12月22日:ある小さな果物屋さんの廃業

つい先日、自宅の郵便受に一通の挨拶状が投げ込まれていた。京阪電鉄丹波橋駅近くの親子二代で頑張ってきた果物専門店が今年一杯で廃業するというのだという。「閉店のお知らせ」と題する挨拶状には、およそ次のような文章が記されていた。

「前略、毎度ありがとうございます。60年近く果物専門店としてご愛顧いただいてまいりましたが、流通と生活様式の移り変わり、そして輸入や生産方法の改良により品数が増え、季節的にも長く出回るようになった工場生産食品に比べて、果物は何といっても昔のままの自然な生もののため、価格、品目数に限りがあり、一般食品の豊富さと比べると品薄な感じを与えます。まして取扱品目と数量の少ない単独小売専門店では、お客様に十分な満足をいただけなくなっております。こういった兆候は景気に関係なく十数年前からみられ、特に近年はますます顕著になり、採算を度外視して今日まで踏ん張ってきましたが回復ができませんでした。当然、商品の回転も悪くなり、自信の持てる商品が提供できなくなるわけで、勝手ながら今年12月31日をもって閉店することに致しましたのでお知らせします。店主」

私とこの果物屋さんとは35年間にわたる長い付き合いだ。1971年に大学を変わったのを機会に丹波橋駅近くの住宅団地に引っ越してきた(実のところ前の大学の官舎を追い出された)ときからの付き合いなのである。そのとき以来、季節の旬の果物はずっとこの店で買ってきた。買ってきたというよりは、店のご主人や奥さんに「今日はこれが美味しいよ」と教えてもらってきたのである。買った果物が期待はずれだったとか、美味しくなかったことなどは一度もない。とりわけご主人の西瓜の良し悪しや熟れ具合の鑑定技術はピカイチだった。

私はあまり新しいものに飛びつかない性格である。各種の電気製品などでも国全体の普及率が8割を超えたあたりからそろそろ買いに行くといったスロースターターなのだ。とくに食べるものに対してはきわめて保守的だといってよい。だから、果物でもきらびやかな輸入果物にはあまり目が向かない。なんとなく食べる気持ちがしないのだ。、どもの頃から馴染んできたミカン、柿、リンゴ、梨、西瓜、まくわ瓜、ブドウ、イチゴなどの日本の果物で充分満足している。それに干柿や干芋も大好きだ。でも旬の味や香り、それに歯ざわりなどには少しこだわりがある。満州から引き上げてから育てられた祖父の家が農家だったので、自家栽培の野菜や果物の味を知っているからだ。そんな田舎臭いニーズに応えてくれたのがこの果物屋さんだった。

商売一筋の昔気質の店が近所で次から次へと消えてゆくのは本当に寂しい。この挨拶状を読んで早速お店に出かけたところ、あいにく店主は不在だったが奥さんからこの間の事情を聞くことができた。いまのご主人のお父さんすなわち先代の店主はもともと卵屋さんだったという。しかし戦時中には卵の仕入れが難しくなって一旦は店をたたむ他はなかったらしい。戦後になっても状況が変わらなかったので果物屋さんに転業し、以降、息子の代を含めて今日までずっと果物一筋の商売を続けてきたという。

現在の店主の人柄は、露地栽培の西瓜と同じく天下一品だ。混ざり気のない本物の味や香りそのものなのだ。また奥さんもこれ以上ないほどの飾り気のない好人物である。こんな夫婦像をみると、まるで寅さんの「おいちゃん」・「おばちゃん」の世界と寸分も違わない。寅さんの映画がこよなく庶民に愛されるのは、私たちの周辺にも同じような人たちが沢山いるからなのだろう。

お二人ともおそらく政治の世界とは全く無縁の生活を送ってこられた方だと思う。しかし、私の市長選挙のときだけは演説会にも懇談会にも参加して応援していただいた。「長年のお得意だから」との理由である。当時、ご主人は丹波橋筋商店街の会長だった。京都市とも関係の深いポストにありながら、そんなことなど微塵も感じさせないで淡々と応援していただいたのである。

廃業後の生活は二人だけのゆっくりとした日々を送りたいという。店舗部分は改装して居室スペースを広げ、普通の住宅にするらしい。近くに娘さん家族も居てときどきお孫さんも遊びに来るからだそうだ。国民年金は僅か月額8万円だというが、「まあ何とかなりますやろ」と奥さんは静かに笑っていた。

丹波橋筋商店街は駅前にありながらご他聞にもれず閑散としている。古くからのお店が廃業すると、ファーストフード系の店舗に変わるのが通常の相場だ。それが商店街の活気を維持する方法だといわれる。しかし私のようなニーズやライフスタイルの持ち主は行く店や立ち寄る場所がない(いままでマグドや吉野家の牛丼を一度も食べたことがないし、また食べたいとも思わない)。ファーストフード系の店舗は移り変わりが速い。売れないとわかれば直ぐにでも撤退する。60年などは夢のまた夢、6年でも持ちこたえられるかどうか。6ヶ月程度で撤退する店があっても不思議ではない。こうして商店街はスクラップとビルドの波間に投げ込まれて次第に体力を奪われていく。

「こだわりの店」と「こだわりの客」が長年にわたって信頼関係を築きながら地域の商店街が営々と続いていく。そんな商店街が「スローフ−ド」を支え、「スロータウン」を形作るというが、日本ではまだそんな時代がやってくる気配がまったくない。ファースト系店舗の乱立は商店街の活性化でもなく繁栄でもなく衰退と消滅の前奏曲だと私は思っているが、しかしそんなことをいったら都市計画の専門家としては「失格の烙印」を押されることは確実だ。小さな果物屋さん一つでさえ支えられなかったのだから、そういわれても仕方ないのだが。