9月9日:台風14号とハリケーン・カトリーナの波紋
この頃、出張先で地震や台風に遭遇することが多い。それだけ災害の発生頻度が増大しているということだろう。7月22日は東京農工大でのシンポジウムからの帰途、僅か2時間違いであやうく震度5の首都圏地震に掴まるところだった。しかしそれから1カ月後の8月22日、上越市でのNPO全国フォーラムでは会議のさなかに本当に震度5の中越地震に遭遇してしまった。そして今回は台風14号とのニアミスである。
9月1日から大阪で建築学会全国大会が開かれ、3日目が中越地震をめぐるシンポジウムだった。中山間地域の被災集落の復興をめぐって各専門家が横断的に参加して、そのあり方についての議論だ。最大のポイントは、被災者や専門家の立場からする復興計画がどれほどのリアリティを持つのかという点だった。往々にして専門家がつくる復興計画には理想案が多い。とくに技術系の計画は予算や制度などの制約条件に疎いのでユートピア計画といわれるぐらいだ。私も討論の一端に参加したが、この点に関しては技術系学会の弱点を強く感じた。
地震学者でもあった寺田寅彦の言うごとく、地震は自然現象だが震災は社会現象だ。だから地震学や土木建築学の研究は、地震発生のメカニズムや土木建築物への力学的影響を理工学的に解析することが中心になる。しかし震災の実態は誰がどんな被害を受けたかを正確に分析しなければ明らかにならない。それも構造物などの物理的被害だけではなく、そこで生活を営んでいた住民がどのような肉体的・心理的・経済的被害を受けたかを明らかにする必要がある。またそうでなければ、被災者の生活を再建することも復興することも難しい。広範な分野の社会科学者の参加によって、切実な社会現象としての震災を把握しなければならない所以だ。
しかし社会現象としての震災を明らかにすれば復興は可能になるかといえば、必ずしもそうとはいえない。それは復興には政治的判断がともなうからだ。どれだけ被害が深刻であっても、惨状をそのまま放置して見捨てる(見殺す)という政治的選択肢もある。私は、「地震は自然現象」で「震災が社会現象」なら「復興は政治現象」だと発言した。言いたかったことは、復興計画には政治的側面からのリアルな検討が必要だということだ。被災地をめぐる複雑な政治情勢のなかで、被災者を無視した住民不在の復興計画が決定されていく有り様を、私は阪神・淡路大震災の経験を通して嫌というほど見せつけられてきたからである。だからこんな発言をしたのだが、若い研究者が私の真意をどれだけ理解してくれたかを確かめる時間はなかった。
学会の後、恒例によって農山漁村の研究者たちのグループで構成する農村建築研究会の見学旅行があった。私も一時期この分野の研究をしていたことがあったので、その後も一緒に行動している。今回の見学旅行は和歌山県の山間集落と沿岸部の漁村だった。観光的に言えば、世界遺産に指定された熊野古道をはじめ紀伊半島横断の旅である。だが出発した当日の4日からはやくも台風14号の余波が押し寄せてきた。紀伊半島の中央部すなわち熊野川上流は日本でも指折りの多雨地域だ。大台ヶ原などは年間雨量が数千ミリに達するという。そんなところで横風交じりの驟雨に見舞われるのは何となく恐ろしい。
熊野古道の周辺には昔の宿場や山村集落が点在している。だが子どもたちの姿はおろか、人影もほとんど見かけない。台風接近のニュースを聞いて身を潜めているのだろうか。ほとんどの家が高齢者家族で、お婆さんの独り住まいも三分の一近くに達していて、空家も相当な数に上るという。同行してくれた和歌山大学経済学部の助教授が「10年経ったら果たして何軒の家がここに残るのか」といったときは、誰からも声が上がらなかった。
この状況は漁村もそれほど変らない。串本の対岸にある紀伊大島集落もその一つだ。最近になって串本と大島を結ぶ大橋が開通して便利になったが、少子高齢化の勢いは止まらない。こんな状況下で南海地震が発生したら集落は完全に孤立してしまう。昨年の全国の風水害の死者・行方不明者の6割は高齢者だった。今度の台風14号の犠牲者も宮崎県では高齢者が大半を占めている。災害は一瞬の間に社会を引き裂いて断面を露わにする。地域のなかで徐々に進行している社会の矛盾が切断された断面に一挙に露呈されるのだ。
こうして各地で新幹線が止まり飛行機が欠航するというニュースを聞きながら辛うじて帰って来たら、今度はアメリカの南部沿岸地域一帯を襲ったハリケーンが一大政治問題化していた。ルイジアナ州の最大都市・ニューオーリンズがハリケーンに直撃され、市内の8割が冠水し、10万人以上の住民が避難出来ないで取り残されているというのである。それも貧しい黒人が大半だという。避難命令はでたが、避難するための車もバスもない黒人には脱出する術がなかったのだ。災害は人間を差別するというが、ここでも貧しい人たちが空前の危機的状況のなかで放置され、動物以下の扱いさえ受けることができなかった事実が次第に明らかになってきている。アメリカ社会の断面がこれほど露わになったことはない。
かってアメリカの防災・危機管理対策を一手に掌握していた「フィーマ」(FEMA:Federal Emergency Management Agency、連邦緊急事態管理庁)は、世界の関係機関の中でも最も先進的な災害対応組織としての存在を誇っていた。あらゆる政府機関から独立し、閣僚級の権限と財源を持ち、災害時には大胆で機敏かつ柔軟な行動をすることで知られていた。それがブッシュ大統領によってテロ対策中心の国土安全保障省の一部局として統合され、多くの防災専門家たちが職場を去った。その矛盾が劇的な形で一気に浮上したのである。
世界のニュースは余すところなく惨状をトップで伝えている。しかし被害の全容が明らかになるのはこれからだ。またなぜこのような事態に陥ったかの調査と検証もこれからである。全てはこれからだが、しかしすでにブッシュ大統領は手痛い批判を受けている。イラク派兵問題とハリケーン被災問題が内憂外患として彼を政治的に包囲しているからだ。彼がこの窮地から脱出するにはよほどの政治的得点を稼がなくてはならない。復興計画がどのような形で打ちだされるか注目に値する。
台風14号とカトリ−ナのニュースで、総選挙の終盤戦がなんだか霞んでしまったような印象を受ける。小泉首相は「シメタ」と喜んでいるのだろうか。それとも自分に跳ね返ってくると心配しているのだろうか。彼自身の個人的思惑はともかく、私は今回のアメリカのハリケーン被害は、「ブッシュのポチ」といわれている小泉首相にとっては大きな痛手になると考えている。日本の社会矛盾や政治問題についてはおとなしいマスメディアが、今回のブッシュ批判にはなぜか積極的に参加しているからだ。日本の視聴者はアメリカを鏡にして日本の姿を見るのではないか。ブッシュ大統領と小泉首相を重ね合わせて事態の真相を考えるのではないか。その意味でカトリーナ問題は決して「対岸の火事」には終わらないだろうと思う。