の各々6倍弱と14倍に相当する。通常、財政再建団体の指定は、標準財政規模の20%を超える実質赤字額を出した場合に適用されるので、夕張市規模の自治体なら約9億円の赤字がその分岐点になる。1992年に財政再建団体に指定され、2001年度に再建終了した同じ旧産炭地の福岡県赤池町の場合は、赤字額は32億円で標準財政規模の1.3倍だった。それに比べると、夕張市の5.7倍という数字がどれだけ桁違いの破天荒な数字かがわかるというものだ。さらに、銀行からの一時借入金を赤字隠しに使うといった不正な会計操作を10数年にわたって続けてきたことも、自治体関係者や国民にとっては衝撃的な事実だった。

夕張市をこれほどの破綻状況に追い込んだ責任問題をめぐってはいろんな見解がある。というよりは、対照的な2つの見解に分かれているといってよい。ひとつは言うまでもなく政府見解で、「北海道夕張市の財政破綻についての原因は、同市の許容範囲を超えた支出、収入の大幅減への対応の遅れ、財務処理手法の問題などにあり、国に責任はない」(政府答弁書、2006年12月15日閣議決定)というものだ。また、財政再建に地方債の債務免除を検討すべきだとの指摘に対しては、「(同市は)債務の全額を支払うべきだ」との見解を示している。

これに対する典型的な反論は、自治労北海道本部出身で中央本部政治政策局長の大門正彦氏の主張である。自治労の機関誌『月刊自治研』(2006年10月号)に掲載された「夕張市財政問題を考える」における氏の見解は、「夕張市は、国の石炭政策の変更という個別の自治体ではどうにもならない大波にみまわれながら、人口減に歯止めをかけるために、何とか産業構造を転換し地域を活性化しようと必死に知恵をしぼり、社会性基盤整備事業や観光事業への投資を行ってきた。(略)そうした努力にもかかわらず、いよいよ深刻な財政状況に直面した時に、観光事業の中核である3セクの廃止などの抜本的な合理化や、それにつながる可能性の高い赤字再建団体への申請によって、それまでの努力が無にされ、地域が崩壊してしまうと考えた当時の市長や議会をはじめとする当事者により、不適切な財政処理が行われるようになった。それにより、結果として傷を広げることになった責任はもちろん免れることはできないし、その後の市の財政再建の努力も、結果としては甘かったという批判はできるだろう。しかし、全国の自治体関係者の中で、これまでの夕張市の対応を間違っていると糾弾することのできる人は何人いるだろうか。その意味で夕張市問題は、同じように過疎と財政難に苦しむ全国の自治体の苦悩の象徴といえるのかもしれない」というものだ。

この主張は、夕張市の置かれてきた歴史的な特殊事情や背景の一端を述べている点では首肯出来る部分もあるが、中田鉄治市長(北炭職員、夕張市職員を経て市職労委員長、夕張地区労副議長、そして助役を経て1979年4月統一地方選で市長に無投票当選、以後6期連続当選、うち3期まで無投票当選、2003年3月退職、半年後没)などをはじめとする法外な市当事者のモラルハザードの原因や実態を意識的に避けている点で、到底世間を納得させ得るものではない。

夕張市においては、長年にわたって炭鉱資本に自治体行政が従属するという形での地域支配構造が形成され、加えて社会党一党支持を強要する炭労、自治労、日教組などで構成する夕張地区労が、地域支配権力機構の一環として決定的な役割を果たしてきた。長年にわたって、炭鉱資本の了解がなければ組合役員になれず、炭労が支配する地区労の推薦を得なければ市長や教育長、市議にもなれない(選挙で当選しない)という政治的慣行が実質的に確立していたためだ。それが中田市長が議会を形骸化し、行政組織を意のままに私物化してきた権力基盤だったのである。議会でも情報が公開されることなく、まともに議員の質聞に答えることがなかった。市役所内では誰一人意見をいえないようなワンマン体制を敷いていた。市職労は職制のなかに完全に埋没し、自立的な存在を喪失していた。いうならば、夕張は「社会党王国」といわれた北海道のなかでも突出した「社会党天国」であり、「社会党でなければ人にあらず」といわれた社会党専制支配の地域だった。そして、一般市民は自治体行政から完全に疎外されていたのである。

このことを象徴するのが、「夕張には市長が3人いる」(葛岡章著、『仲間の笑いと怒りと夕張に生きて』、北海道機関紙印刷、2006年12月)という地元の逸話の存在だろう。一人はもちろん本物の夕張市長だが、あとの二人は北炭社長と夕張地区労議長である。夕張では、いわば炭鉱資本、市長、地区労が三位一体の支配体制が形成され、そこでの密室合意が行政のすべてを決定するという専制的政治構造が出来上がっていた。地域経済の根幹を左右する炭鉱の閉山でさえ労使間協議という「ボス交」で密室取引され、一定期間の閉山反対闘争の後には予定通り組合幹部が閉山と労働者の解雇に同意するという「スケジュール闘争」が幾度となく繰り返されてきた。また炭鉱閉山の後始末に関しては、北炭社長と中田市長との間の話し合いで、巨額の税金による閉山処理対策費(実質的には撤退企業への追い銭)が支出されたことは周知の事実である。

