1月16日:阪神・淡路大震災から12年、災害復興学会への胎動

 今日の朝日新聞でその一部が報じられているが、13日と14日の2日間にわたって関西学院大学で災害復興学会の準備会が開かれた。周知の如く、関学は西宮市の山手に位置する私大の名門校で、その洗練された校風と瀟洒なキャンパスは全国に名高い。しかし阪神大震災では学舎に少なからぬ被害を受け、また多数の学生が犠牲者になった。そういう意味で、阪神大震災にどう向き合うかは、関学にとって大学の存在意義にかかわる大問題であったはずである。

 ところが不思議なことに、一部の社会学者が被災者の追跡研究に取り組んだことを除いては、大学全体としての動きは驚くほど鈍かった。当時、私は西宮市の災害対策基本計画の策定に急遽携わっていたが、市内の主要大学である関学からの参加はなかった。市役所の幹部職員の多くが関学出身者であったにもかかわらずに、である。

 関学の校風は一名「上ケ原牧場」ともいわれる。所在地の上ケ原町一帯が風光明媚な環境に恵まれ、その中でゆったりと自由な研究が行われていると言う意味だ。それは、最近のように大学教員が雑用で追い回されている状況のもとでは羨ましいばかりの環境だが、その反面、大学が世間から遊離して社会的問題意識に乏しいことにも通じる。それが裏目に出たのが阪神大震災における大学の対応であり、研究者の行動だったというわけだ。

 そんな反省もあってか、2003年度から「人間生活の復興」に関する災害研究がはじまり、同時期に社会学分野で採択されたCOEプログラム「人類の幸福に資する社会調査の研究」の一環として、阪神大震災10周年を迎えた2005年1月には人文・社会科学系では全国初の「災害復興制度研究所」が設立された。そして専任教授として就任したのが山中茂樹氏(当時、朝日新聞災害担当編集委員)である。

 以降、同研究所の活躍はめざましい。大学内外から関連研究者を多数参加させ(私も客員研究員の一人として末席を汚している)、加えて全国被災地の支援団体や東京在住の政府・マスコミ関係者も幅広く組織することに成功して、いまや全国屈指の総合的な災害復興制度に関する研究所としての存在感を示すに至った。そしてその活動を一段と発展させるために企図されたのが、今回の「災害復興学会」準備会の立ち上げであり、それと関連する一連のシンポジウムの開催だった。

 シンポジウムに先立った刊行された研究成果、『先端社会研究、第5号』(特集・災害復興制度の研究、関西学院大学出版会)において、宮原浩二郎所長(社会学大学院教授)は編集後記で次のように語っている。

「続発する自然災害に対して、被災者・被災地の長期にわたる復興の問題を人文・社会科学の見地から総合的に調査・研究することは、まさに『人類の幸福に資する社会調査』の一例と自負しています。社会全体が先へ先へと成長を急いでいた時代、この災害後の復興問題は大きな社会関心とならずにきました。被災前後の生活落差が小さく、被災地の復興も全国的な経済発展の一環だったからです。災害救助法、災害対策基本法などの現在の災害法制は、この旧い枠組みを引きずっています。さまざまな意味で『成熟』段階に入った現代社会においては、被災者の『生活の質』に配慮し、被災地における『コミュニティの絆』を重視する災害復興制度の構築が求められています。」

宮原所長とは一昨年新潟中越地震の復興状況調査にも御一緒したが、キャリア官僚出身にもかかわらずヒューマンな人柄と発想にあふれ、被災者・被災地の現場から対策や制度を考えていこうとする希有な資質の方とお見受けした。また専任教授の山中氏は俊敏なジャーナリスト出身者にふさわしく、その全国を股にかけての行動力と取材力はエネルギッシュそのものだ。こうした方々が「上が原牧場」を活性化させ、新しい空気を大学に吹き込もうとして頑張っておられる姿は頼もしくもあり、また爽やかでもある。

だから両日のシンポジウムには期待に胸をふくらませて参加したのだが、率直に言って、その感想は「もひとつ」であり、「いまいち」というところだった。第1日目の被災地支援団体と研究者の交流シンポは有意義だった。新潟、鳥取、三宅島、長崎など全国から被災者・被災地の復興に尽力をしてきた支援団体や弁護士の現地報告は示唆と教訓に富んでいた。中山間地域という困難な環境を「脆弱な地域とは考えていない」と言いきる中越の人たちの逞しい前向きの発想には脱帽したし、また多額の義援金は却って地域の自立を妨げるとの北海道奥尻や雲仙島原の経験も肯くところが多かった。

だが朝日新聞で大々的に報道された2日目が大いに期待外れだった。目配りのきいた山中教授の基調報告は別として、午後からの「脆弱な階層・脆弱な地域の復興支援」に関する連続シンポがいけない。とりわけ経済学者が中心となった第1部は聞くに耐えなかった。司会者が政府の構造改革を推進する審議会メンバーだと言うこともあったが、メインテーマである「脆弱な地域」の輪郭がいっこうに浮かび上がってこない。宮原所長のいう「成長の時代」と「成熟の時代」の相違点が明確にならず、12年前の成長型復興計画の問題点が指摘されないので(当局に協力した専門家がパネリストであったからか)、復興問題に関する脆弱な地域の現代的課題が明らかになってこないのである。結局、「地方分権時代だから地域が自主的に頑張る他はない」という司会者の言葉に収斂してしまうことになり、これでは「災害復興制度」などまるで不必要だと言わんばかりの結論ではないか。復興支援活動に汗を流したことのない経済学者がどれほど空虚で有害な存在であるか、そのことばかりが目立ったシンポだった。

これに比べて第2部はかなりマシだった。とりわけ阪神大震災の「二重ローン」問題を抉ったノンフィクションライターの島本慈子氏の発言は目を引いた。阪神大震災当時はまだ現在のような雇用破壊が進んでいなかった時代であるにもかかわらず、それでも生活の復興が困難だった階層が多数いた。もし現在のようなワーキングプアーが巷に溢れているような時代に大震災が起こったら、もはや避難所から永久に抜けられない被災難民が大量に発生し、またローン破産者が続出して中間層が一挙に底辺階層に転落していく危険性があるとの指摘は、まさに現在状況の本質をズバリ読み解くものだった。

しかし同じノンフィクション作家の柳田邦男氏の発言は、復興の問題を個人レベルの「心の問題」に限定し(別の言葉で言えば矮小化し)、社会、経済、政治と復興問題を切り離す持論を延々と述べるにとどまった。作家としてはそれでもよいのかもしれないが、「ノンフィクション」を名乗っているのであれば、そのジャンルの持つ社会性や政治性を捨象するような論法はとうてい理解し難い。

私の持論は、山中教授が基調報告の最後にも言及されたように、「地震は自然現象、震災は社会現象、復興は政治現象」だというものだ。復興問題は多様な側面の問題を内包するものの、「政治現象」であり「政策問題」であることが本質であって、そのことを抜きにした(あるいは意図的に欠落させた)復興論は全く意味がないと考えている。今回の災害復興学会準備会の試みは、わが国の災害問題に対する取り組みの第一歩としては貴重な経験であったが、関係者の努力にもかかわらず「前途遼遠」の感を抱かせるに充分なものがあった。まさに「日暮れて道通し」である。