11月24日:ドイモイ政策の光と影(続き)
これに対して旧市街地であってももう少し敷地や住宅規模にゆとりのある中間層住民の地域では、目下、持ち家の増改築ブームが起こっている。たいていの場合は2階建てを3、4階建(場合によっては5階建)に増築するのである。しかし敷地の規模や形は、間口4〜5メートル、奥行き15〜20メートルといった従来のものと変わらないから(京都の町家の「鰻の寝床」にそっくり)、いわゆる「ペンシルビル」(鉛筆のような細長い建物)や「センベイビル」(煎餅のように薄い建物)が凸凹に乱立することになる。
これらの住宅にはもちろんエレベーターはない。だから高齢の親夫婦が1〜2階に住み、息子・娘家族が3〜4階に住んでいるケースが多い。しかし部屋数の増加や居住面積の拡大は待ったなしの切実なニーズなので、とにもかくも建設ラッシュなのである。加えて衛生面からも台所設備や入浴設備そして便所の近代化は欠かせない。ドイモイ政策による所得増が中間層の住宅改善と生活向上に寄与しているのは明らかであり、戦後の日本で団地住宅の最大の魅力が台所のピカピカのステインレス流し台と水洗便所だったことを思い出す。
不思議に思うのは、これらの市街地では建築物の高度制限が全くないことだ。住宅もオフィスや店舗も極端に不足しているので、できるだけ土地の高度利用を図りたいのであろう。それに高温多湿の熱帯性気候だから、日本のように日照問題が起こらないことも幸いしているようだ。むしろ強烈な日差しをどう防ぐかが重要な課題である。また地震がないということなので構造上の制限もないに等しい。わが国ではいま1級建築士の構造計算書の偽造問題で国中が揺れ動いているが、ヴェトナムではこんなことは話題にもならないに違いない。
とはいえ建設中の建物を数多く見たところ、柱といい梁といい「こんなにスリムでいいのか」とひどく不安になった。鉄筋コンクリート造の鉄筋などはまるで針金のように細いのだ。それでも地元の民間建設業にとっては願ってもないビジネスチャンスが到来しているので、この旺盛な建設需要に応えて急速に企業規模を拡大している。また地域での雇用創出にも大きく貢献しており、労働力対策としても成功していることは間違いない。
しかし、注目されるのは第3のケースだ。ドイモイ政策の最大の特徴は、都心1等地の「サービスアパート」といわれる外国人向けの超高級賃貸アパートと郊外の大型高級住宅団地・ニュータウンの開発にあるのではないか。前者は、いま日本で注目を浴びている「六本木ヒルズ」のヴェトナム版だと思えばよい。日本からの大企業駐在員(ほとんどが単身赴任)は例外なくこの種のサービスアパートに入居している。個人ではとても払えないような高家賃(月額1500〜4000米ドル、ヴェトナム人の平均月収の300〜800倍)なので、すべて会社持ちである。
一方、滞在期間が長期化するにつれて家族連れの駐在員も増えてきている。大都市に住む外国人にとって最も必要な条件は、安心安全で快適な高級住宅、子供たちに充分な教育を受けさせることのできるインターナショナルスクール、それにショッピングとレジャー施設、信頼できる医療サービスだとされている。この条件をすべて満たそうと思えば、大規模なニュータウンを開発する以外に方法がない。目下、ハノイでもホーチミンでもこの種の新しい住宅需要に対して精力的に推進されているのが、都心から車で20〜30分の郊外の大型の高級住宅団地・ニュータウン開発である。事業主体はほとんどが外資系のデベロッパー(台湾・香港・シンガポール・インドネシアなど)とヴェトナム企業とのジョイントベンチャーで、ハノイ市やホーチミン市などの自治体もその一翼に参加している。いわば国家・自治体公認の開発事業として大々的に推進されているわけだ。
