11月15日:ドイモイ政策の光と影

 10日間の日程を終えてヴェトナムから無事帰国した。「無事」という言葉がピッタリするほど今回は緊張感に満ちた日々の連続だった。鳥インフルエンザの発生は一向に収まらず全土的に拡大する気配を見せているので、食事はもちろんのこと鶏が売られている市場に行くのも要注意だった。農村部でも鶏が放し飼いにされている農家へは近寄らなかった。それに気候は雨期とは言え、直射日光の下では体感温度で連日40度をはるかに超える「猛暑」続きである。1日に3度ぐらい着替えをしなければならときもあった。

また国内は鉄道と幹線道路網が未整備なので、主要都市間は飛行機に頼らざるを得ない。ところがこの国内便に乗るのが一大苦労で、前日にリコンファーム(搭乗確認)したはずの飛行機が当日になると「満席で乗れない」なんてことになるのは日常茶飯事のことなのである。実際、ハノイからフエに飛んだときなど、搭乗窓口で一行の半分の席しか取れていないといわれて立ち往生した。散々押し問答を繰り返した挙げ句、やっとダナン行きのチケットを発券させて半分の6人がダナンまで行き、そこからバスでフエ市内のホテルまで引っ返すという離れ技まで演じさせられる始末だ。最初は航空会社の「オーバーブッキング」(キャンセルを見越して席数よりも多い航空券を発行すること)が原因かとも思ったが、現地の事情に詳しい話を聞くと、どうやら誰かが割り込んだらしい気配が濃厚だ。我々一行の列の前に突然チケットの束を持った連中が割り込んできて、その煽りを食って締め出されたらしい。それが「偉い人」だったのか、それとも「袖の下」を使ったのか知らないが、とにかく印象の悪いことおびただしい。こうして北部のハノイ市から中部のフエ市・ダナン市、そして南部のホーチミン市と3千数百キロにわたるヴェトナム国土を文字通り縦断した。帰途にはカンボジア王国にも少し寄り道をしてきた。

 出発前に書いたように、私たちの世代にとってヴェトナムは世界史を変えた国家として特別な意味を持っている。世界最強国のアメリカがアジアの一小国にすぎないヴェトナムを力任せに捩じ伏せようとしたのに対して、ホーチミンの率いる北ヴェトナム(ヴェトナム民主共和国)と民族解放戦線(南ヴェトナム共和国内のレジスタンス勢力)が団結して戦い、遂に独立を勝ち取った英雄的な国家だからである。「独立と自由は命よりも尊い」、「瞳のように統一と団結を大切にしよう」といったホーチミンの言葉は、当時の日本中の青年たちの心をとらえた。その国と国民が戦後どのような復興を遂げまちづくりをしてきたのか、経過と成果をこの目で見ることは都市計画研究者ならずとも一人の人間として興味を引かないわけがない。

 しかし率直な感想としては、一概にどうこういえないような複雑な心境に襲われたことを否定できない。まちづくりそのものが目下進行中であり過渡的な状況にあることもあるが、そのプロセス自体にも大きな問題を感じるからだ。1年前に中国の西安市で感じた印象をもっと生臭くして再現したような感じさえ受けた。

 ヴェトナム(ヴェトナム社会主義共和国)の現在は、すべて1986年以降のドイモイ政策に端を発するといってよい。1978年に始まった中国の改革開放路線から遅れること8年、国内的には市場経済の導入、国際的には外資導入による企業誘致などを核として「国家が市場を管理し、市場が経済を活性化する」という経済政策の大転換が始まった。  

 以降、都市計画とりわけ住宅政策の面での方針転換には目を見張るものがある。それは従来の各市・各省庁・軍・国営企業等による公的住宅の直接供給政策から、民間企業(外資系企業を含む)による持ち家建設・分譲集合住宅(マンション)供給促進政策への転換である。背景には、社会主義諸国からの経済援助が途絶えて建設投資が枯渇したこと、中間層の持ち家取得ニーズが切実であったこと、大規模な住宅地開発計画を具体化するには外資系デベロッパーの誘致が不可欠であったことなどの事情があった。

 この政策転換はその後の都市の様相を大きく変えた。とりわけハノイ市やホーチミン市のような大都市では、場所によっては光景が一変したといっても過言ではない。これら大都市の市街地はおよそ3つのタイプに分かれるように思う。

第1は、従来のままの老朽化した低層住宅がぎっしりと立ち並んでいる低水準の密集市街地だ。一般の勤労者や職人、小売り商人などが住んでいる。ここでは昔も今もほとんど同じ街頭風景が展開されている。道路沿いの部屋は例外なく店舗か作業場に充てられ、その奥に1、2室の居室がある。2階もあるが別の家族が住んでいる場合が多いので、人口密度はきわめて高い。それに炊事場や厨房が室内に整っていないので、まな板とバケツ1杯の水で表の路上で調理をする。いわゆる下町でもっとも活気のある場所には違いないが、下水施設も不十分で排水がままならないから、家庭汚水やゴミの散乱による臭気は凄まじいものがある。しかし路上には腰一つ掛けられるだけの小さな椅子やテーブルが並べられ、家族はもちろんのこと近所の人たちも交えての食事やお茶の場所になる。麺やご飯の屋台が並べられているのもほとんどこのような場所だ。綺麗好きの日本人にとってはちょっと尻込みしてしまうところだろう。

このような密集市街地は再開発をしなければ居住環境を改善することは不可能だ。しかし採算を重視する民間再開発事業ではこれは無理である。せめても政府や自治体が道路や下水・排水設備を整備してからでないと住宅改善も緒につかない。また激増しているバイクの置き場が全くない。歩道という歩道がバイクで占拠されている。日本の放置自転車やバイクの不法駐輪の比ではない。とにかく危険な車道に出ないと満足に道も歩けないのである。ところがこんな基本的なインフラ整備が遅々として進んでいない。ドイモイ政策ではどうしても公共事業が後回しになるのではないか。そんな疑問が最初に頭をもたげてきた(続く)。