2月6日:小泉後継政権の疲労破壊、安倍内閣の凋落(その1)
このところ、安倍内閣の支持率低下が止まらない。それが柳沢発言と結び付いて、愛知県知事選挙や北九州市長選挙での与党候補の苦戦や敗北となってあらわれたとの観測しきりである。原因は、小泉のようなリーダーシップが発揮できない安倍自身の個人的資質にあるといわれている。だが果してそうだろうか。
仮に自民党総裁選で争った麻生や谷垣が首相になっていたら、こんな状況になっていなかったといえるであろうか。また小泉が続投していたら、依然として高支持率が続いていただろうか。マスメディアは安倍内閣の支持率低下の原因をもっぱら安倍個人の能力不足の所為にしているが、もしそうだとしたら、自民党内で「小泉再登板」への期待がもっと出てきてもよいはずだ。
実はそうでないところに、安倍内閣の支持率低下の根本的な原因がある。それは小泉構造改革が国民の生活を破壊し、「一億総中流」だと思っていた国民の幻想を打ち砕き、「格差社会」の厳しい現実を目の当たりに突きつけてきたからである。遅まきながら、少なからぬ国民がその現実に気付き始めたからである。
悲しいことに、小泉在任中は多くの国民はそれを見抜くことができなかった。マスメディアの演出する「小泉劇場政治」に踊らされ(眼眩まされ)、小泉改革があたかも自民党政治の旧弊を打破して、新しい時代が来るような錯覚に取りつかれていた。小泉が「自民党をぶっ壊す」と本気で信じていたのである。
だが「ぶっ壊された」のは、国民の生活の方だった。雇用形態がズタズタに切り裂かれて、非正規雇用や不安定雇用が蔓延した。生活保護基準すれすれの低所得世帯にまで課税が強化され、それと連動して医療費も介護保険も国保料金も信じられないような水準にまで跳ね上がった。学校では就学補助児童・生徒が急増し、給食費未納の子どもたちも珍しくなくなった。
こんな厳しい現実を安倍内閣の「美しい日本」といった空虚なスローガンで誤魔化すことはできない。また御手洗経団連ビジョンの「希望の国」も、彼らにとってはそうであっても、格差社会の底辺で喘ぐ国民にとっては「絶望の国」としか映らない。事務所経理疑惑で辞めた佐田の後任・渡辺行革相の「愛の構造改革」に至っては、「愛の鞭(むち)」というしかないだろう。
安倍内閣の不人気の根源は、彼の小泉後継政権としての基本政策にあるのであって、彼の個人的資質やキャラクターの問題ではさらさらない。だから安倍が現在の政策を抜本的に転換しない限り、支持率の低下には絶対に歯止めがかからない。「小泉劇場政治」に踊らされた当時の国民の意識状況と現在のそれを比べてみると、観客の眼ははるかに厳しさを増している。もし小泉が現在も続投しているとしたら、格差社会の進行とイラク戦争への加担責任が相乗して、ブッシュと同様に安倍よりもはるかにドラスチックな支持率の低下が進行していたことだろう。
だが、安倍内閣にとってはこの政策転換がなかなか難しい。小泉構造改革によって日本の政治権力構造が一変してしまったからだ。自民党内の派閥は著しく影響力を削がれ、族議員と官僚からなる利権構造は大幅に縮小した。だから、かってのように「右から左への政策スウィング(振り子)」が効かなくなってしまっているのである。
代わって権力を一手に握ったのが、多国籍企業を中心とする財界だ。小泉構造改革の実質的な司令塔は奥田経団連会長が指揮する経済財政諮問会議であったし、それは現在の御手洗体制に引き継がれている。その反面、族議員や官僚の権威は著しく失墜した。昨今の首長選挙で官僚出身候補の落選が相次いでいるのはそのためだ。
この間の財界首脳の言いたい放題の発言や経済団体のビジョン(政策要求)を見ていると、もはや彼らの眼には国民も労働組合もないに等しいことがよくわかる。格差社会に対する奥田前会長の認識は、「路頭の行き倒れや餓死者が出ているような状況にはない」というものであったし、最近の「ホワイトカラー・エグゼンプション法案」(残業代ゼロ法案)の議論に際しては、「ホワイトカラーは土曜も日曜も喜んで働いている」というのが財界首脳の発言だった。
これほどの財界首脳の暴言をもはやチエックできないところにまで、小泉構造改革によって自民党や官僚が落ちぶれてしまった。いまや日本は世界のなかでも新自由主義がすべての権力を掌握する国になってしまったといってよいだろう。自民党と官僚は財界にひれ伏し、その意に従う忠実な召使に成り下がっている。だから自民党・公明党の連立政権は、だれが首相になってもそう簡単に政策転換はできないのである。
しかし、国民にとってはこのような状態は我慢がならないことは勿論だ。いくら政治には鈍感だとはいっても、日々容赦なく迫ってくる生活の苦しさと貧困をこのまま耐えることは難しいのではないか。だから安倍内閣がどんな美辞麗句を並べようと、この政権はそれほど長く続かない。おそらく次の参議院選挙ではその結果がはっきり出るだろうし、政権交代も充分に起こり得る。今回の地方首長選挙はその予兆だと考えてよい。
小泉構造改革の疲労破壊(システム疲労)が進んでいる。その正体がやっと国民の実感を通して見えてきたのであり、マスメディアを動員した劇場政治の賞味期限ももはや過ぎた。厳しい国民生活の前にはいかなる宣伝も通用しない状況がようやくあらわれてきたのである。問題は、だれが政権交代を担うかだ(続く)。