1月27日:景観はまちづくりの一部、京都市景観政策素案の問題点(その2)
今回の『素案』のなかで一番問題になるのは、景観政策とトータルなまちづくりの関係をどう考えるかであろう。「まちづくり」とは、市民・住民が日常生活を通して安心して暮らせる地域社会(コミュニティ)とそれを支える住みやすい環境を維持・形成していく持続的な営みのことである。景観は市民・住民のまちづくりの成果が「街の光景」として表れるものであって、行政が一方的な景観マニュアルを押し付けることで出来るものではない。
事実、景観審議会答申の序文でも、「京都の景観とは、本来、京都特有の自然環境の中で伝統として受け継がれてきた都の文化と町衆による生活文化とが色濃く映し出されているものであり、日々の暮らしや生業等の都市の営みを通じて、京都独特の品格と風情が醸しだされてきたものである」と述べている。
このような観点からするとき、京都の景観政策は「都の文化」と町衆の「生活文化」を融合したものでなければならず、市民・住民のまちづくりを支援するものでなければ意味がない。言い換えるなら、高踏的な「京都文化論」や「歴史都市論」を振りかざして市民・住民の日常的なまちづくりを阻害し、抑圧するような一方的な景観政策は、町衆の生活文化を無視した観念的かつ有害な存在になりかねない。
具体的にいえば、この間の数々の意見広告にもみられるように、新しいデザイン基準を適用すれば、軒先を連ねた町家の建て替えが制約され、小規模敷地では1階の床面積が著しく縮小されるなど、町家の更新が事実上不可能になるようなことがそれだ。景観政策によって市民・住民のまちづくり意識が冷え込み、町家の更新などが怠るようになるとしたら、まさに「角を矯めて牛を殺す」ような結果になる。
高度成長時代に高層建築・超高層マンションを野放しにした都市計画行政の結果、京都の自然景観、歴史景観が著しく損なわれたことは厳しく批判されなければならない。そのことを真摯に反省しているのであれば、今回の高度制限の引き下げはダウンゾーニング政策の一環として評価できるし、世界文化遺産など歴史的文化財周辺の景観をまもるための風致地区の拡大も理解できる。また京都の品格を傷つけるパチンコ店、風俗店、ファーストフード店などの俗悪な看板の取り締まりも必要だ。
だが、そのことに町家の更新など市民・住民のまちづくりの営みが調和するようなきめ細かな配慮がともなわないと、不幸にも「都の文化」は「町衆文化」と真っ向から衝突するといった事態が生まれる。比喩的にいえば、「行き過ぎた整形手術が健康を害する」ことになり、「手術が成功したが患者は死んでしまう」ことにもなりかねない。「害虫」を駆除するつもりが、「益虫」まで殺してしまうようなことになりかねないのである。
少子高齢化が進み、人口が減少するこれからの都市計画の最も重要なコンセプトは、「持続可能なまちづくり」である。都市が急激に成長していた時代はビルを高層化し、大規模な建築の需要が盛んだった。しかしいま世界の先進都市では、「コンパクトシティ」(小さくてまとまった都市)と「シュリンキングシティ」(縮小する都市)が都市計画のキーワードになりつつある。拡大一方の都市の成長時代が終わり、都市の質を高めるための成熟時代がやってきたというわけだ。
この都市の成熟時代に最もふさわしい都市計画のコンセプトが「持続可能なまちづくり」なのである。一人ひとりの市民・住民が持続的にまちづくりに参加し、日常的な生活の営みを通して地道に住宅や町並みが更新されていく。そこでは安全・安心な地域社会(コミュニティ)が維持され、ゆっくりと時間をかけて美しい町並みが形成されていく。大切なことは、こんな街を育てようとする市民・住民の「街を愛する心」を育てることだ。
京都の自然と歴史を食い荒らす「大きな害虫」を退治するための大枠の景観政策は必要だ。景観審議会の答申をよく読めば、そのための基本的な考え方がよく出ている。しかし問題は、それを具体化し執行する行政側の取り組み方である。誰が主導しているのかわからないが、とにかく市民・住民の反対運動が起こらないうちに「一気に」、「全面的に」、「徹底的に」、「行政主導で」やってしまおうとするところに大きな判断ミスがある。先日も京都市の都市計画行政OBと話していたら、今回の素案は「通すか、撤回するかの二者択一だ」といっていたが、そもそもそんな発想がおかしいし間違っているのである。
そこで私の提案だが、若干の手直しや議会工作でとにかく遮二無二通そうというのではなしに、まずは2月議会への『素案』の上程を見送る。その代わり具体的でわかりやすい説明資料をつくって、1年ぐらいかけて市民とじっくりと意見を交わす。公聴会やシンポジウムも開く。そしてそこでの意見を集約して必要ならば改正し(改正を前提としているからこそ『素案』と名付けているのではないのか)、成案を市民投票にかける。市民投票の結果を踏まえて市議会で議論し決定する。また来年2月には市長選挙もあるから、場合によっては市長選の政策争点としてこのテーマを掲げてもよい。
京都の景観政策には、急ぐべきものとじっくりと時間をかけなければならないものがある。この両者を自分の出世に絡んだ野心や政治的思惑から(意識的に)混同して「この際やってしまおう」といった発想は、まさに「百害あって一利なし」である。「百年の大計」を誤る愚行そのものでしかない。京都の市民・住民はそんな馬鹿げたことは許さないだろうし、また市の職員も少し頭を冷やせばわかるはずだ。京都市には景観行政に蓄積を持つ多くの先達がいる。その人達がいま一番心配していることは、この『素案』と一緒に「大きな害虫」を駆除する方策も流れてしまうことだ。「たらいの水と一緒に赤子を流してしまう」ようなことがあっては、審議会メンバーの折角の苦労も浮かばれないだろう。