1月25日:景観審議会答申を無視した京都市の新景観政策素案(その1)
このところ、京都市の新景観政策(『素案』)をめぐっての世論の動きが激しくなってきた。これまでに比べて、市民の関心が一気に浮上してきたような気がする。新聞紙上でも『素案』に対する賛否両論が真っ向から対立し、関係業界や市民団体の間でも「賛成」、「条件付き賛成」、「反対」、「条件付き反対」など多様な意見が入り乱れている。率直なところ、普通の市民は「いったいどう考えればよいのか」と考えあぐねているのではないか。
かくいう私も京都の景観問題に対する関心は人一倍高いはずのひとりだが、実は恥ずかしいことに、新聞紙上でこのような動きが伝えられるまでは『素案』の内容を詳しくは知らなかった。僅かに昨年12月1日発行の『市民新聞』に掲載された「京都市都市計画ニュース」という広報記事を斜めに読んだ程度にすぎなかったのである。3年前の京都市長選で私は「脱高層マンション」の公約を掲げ、「ダウンゾーニング」を主張していたので、この時の一読した印象では「結構ではないか」と何気なく思っていた。
ところが最近になって、6分冊からなる『素案』の全文を入手して仔細に読んでみると、実はこれが「大変な代物」だと気づくのにそれほどの時間がかからなかった。大げさに言うなら、これまでの京都の都市計画をひっくり返すぐらいのインパクトを持った「衝撃的な提案」であることに気付いたというわけだ。
一般的に言って、都市計画が市民の話題になることは少ない。高速道路が出来るとか、大規模店舗が建設されるとか、周辺地域に多大な影響を与える場合でさえ反対運動はごく近くの一部の住民にとどまり、市民全体の話題になることは稀だ。ところが今回の『素案』は、「市街地全域における新たな景観施策」の提案なので、まさに市民一人ひとりの生活に直接関わる性格のものである。それだけに、その内容がどれだけ市民一人ひとりに周知徹底され、理解と合意が得られるかが『素案』の成否を決める上できわめて重要になる。
ところが、たとえば『市民新聞』の「京都らしい景観を継承するために、地域固有の特性を活かし、きめ細やかに建物のデザイン基準を見直します」の項目では、「建物の色彩や形態、意匠等に関する基準を充実、明確化し、市街地のほぼ全域をデザイン基準の対象とします」と言明しているにもかかわらず、具体的なデザイン基準は全く示されていない。いわば「基本方針」が表明されているだけで、市民の最大の関心事である「デザイン基準」の具体的な内容はどこを探しても見つからないのである。
今回の「時を超え光り輝く京都の景観づくり」の『素案』は、市の景観審議会の最終答申(2006年11月14日)を受けてのものだそうだ。その目標は、「50年後、100年後を見据え、市街地全域において景観施策を抜本的に見直し、歴史都市・京都の景観を保全・再生します」という希有壮大な意気込みに溢れている。いわば1世紀にわたる京都の未来を景観施策を通して展望しようと言うもので、まさに京都の都市計画の「百年の大計」に相当するものだと言ってよいだろう。
審議会会長の西島安則氏(京都大学元総長)は、答申の前文で「まさに現在の京都市の景観は、危機的状況にあると言っても過言ではない。京都市、市民、事業者等のあらゆる主体が、この答申の真意を理解し、速やかに実行ある取り組みを進め、50年後、100年後においても世界の人々を魅了する歴史都市・京都、即ち“時を超え光り輝く京都”であり続けることを心から望むものである」と述べている。
また答申本文のなかで、第2章の「歴史都市・京都の景観形成のあり方」においては、「@“盆地景”を基本に自然と共生する景観形成」、「A伝統文化の継承と新たな創造との調和を基調とする景観形成」、「B“京都らしさ”を活かした個性ある多様な空間から構成される景観形成」、「C都市の活力を生み出す景観形成」、「D行政、市民、事業者等のパートナーシップによる景観形成」の5つの基本理念が述べられている。
最後の市民や事業者等とのパートナーシップ理念においては、「京都の景観形成に当たっては、“公共の財産”としての景観に対する意識の醸成や共同体における価値観の共有を促進するとともに、景観形成に関する活動への参加・協力により、行政、市民、事業者、専門家、NPO等のあらゆる主体が、京都の景観の価値を改めて認識し、それぞれの役割を踏まえ、一体となって取り組むことを基本とすべきである」と強調されている。
このことを意識してか、確かに『市民新聞』では「見直し素案について、市民の皆様のご意見を募集します」と書かれている。だが問題は、市民の意見を募るにふさわしい説明と手続きが尽くされているかどうかである。まず内容については先にも述べたように、たとえば市民や事業者の最大関心事である「デザイン基準」については全く説明がない。
加えて手続き面においては、『素案』の閲覧が各区役所で5日間、説明会は各区役所でたった1回(2時間)行われただけである。これで「パブリックコメント」と称する市民からの意見聴取は終わり、あとは「見直し案」を作成して、今年の2月頃から2週間で「都市計画案の縦覧・意見書受付」を実施すると同時に「関係条例の市会上程・制定」を推進し、4月以降は早急に「都市計画決定の告示」と「関係条例の施行」を済ませて、「新しい基準の適用を開始」することになっている。
このスケジュールを見て、腰を抜かすのは私ひとりではないだろう。「百年の大計」に関わる重大案件を、審議会答申から僅か数カ月で「基準適用」まで持っていこうというのである。市民に具体的な説明をするパンフレットひとつ作るわけではない。職員が市民の前に出かけていって詳しい説明会ひとつを開こうとしない。関係業界との膝を交えた懇談会もしない。こんなファッショ的で専制的なやり方など見たことも聞いたこともない。
かっては「お上」が都市計画を一方的に決めて、あとは庶民に通知するだけだった。そんなファッショ的な時代ならまだしも、地域民主主義に基づく住民自治を標榜する現代においては、市民の理解を得られない都市計画は到底実効性を持ち得ない。もし強行したとしてもそれは市民の反発を招くだけだし、また長い目で見れば都市計画というものの必要性に疑問を抱かせ、却って都市計画制度の存立を危うくするだけだ。
巷間、それが国土交通省の天下り役人が「本省」に帰るときの「手土産」にするために急いでいるとか、あるいは市長が同和不祥事事件を帳消しにするための「眼くらまし」に使うためにその話に乗ったとか、いろんな風聞が飛び交っている。その真偽はともかく、そんな噂話の出ること自体が審議会の答申を傷つけ、市民を愚弄するものに他ならない。(続く)