12月5日:姉歯建築士の構造強度偽装事件に思う

 かっては建築家・建築士という資格はカッコイイ職業の代名詞だった。テレビや映画、小説の舞台などに登場する人物も建築家が多かった。同じ土建業界に属しながらも、最近は凋落の一途をたどっている土木工学科にくらべて建築学科はまだまだ受験生の間でも人気が衰えていないと聞く。

 だがこの間、「姉歯」という聞き慣れない名前の人物がニュースやワイドショーを独り占めしたかと思うと、今度は「ヒューザー」、「シノケン」、「イーホームズ」、「日本ERI」などカタカナまじりの怪しげな建築会社や検査機構が間髪を入れずに次から次へと舞台に躍り出てくる始末だ。世はまさに「不正建築劇場」といった様相を呈している。

いったいだれが主役なのか、今回の事件ではそれすらが区別できないほど多くの複雑な人物が次々と登場してくる。だから、観客席ではシナリオの展開がいっこうに読めないのも無理はない。先日の国会の参考人質疑でも、出演者それぞれが互いに責任を擦り付けあって最後まで言い逃れに終始した。おまけに公開の席上でありながら暴力団まがいの罵声まで投げつけたマンション業者がいて、この業界の底知れぬ不気味さを感じた視聴者も少なくなかったのではないか。

事件の全貌はこれから次第に明らかになってくるだろう。だが、現時点で事態の本質を端的に指摘すれば、それは「小泉構造改革による公共性の破壊」が(かねてから問題の多い)建設業界において最も赤裸々に進行しているということに尽きるだろう。国民の生命と財産を守るための最低のルールである建築基準法の適用が民間検査組織に丸投げされた結果、悪徳建築主・悪徳設計者・悪徳施工業者たち一味が「グルで手抜き設計・手抜き工事」をすることがより簡単になったのである。「検査の甘い組織を狙って書類を提出した」と姉歯建築士が悪びれずに言っているように、その言葉が今回の事件がなによりも業界一部の「ぐるみ犯罪」であることを立証している。

しかし一方、一連の事件を単なる「設計ミス」・「計算ミス」・「検査ミス」といった言葉で片づけようとする論調もあることには要注意だ。これは事件の本質を故意にすり替えようとするもので絶対に看過できない。「ミス」とはすなわち「手落ち」のことで、意図は正しいが手続きや方法に一部の過失やしくじりがあったということである。しかし「偽装」は違う。それは内容の不当性を知りながら、それが正当であるかの如く見せかけようとした隠蔽工作であり、悪質きわまる不正行為なのだ。それは過失などではさらさらなく、れっきとした「確信犯」なのである。事件が発覚する事態に直面して、それを脅迫まがいの態度で抑えようとしたマンション業者の言動が何よりもそのことを物語っている。事件の当事者たちが刑事罰をもって厳しく断罪されなければならないのは当然だ。

しかし、私がこの事件を「小泉構造改革による公共性の破壊」の現れだといったのはもう一つの意味がある。それは今回の偽装事件が単に民間検査機構だけにとどまらず、地方自治体の建築行政機構においても発覚することもなく堂々と罷り通っていたことだ。当初は建築主事の少ない小規模自治体だけの問題だと思っていたら、その後は専門技術者を多数揃えているはずの府県においても例外でないことが判明した。地方自治体において行政の公共性が担保されていないのだ。このことは「官から民へ」の建築行政の移管を批判してきた私にとっては大きな衝撃だった。これでは「どっちもどっち」だとの国民の批判を到底免れ得ないではないか。

公行政の原則なき民営化、それも非営利組織や第三者機関ではなく民間企業への公行政の移管が今回の事件のような不正・犯罪行為を構造的に生み出す温床になることはいうまでもないが、その一方で「脱け殻」となった行政セクターにおいても深刻な「モラルハザード」(職業倫理の荒廃)が引き起こされていることは、今まであまり注目されてこなかった。民間への移管にともなって公務労働に対する現場での責任感と熱意が失われ、公務員の資質の劣化とモラールの頽廃が生じているのではないか。民営化にともなう「マイナスの連鎖反応」がいま職場で激しく進行しているのではないか。そしてそれがひとり建築行政にとどまらず、地域住民の生命と生活の安全と安心に関わるすべての職場に蔓延していくような事態が広がろうとしているのではないか。このことを「公共性の破壊・崩壊」といわずして何といおうか。

古来、職業倫理が厳しく問われる職能を「プロフェッション」と名付け、その担い手を「プロフェッショナル」と呼んだ。また天から与えられた仕事という意味で「天職」ともいった。いずれも世俗的な利害関係を超越した使命感をもって当たる職業を意味する。建築家・建築士もその一つだった。だがいまそんなことを言ったら、業界では一笑に付されるのが落ちというものだ。それほど多くの建築家や建築技術者は酷使され、尊厳を傷つけられている。朝から深夜までぶっ通しで働かされて、それでいてやっと食えるほどの低収入しか手にすることが出来ない。こんな状態が日常化すれば、「鉄筋を減らさなければ仕事をやらないよ」と脅迫されたら、「プロ」としての誇りも何もかも捨てて悪徳建設業者の言いなりになる建築士が出てきても何の不思議もない。

しかしそんな惨めな境遇にありながらも、「いい仕事をしたい」と歯を食いしばって頑張っている良心的な建築士が数多くいる。所員一人すら雇えないような小さな建築設計事務所が山ほどあるが、そんな一人事務所で驚くほどのいい仕事をしている建築士たちを私は数多く知っている。クラスメイトの中にも華やかな職場を避けて、地場の木材を使った在来工法の住宅を数十年間にもわたってコツコツと設計し続けている友人たちが結構いるのである。

この人たちの名誉のためにも、そして建築家・建築士としての専門職能の建て直しのためにも、今回の悪徳業者グループによる「ぐるみ犯罪」を民間検査機構も含めて徹底的に摘発しなければならない。と同時に、良心的な建築家・建築士の処遇を抜本的に改善することが不可欠だ。また国民の生命と財産に関わる専門職能の公共性を公務や非営利組織の再編を通して確保していくことも重要である。そのためにも心ある建築団体は今こそ声を上げて行動に移してほしい。建築家協会・建築士会・建築事務所協会などはもとより、建築学会・マンション学会・都市住宅学会・不動産学会など専門学会も早急に行動を起こすべきだ。また自治体で働く建築主事など公務員組織も厳しい自己点検が必要だろう。

「民間に出来ることは民間で」というのが市場万能主義の小泉構造改革のスローガンだ。しかし「民間もいろいろ」で悪徳限りない連中も数多く含まれていることが今回の事件で白日のもとに曝された。この際、相変わらずの民営化ソングを囃し立ててきたマスメディアも少しは反省したらどうか。国民も安易な民営化が自分たちの生命や生活の保障にとってどのようなリスクをもたらすかについて真剣に考えるべきだ。そしてわざわざ「大きい政府」にする必要はないが、「小さすぎる政府」は危険だということを身をもって知るべきだ。