1月29日:京都の建築家は怒っている、京都市景観政策素案の問題点(その3)
この『素案』に一番影響を受ける京都の建築家・建築士たちはいったいどう思っているのだろうか。それほど沢山の建築家に聞いたわけではないが、建築士会の有力幹部のなかには、「この素案は建築家の存在を否定するものだ」と怒りを隠さない人も多い。
最大の理由は、景観地区(美観地区)のデザイン規制が大幅に強化され、建築家の創造性の発揮が著しく妨げられると感じているからだ。勿論、この人たちは京都を愛する点では人後に落ちない面々である。これまでも京都の景観をまもるために必死の努力を続けてきた人たちばかりだ。そんな真面目な建築家たちがなぜかくも『素案』に対して反感を抱くのか。
たとえばその一例として、北大路通、東大路通、九条通、西大路通で囲まれた地域(かっての市電外周線に囲まれた京都の中心市街地)では、どんな高層建築であれ建物の屋根は全て勾配屋根(あるいは勾配のある軒庇)を義務づけられることになっている。『素案』の第1分冊「高度地区による高さ規制の見直し」によると、その根拠は「京町家などで構成される歴史的な町並みが多い京都では、勾配屋根は景観形成の大きな要素になります」というものだ。また『素案』のダイジェスト版では、このデザイン基準を適用した「イメージ図」も掲載されている。
「イメージ図」は沿道から見た透視図(パース)だが、これを見た建築家たちは、そのほとんどが「まいったなあ!」とか「話にならない!」といった呆れた表情を見せる。それはそうだろう。大阪の御堂筋の建築群に全部勾配屋根や軒庇を付けたらいったいどういう景観が出現するか、想像するだけでも噴飯ものだからである。幹線道路で囲まれた中心市街地は早くから建築の高層化が進み(これまで幹線道路沿いの建物の高容積化を促進してきたのは、京都市の都市計画局だったではないか)、もはや「京町家」のイメージで景観形成を主張するには余りに大きな落差があるからである。
それにしても、これだけの広大な市街地の建築を勾配屋根一色で規制するといった画一的なデザイン感覚はいったいどこから出てくるのであろうか。そこには役人根性丸出しの「上からの規制意識」は溢れているが、現代において最も踏まえなければならない「分権感覚」が全く欠落している。高度制限など大元でのデザインコードは市全体でしっかり決めるが、特殊な場所を除いてはむしろ住民の創意と建築家の創造性を発揮させ、そのなかからそれぞれの地域ごとの伝統や個性を浮かび上がらせるという「分権的都市デザイン」がいまや世界の主流になっているにもかかわらずである。
近代建築史の教科書をひもとくと、「帝冠様式」という奇妙なデザイン様式が出てくる。洋風ビルに日本式の瓦屋根をかぶせた奇妙奇天烈なデザインだ。どうみても美的感覚に欠ける「木に竹を接いだ」ようなデザインである。東京では靖国神社のすぐ傍にある九段会館や上野公園の(国立)東京博物館、京都では岡崎公園の京都市立美術館などがそれに当たる。
1934年(昭和9年)に竣工した九段会館は、戦前の当初は「軍人会館」と呼ばれていた。靖国神社へ参拝する退役軍人などの集会・宿泊施設として在郷軍人会によって建設されたからだ。同会館は競技設計(コンペ)で選ばれた建築だが、その設計要綱には「容姿ハ国粋ノ気品ヲ備エ荘厳雄大ナルコト」と記されていた。
1937年(昭和12年)竣工の東京博物館は、もともと日本帝国を代表する国立博物館として「東京帝室博物館」と呼ばれ、関東大震災で崩壊した旧本館を再建するために建設された。競技設計に付された設計要綱は、「日本趣味ヲ基調トスル東洋式トスルコト」というものだった。
こうした帝冠様式の建築は、昭和戦前期に日本が中国への侵略を開始し、ファッシズム体制を強めるにつれて急速に全国に広がっていった(広められていった)。帝国主義と国粋主義を鼓舞するための帝冠様式建築は、近代建築史においてはその後「ファッシズム建築」と呼ばれ、モダン建築の発展を阻害した苦々しい歴史的教訓を現在に残している。
今回の「勾配屋根付置義務」といったデザイン規制を帝冠様式建築と同一視するつもりは毛頭ないが、しかしその発想が意外に共通性を持っていることに私は懸念を抱く。近代大都市の京都の「時を超え光り輝く京都の景観づくり」のデザインコンセプトが「町家の勾配屋根」だという矮小化された発想の貧困さは別としても、何よりも「行政(役人)がデザインを決める(決められる)」とう思い上がりが恐ろしい。
確かにバブル時代の建築家のモラルハザードは批判されなければならない。「ポストモダン建築」などと称する一連のバブル建築は、いまやもう誰からも振り返られることはない。祇園あたりの飲み屋街ではまだ醜い姿をあちこちに留めているが、北山通などお洒落な通りではあっという間に取り壊されてしまった。建物が機能的に使い物にならないこともあったが、デザインの上でももはや人の目を惹きつける力を失って捨てられたのである。
いまや市民・住民の建築に対する眼は厳しい。そのことを一番よく知っているのが建築家だ。町並みを無視した独りよがり(目立ちたがり)の建築や建築家は容赦なく捨てられる時代になった。市民・住民のまちづくりに参加して、そのなかから「まちの文脈」に沿った建築デザインを生み出していこうとする真摯な建築家が評価される時代が訪れたのである。
京都市が弁えるべき景観形成政策の最も大事な基本は、こうした市民・住民や建築家の努力を信頼し支援するものでなければならないだろう。そして景観審議会答申がいうように、行政と市民・住民、建築家、事業者など関係者がパートナーシップを結ぶものでなければならないだろう。それには今回の『素案』は乱暴すぎるし、分権的配慮にも欠ける。今後、『素案』から「原案」へ、「原案」から「成案」へと議論をきめ細かく積み上げ、市民・住民の合意形成を通して「時を超え光り輝く京都の景観づくり」を達成してほしい。景観形成は合意形成そのものなのである。
今回で3回連続の京都市景観形成政策素案に対する私のコメントは一応終わります。『素案』が2月市議会に上程されると聞いて、急ぎ過ぎの感もありますが、とりあえず基本的な問題点と考えるところを書きました。しかし時間がなかったこともあって検討しなければならない点が数多く残されています。また私の思い違いの点もあるかもしれません。読者のみなさまの忌憚のない批判を受けたいと思います。ホームページの中の「掲示板」にどんどんご意見をお寄せ下さい。また京都市や市議会に対しても積極的なご意見を寄せられることを期待しています。