1月12日:新春ゼミの息吹
新春の皮切り日の日記にはいったい何を書こうかといつも思い悩む。昨年は全国紙の新春論調の比較分析をやったが、小泉政権の最後の年だということもあって各紙の特徴が出ており、それなりに面白かった。でも今年の元旦の各紙の社説はどれもこれも余り変わり映えしなくて、ジャーナリズムの行き詰まりもいよいよ来るところまで来たという感じだ。そんなことで、今年はごく身近なところで感じたことを記してみたい。
新春の大学での生活は11日のゼミと講義から始まった。この日が私にとって記念すべき日になったのは、午前中の京都府立医大の診察で装具を外してもよいとの許可が出たことだ。ギブスを取ってからずっと付けていた義足のような装具(足首の角度を前屈・後屈ともに一定の範囲で制約する装置)を外して、いよいよ「自力歩行」する日がやってきたというわけだ。アキレス腱を切ってから2カ月半余り、この日がどれほど待ち遠しかったかはいうまでもない。
ところが、いざ歩きはじめてみると意外なほど自由に歩けない。右足のふくら脛の筋肉をこの間ほとんど使っていなかったので筋肉が細り(リハビリはやっていたのだが)、爪先の力が足に伝わらないのである。担当医からは思い切って歩いてもよいとの許可をもらっているのだから、その通りにすれば歩けるはずだと思っていたところ、全く当てが外れてしまった。
原因は一にも二にも心理的な恐怖感である。物理的にアキレス腱が痛むわけではないのに、歩幅を拡げて歩くと腱をまた痛めてしまうのではないかという恐怖感が先に立ち、装具を付けていた当時と同じような歩き方しかできないのである。というよりは、装具を付けていた時の方が安心感があるのでそれなりに歩けたのだが、足の角度や歩幅を制約するものがなくなってしまうと却って歩けなくなってしまう。病院から大学まで電車と徒歩で帰ってきたが、小股とベタ足の連続なので、小一時間もかかってしまって危うくゼミに遅れるところだった。
しかし、ゼミが始まって学生たちの元気な顔を見ているうちに、足のことはすっかり忘れてしまったのだからいい気なものだ。この日は次期のゼミ体制を決める他は特に議論することはないので、新春の顔合わせのようなものだ。2回生から4回生までのゼミ生がほぼ全員そろって、わいわいガヤガヤの騒がしさのなかで時間はあっという間に過ぎてしまう。やったことといえば、全体で次期のゼミ長1人と副ゼミ長2人を選んだことぐらいだ。
だが、その雰囲気が何とも言えない「いい感じ」なのである。学生たちが正月を家族とともにゆったりと過ごしてきたからなのか、1年間のゼミ活動に相対的に満足しているからなのか、それとも就職状況が比較的よいので楽観ムードがあるからなのか、期末試験が迫っているにもかかわらず、とにかく笑顔と冗談が絶えない新春のゼミだった。
ゼミ活動は、現在の大学生たちには最も必要な学習形態であることは間違いない。昔の大学のように、膨大な参考文献を課して毎週徹底的にしごくやり方もあるであろうが、しかし一部の大学を除いてはもうそんなやり方は現在では通用しない。2回生からゼミに入ってくる学生たちは、ついこの間まで断片的な受験勉強で追いまくられていた高校生たちなのである。20歳そこそこの若者たちにいきなり「学ぶ」ことを強要しても、学習効果を上げられないことは火を見るよりも明らかだ。「学ぶ」こと以前に、「学ぶことの楽しさ」を実感させることが大切なのである。
「学ぶことの楽しさ」は講義を通しても体得できるし、またある段階からは独習がその機会を与えることもあろう。しかし入門段階はそれだけでは難しい。現代の若者には「仲間で学ぶことの楽しさ」を実感できる場が必要なのだ。それがゼミ活動なのである。だから私は、ゼミが「コミュニティ」として育ってくれば、もうそれだけでゼミ活動としては成功だと思っている。
ゼミ活動がコミュニティの場として育つためには、まず学生たち自身が好ましい人間関係を築けることが前提条件だろう。ともすれば自分の中に閉じこもりがちな彼・彼女らをオープンでフランクな交流の場に参加させること、そこで自由な自己表現の機会を与えること、他の仲間の発言や行動から知的な刺激を受けること、そしてそこでの多彩な「気付き」を通して自己啓発を図れること、こんな機会と場がゼミ活動の真髄である。
私のゼミでは、3回生がまちづくりの共同テーマに集団的に取り組む中心部隊となり、2回生はそのアシスタント、4回生は指導グループと位置づけている。ゼミに入ったばかりの2回生は、まず3回生の下働きとして予備学習をしながら、3回生になると主役として活躍し、4回生では後輩の指導に当たりながら自分の卒業論文を書くというコースである。いわばゼミというコミュニティで先輩から学び、後輩へつなぐという役割を集団的に演じているわけである。
しかしこう書くと、なんだが真面目に勉強ばかりしているようだが、実体は必ずしもそうではない。ゼミは確かに「学習コミュニティ」には違いないが、それ以上に遊びや旅行、コンパなどを通して形成される「生活コミュニティ」でもある。だから私のゼミでは、ゼミ長、副ゼミ長に並んで「宴会係」や「旅行係」が重要なポストになるのである。
次期ゼミ長は2回生8人のゼミ生の中から「紅一点」である女子学生に決まった。出席した全員が1人1票で投票し(私も含めて)、圧倒的多数で選ばれた。頭脳明晰で弁舌さわやかな才媛だ。また副ゼミ長の一人は、新2回生からゼミ生(とくに女子学生)を多数スカウトするために、長身のハンサムなスポーツボーイが起用された。それぞれが適材適所の人材だ。こんな選出ゲームが楽しく進められるなかで新春ゼミは終わった。
世の中は新春早々から家族殺しなど陰惨な事件が溢れ、安倍内閣の閣僚が相次ぐ政治資金疑惑に包まれているなど、どこを向いてもよいことがない。しかしこんな時勢だからこそ、時代を背負う学生たちと楽しいコミュニティを築きたい。