北炭社長と中田市長との間の特別な関係は、同じ炭鉱資本でありながら三菱南大夕張炭鉱会社の閉山時の行動との対比でも証明される。1990年に閉山した三菱南大夕張炭鉱は、撤退にともなう炭鉱住宅の整理をはじめ地域整備費用を自己負担し、10億円の感謝金を市に寄付して撤退した。長年の企業活動を支えてきた地元自治体に対する企業の社会的責任としては、当然といえば当然の行為であろう。これに比べて北炭は、1981年の北炭夕張新鉱の大事故を機に再建への努力もなく閉山を決め、鉱産税の未払い分61億円を踏み倒した上に、北炭が設置した住宅、水道、病院などの各種インフラ施設を悉く夕張市に買い取らせた。中田市長は、不可解にも撤退企業にとっては不用と化したこれら施設を北炭から市に供与させることもなく、巨額の税金で買い取ったのである。こうして市が負担した閉山処理対策費は583億円(うち地方債332億円)にも上り、それが今回の財政破綻の原因のひとつになった。

同様のことは、観光開発事業においても再び繰り返された。炭鉱の閉山にともない「炭鉱から観光へ」とのスローガンを掲げてひた走りに観光開発に走った中田市長は、折しも総合保養地域整備法(通称リゾート法)の制定にともなう「リゾ−トブーム」に便乗して3セクの観光開発会社を設立し、博物館、ホテル、レストラン、大型遊園施設、剥製動物館、劇場、展示館、イベント館、ミュージアム、スキー場、ゴルフ場などなど、ありとあらゆる観光施設の建設に狂奔した。その姿は、自治労本部の大門氏の言う「過疎と財政難に苦しむ全国の自治体の苦悩の象徴」というよりは、「公金を元手にした詐欺師まがいの観光開発業者・観光ブローカー」というにふさわしいものだ。

中田市長の人物像については、彼を天まで持ち上げた経済誌記者のルポルタージュ(青野豊作著、『夕張市長まちおこし奮戦記』、PHP研究所、1987年9月)がある。これなどは、当時の経済界がどのような首長を企業にとって好都合な人物と見なし、この種の人物をどのように利用しようと考えていたかを示す格好の資料だろう。リゾート法では、観光開発を進める上で自治体と民間企業との事業連携が鍵になっていた。進出企業は鵜の目鷹の目で開発志向の首長を探していた。その目に留まったのが、当時「炭鉱から観光へ」の大構想をぶち上げていた夕張市長だったのである。なかでも中田市長の懇願を受けて1988年に夕張に進出したデベロッパー松下興産(松下電器産業グループ)は、山頂展望レストラン、山麓リゾートホテル、テニスコート、ペンション・別荘開発、高原ゴルフ場、夕張岳まで結ぶ山岳電車など遠大な構想をつくりあげ、中田市長と二人三脚で5千億円を投資するリゾート大開発を進めるとぶち上げた。こうした中田市長に対して、当時の自治省財政局長は「全国の651市の市長の中でも、自治体経営のうまさという点では日本一」と持ち上げ、経済同友会は「美しい都市づくり賞」を授与し、神戸市は宮崎市長の名前を冠した「神戸都市問題研究所・宮崎賞」を贈った。

しかし、バブル崩壊にともなって事態は一変した。というよりは、財政破綻を先延ばしするために自転車操業を続けてきた開発行政がついに行き詰まり、不正な会計操作によって財政破綻状況を隠蔽する他はなくなったのだ。北海道新聞の夕張特集「盛衰の軌跡」(2006年8月29日〜9月4日)によれば、中田市長は、日頃から「自治体は倒産しない。借金には国の保証がある」と周囲に豪語していた独特の金銭哲学の持ち主だった。彼は「旧産炭地の復興まちおこし」という大儀を掲げて、ありとあらゆる国の補助金を利用し、採算を度外視してハコモノづくりに邁進してきた。その中には、本物の詐欺師に騙されて利用されただけの剥製動物館の建設も含まれていた。

だが中田開発行政の決定的な崩壊の引き金を引いたのは、大開発構想を掲げて進出した松下興産が僅か7年後に撤退を開始したことだった。同社は、バブルに踊ったあげく1兆円近い有利子負債を出し、親会社への悪影響を恐れた松下本社によって全国のリゾート開発から撤退を求められたのである。当時、北海道ではバブル時代のリゾート開発が軒並み破綻し、その後始末が当該自治体の最大の政治問題となっていた。道内外の観光業者は、取得時の税金や将来の設備改修費などを考慮すれば、倒産施設を買い取るのは「タダでも高い」といっていた。1998年に倒産した「トマムリゾート」(総事業費800億円)の施設を地元の占冠村が買い取った価格は僅か5億円である。ところがどんな密約や裏取引があったのか、中田市長はリゾート事業の撤退にともなう私企業のスキー場やホテルを数十億円もの銀行からの巨額の借入金で買い取った。正確にいえば特別背任に相当する行為であり、これが今回の財政破綻の決定的な引き金になったのである(続く)。
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