その代表的な開発事例がハノイ市郊外の「シプトラ・ハノイ国際都市」である。2001年から始まった第1期建設工事(賃貸アパート1200戸・家賃月額1500〜3000米ドル、分譲戸建住宅700戸・分譲価格20〜40万米ドル)は現在ほとんど完成しており、すでに入居者が住んでいる。また第2期工事(10000戸)もスタートした。並行して、ショッピングセンター、病院、ゴルフ場、国連インターナショナルスクール(生徒数1600人)も建設されている。ハノイ市ではこの他にも3カ所で同様のニュータウン開発が予定されている。
ホーチミン市南部郊外の「サイゴンサウス新都心計画」の場合などはもっと凄い。台湾系開発会社(保有株比率70%)とホーチミン市(同30%)のジョイントベンチャーが作成した開発計画によると、総面積は3300ヘクタール、計画人口は100万人の大規模開発計画で1998年に中央政府から許可されている。プロジェクトの謳い文句は、「100%外国資本の直接投資が可能」、「近代化された都市を目指すインフラ設備」、「明確な50年の土地賃借権」、「ホーチミン市・ヴェトナム政府の承認」、「ワンストップサービスの実施」などである。
目下、道路や橋梁のインフラ整備工事と並んで第1期計画が進行している。第1期計画の中身は、フランス植民地時代の旧サイゴン市(40万人)に代わる文字通りの新都心開発である。外国人と富裕層向けの賃貸・分譲の各種住宅の大量建設に加えて、主要施設の中身も世界貿易センター、証券取引所、国際クラブハウス、ホテル、クリニック、ゴルフ場・遊園地などの各種レクリエーション施設、外国人学校(日本、韓国、台湾、国際)など、国際都市としての施設整備が主である。
このような外資系デベロッパーと大都市自治体のジョイントプロジェクトの盛大な展開状況をみると、中国沿岸大都市部の開発ブームが1周遅れでヴェトナムにも上陸していることがわかる。そしてこれらの巨大開発プロジェクトが激しい土地投機を引き起し、日本のバブル時代にも匹敵(あるいは凌駕)するような地価の暴騰を招いていることは、これも中国とよく似ているといわなければならない。
ヴェトナムでは1993年以前は土地の売買は厳禁されていたが、1993年に土地法が制定された以降は土地所有権と土地利用権が明確に分けられ、利用権の譲渡・売買は自由化された。また2001年の改正土地法によってヴェトナムに長期在住している中国人(越僑)にも土地利用権の購入が認められるようになった。開発投資を誘致するための土地利用権の売買自由化が一挙に地価を引き上げる契機となったのである。
まるで信じられないような数字だが、たとえば2002年当時のホーチミン市中心部の地価は1平方メートル当たり3000〜4000米ドル、坪単価に換算すると日本円で坪120〜155万円になる。またハノイ市中心部の地価は1平方メートル当たり16000米ドル、日本円で坪630万円だ。ヴェトナム国民の平均年収は500米ドル、都市部では650米ドルだから、これがどれほどの天文学的数字であるかがわかるというものだ。それに地価の暴騰は都心部だけではない。大型開発の行われている(あるいはその計画がある)農村部でも地価の暴騰ぶりは凄まじく、年に数倍、数週間で数倍という事例も珍しくはない。これでは「暴騰」を通り越してもはや「狂乱」と形容した方がよいのかもしれない。
こんな事態に直面して、政府は土地投機を抑止するために2004年改正土地法を施行し、土地取引のガイドラインとなる公示価格を適正化する、開発の進まない土地は収用する、土地利用権の発給規定を透明化して不正を防止する、農地取引を制限するなどの対策を打ち出した。しかしそれがどれほどの効果を上げているかは目下のところ不明である。
