11月28日:大阪市長選挙
「西村真悟民主党議員、今日にも逮捕」、「姉歯建築士の構造強度偽装事件、全国に広がる」、「TBS、楽天との統合拒否」、「広島の女児誘拐殺人事件」などなど、こんな物騒な事件ばかりを冒頭から並べると、読者の皆さんは「いったいなんのことだ」と思われるだろう。実は、これは今日11月28日の朝6時と7時のNHKテレビ全国ニュースの順番なのだ。昨夜は出張の疲れもあって大阪市長選の開票結果を見る間もなく寝てしまったので、今朝のニュースで選挙結果を知りたいと思って早起きしてテレビをつけたのだが、待てど暮らせどいっこうに選挙ニュースが報道されない。6時のニュースではついに全国放送で無視され、関西の地方ニュースになってはじめて報じられる有様だ。また7時のニュースではスポーツニュースの後に回され、終わり方の7番目でやっと出てくる始末である。日本屈指の大都市である大阪市の市長選挙結果が、もはや全国ニュースにもならないほど報道価値を失っているのを知って愕然とした。
全国紙(大阪本社版)の取り扱いをみても一面のトップ記事は朝日だけ。毎日・読売・日経のトップ記事は西村議員の逮捕関連ニュースだ。一代議士問題よりも大阪市長選挙のほうが軽い扱いだから、もう何をかいわんやだろう。大阪市もそこまで落ちぶれたのか、と思わずいわずにはいられないほどの超低落振りである。関西や大阪が東京のマスメディア(ひいては中央政財界)から無視される原因の一端が、今回の大阪市長選挙に象徴されるような大阪市政の混迷にあることは疑いない。
投票率33.9%、得票率40.9%、絶対得票率(有権者総数に占める獲得票数)13.9%、前回得票数から89519票減という関氏の得票結果が示すように、関市長が任期半ばでありながら突然辞意を表明して「出直し選挙」「みそぎ選挙」に打って出た行為は、当選はしたものの遂に市民の支持を得ることが出来なかったといってよい。というよりは、市民にもマスメディアにも真意はバレバレで、最初から最後まで腹の底を見透かされていたといった方が正確だろう。
小泉劇場選挙にあやかって「改革ブーム」を演出し、これまで市当局とは切っても切れない関係にあった市労連や市議会オール与党との三位一体のしがらみを断ち切って、「市民の手づくり選挙」に打って出るというシナリオまではよかったのだが、いざ立ち上がってみると肝心の拍手喝采してくれるはずの市民がいっこうに出てこない。もともと「同じ穴の狢(むじな)」なのだから、市労連や市議会オール与党と手を切るとなると選挙運動の手足が見つからないのは当然だ。そこで次の瞬間には前言を翻して、自民・公明・(民主)の与党会派に全面的に擦り寄るという醜態を晒すことになる。この時点で、関氏は心ある市民やマスメディアから完全に見放されたといってよいだろう。
関氏が無謀ともいえる市長辞任と再出馬に踏み切った背景については、すでに私なりの分析を10月19日の日記で述べておいた。端的に言えば、自らも責任の一端を免れない乱脈市政の膠着状態を禊(みそぎ)選挙で一旦ご破算にし、返す刀で大平助役の次期市長候補としての芽を摘むという一石二鳥の戦術である。この分析を裏付けるような決定的な証拠は今のところ出ていないが、といってそれを否定するような材料もないので、それほど間違った分析だとは思わない。むしろ状況証拠はますますそれを裏書しているようにさえ思える。
だが関氏自身の思惑はそれとして、その後の状況の推移は関氏にとってはかなり厳しかったようだ。当初は袖にされた与党各会派の中には関氏以外の候補を模索する動きも結構あって、最終的な妥協は「関市長の任期はあと2年」という条件付きで渋々決着したのが事の真相らしい。つまり長期政権を狙ったはずの再任劇がかえって裏目に出て、関市長は自らの政治生命を絶つ破目に陥ったのである。策に溺れて自滅することを「墓穴を掘る」というが、関市長の今回の行動はまさに絵に描いたそのような事態の展開だとはいえないだろうか。
当選後の関市長は「これで市民の信任を得たので大改革を断行する」と意気込んだ振りを装っている。だが「当選確実」と報道されたあとの万歳の光景一つをみても、その表情は恐ろしく冴えないもので、隣にいた関係者に腕を掴んで高く上げてもらわなければ両手が上がらないほどの意気消沈ぶりだった。残る期間が「死に体」にならざるを得ないことをなによりも本人がよく知っているからだろう。
関淳一市長はいうまでもなく戦前の大大阪の名市長と謳われた関一氏の孫に当たる。祖父が亡くなってから僅か半年あまりして生まれた孫だから、きっと祖父の生れ代わりとして名前の一字を取り、淳一と名づけられたのではないか。いわば直系のサラブレッドなのである。前市長の磯村氏が後継者に選んだのもそのことを充分に意識してのことだったという。
私たち都市政策・都市行政・都市計画の研究者の間でも関一市長の令名はつとに高い。関一日記を刊行した芝原篤樹氏(桃山学院大学教授)、同じく共同研究者の宮本憲一氏(大阪市大名誉教授)、加茂利男氏(大阪市大教授)なども関一市長の業績を高く評価している。それだけではない。池上惇氏(京大名誉教授)は当時東京商科大学教授(現在の一橋大学)だった関氏を助役に招聘した第6代大阪市長の池上四郎氏の孫に当たる。その方たちとの日ごろの交友を通して、私たちは関一市長を都市政策・都市計画の偉大な先達として心から敬意を払ってきた。だからこそ関淳一市長にかける期待も大きかったのだ。
でもこの間の一連の経緯は、私たちの期待を失望に大きく変えた。関淳一氏が祖父の名を汚さず、もし大阪の再生を本気でやり遂げる気であれば、市長に当選したいまは死に物狂いで頑張るほかはない。それも市労連やオール与党からの政治的独立を前提にしての話である。それが出来るか否かで淳一氏のこれからの歴史的評価が決まるというものだ。
関一市長は、百人一首の蝉丸法師の句をもじって「知るも知らぬも大阪の関」と当時の多くの市民に慕われた。今日の新聞は「浮くも浮かぬも大阪の関」と淳一市長を皮肉っている。一時の政治情勢に左右されることなく、淳一市長は大阪の再生と復権のために政治生命を賭して頑張ったほしい。(蝉丸の一首は、「これやこの行くも帰るも別れては、知るも知らぬも逢坂の関」というもの)。