私は中国やヴェトナムでなぜかくも汚職が絶えないのか、また改革開放路線やドイモイ政策以降になぜ大型汚職が権力の中枢部で頻発しているのか、その原因をこれまで充分に理解できなかった。しかし現地での外資系デベロッパーと政府・自治体のジョイントベンチャーによる大型開発を目前にして、これでは利権漁りと汚職が発生しない方がおかしいと気付かずにはいられなかった。開発許可の権限を政府や自治体幹部が一手に握って大規模な外資導入を図ろうとすれば、開発利益を地価騰貴という形で外資系デベロッパーに還元せざるを得ないからだ。そうでもしなければ、外資が他国に逃げてしまうという事情もあるのだろう。しかし同時に、地価騰貴が開発許可権限を持つ幹部たちにとっても得難いビジネスチャンスであることは明白だ。開発権のインサイダー取引きが関係者間で構造化されるようになれば、これほどボロイ商売はないからである。
このようなある意味では割り切れない気持ちを抱きながら、視察の終わり頃になって漸くホーチミン市の戦争証跡博物館を訪れた。このヴェトナム戦争博物館は1975年4月30日のサイゴン陥落から僅か4カ月余りの9月4日に開館され、これまで延べ1100万人(1日約1000人)が見学に訪れている。大半が外国人でヴェトナム人は3分の1ぐらいだという。私たちが行った時もアメリカ、フランス、ドイツ、韓国などの人が目立って多かった。2005年は戦争終結から30周年に当たるので、2002年からの改築工事が2005年の春に終わり展示物も一新されていた。日本からも反戦運動の資料が多数送られたという。
博物館のパンフによると、アメリカはヴェトナム戦争の遂行のために延べ650万人の若者を動員し、ピーク時には南ヴェトナムに54万3400人のアメリカ兵が駐屯していた(イラク派兵の約4倍)。ちなみにアメリカ陸軍の70%、空軍の60%、海兵隊の60%、海軍の40%が戦争に直接従事し、アメリカ企業も2万2000社が従軍していた。アメリカ軍がヴェトナム国土に投下した爆弾は、第2次世界大戦中にアメリカ軍が各国の戦場に投下した爆弾の約4倍の785万トンに達し、北ヴェトナムで破壊された施設は大学・学校2923校、病院・診療所・産院1850カ所、教会484カ所、神社・寺院465カ所に上る。ヴェトナム人は300万人近くが死亡し、400万人が負傷した。またアメリカ兵も5万8000人以上が死亡した(現在のイラク戦争によるアメリカ兵の死亡数は2000人を超えたと報道されている)。
だが私の率直な第一印象は、これだけの世界史に残る大戦争を検証する記念館でありながら、あまりにも施設の規模が小さく、また展示物の種類もそれほど充実していないことだった。アメリカには数々の優れた歴史博物館があるが、その末端施設にも及ばないほどのささやかな博物館なのだ。それに戦争の直接的な被害や殺戮の現場に関する展示物はあるが、ヴェトナム戦争が世界に与えた歴史的影響を科学的に検証した国際関係資料は非常に手薄だった。ヴェトナム戦争の傷跡があまりにも深かったために、国内では戦後復興にエネルギーが集中され、戦争のもつ意味の歴史的検証が遅れているのではないかとさえ思われた。
もとよりこのようなことはヴェトナム一国では到底なし得ない歴史的大事業だから、世界各国からの国際的支援が求められることはいうまでもない。アメリカをはじめヴェトナム戦争に加担した各国は率先して協力する戦争責任を背負っているはずだ。カンボジアのアンコールワット遺跡の修復では世界各国が分担して復元作業に取り組んでいるのだから、それができないはずがない。そしてヴェトナム自身も研究体制を飛躍的に強化して、自国の若者たちにもっとヴェトナム戦争についての学習機会を与える必要があるのではないか。ドイモイ政策に基づく開発事業だけでは、物的な都市建設は進んでも国としての誇りや国民一人一人の精神的な緊張感が崩壊してしまう恐れがある。せめても開発投資の1%程度は歴史検証に注ぎ込んだらどうか。
でも大きなことはいえない。日本は太平洋戦争の教訓を学ぶ戦争博物館を遂につくれなかった。そのことがどれほど国家の戦争責任を曖昧にし、国民の歴史観を歪めてきたか計り知れない。その代りに出来たのが靖国神社の遊就館だというのではパロディにもならない。不作為行為のツケは大きい。