9月6日:デマゴギーと民意

 ここ2、3日の各紙の選挙分析をみると、いずれも自民党の優勢ぶりが伝えられている。自民・公明両党が安定過半数をとるとの予測もある。小泉首相の郵政民営化一本に絞った選挙戦術が効を奏しているのだそうだ。こんな馬鹿げたことがあるかと信じられない想いだが、有権者の世論調査の結果をもとにした分析なのだから簡単には否定出来ない。そうすると投票前の劇的な情勢変化でもない限り、この予想がほぼそのまま選挙結果として現実化することになるのであろうか。自分の努力もまだ足りないので論評する資格はあまりないが、やはりやりきれない気持ちを抑えることができない。

 雑誌『世界』の9月号で、ノンフィクション作家の保阪政康氏は「(小泉首相は)『新しいファッシズム』の先導者なのか」という論説を書いている。そういえば評論家の斉藤貴夫氏も同様の表現を用いていたように思う。感覚的な「変人」「奇人」といったジャーナリスティックな評価はこの際きちんと再検討して、彼の政治行動を科学的に分析することが必要だ。「嘘も百回言えば真実になる」というが、郵政民営化をめぐるデマゴギーなどその最たるものではないか。ひょっとすると、石原知事などよりは遥かに巧妙で悪質なデマゴーグかもしれない。

 にもかかわらず、我々日本人はどうしてこんな単純なトリックを見抜けないのだろうか。「日本人は馬鹿だ。政治水準がお粗末なほど低い」などというのは簡単だが、それだけでは投げやり的な悪罵に終わってしまう。小泉首相を支持し、郵政民営化に賛成する多くの有権者が存在していることは厳然とした事実なのだから、なぜそうなるのかということを客観的にみる姿勢が求められる。私のみるところはこうだ。
 まず第一に言えることは、「古い自民党」をぶっ壊すという小泉首相の言動に共鳴する有権者が意外に多いことだ。これまでの自民党議員のような旧態依然とした陳情政治の上にあぐらをかき、利権に明け暮れ、国民の税金を地盤・看板のために浪費する連中を見ていると虫酸が走るという人が非常に多いのである。そしてその批判の対象として上がるのは、例外なく公共事業の獲得に血道をあげてきた地方の有力な土建族議員たちだ。だから大都市のサラリーマン層は、自分たちの納めた税金がいつも地方に持って行かれて自分たちのところへは回って来ないという被害者意識を抱えている。地方に対するやり場のない腹立しさと反感が長年積もりに積もっているのである。

 この反地方感情に巧みに火をつけたのが、今回の「刺客騒動」だろう。郵政民営化法案に反対した自民党造反議員を「古い自民党」の標的に祭り上げ、地元の利権とは関係のなさそうなグローバル企業出身者やキャリアウーマンなどを真正面から対立候補としてぶつけるやり方は、私の周辺でも「すかっとした」という人が多かった。これらの落下傘候補の多くがアメリカ仕込みのエリート層であることも、大都市のサラリーマン層には親近感を持たせたように思える。こうして「新しい自民党」と「古い自民党」の交代劇を演出する小泉劇場にマスメディアが飛びつき、それがテレビドラマさながらに放映されるあり様は「ポピュリスト小泉」の面目躍如といったところだろう。

 実はこの新旧交代劇を「政権交代」に結びつけて演出したかったのは民主党の方だった。前回の総選挙で民主党が躍進した要因は、民主党が「改革イメージ」の旗印を掲げることに成功したからだ。彼らが改革の中身で勝利したのではない。改革のイメージで有権者の心理をつかんだのである。残念ながら、現在の日本の有権者の投票行動は、各党の政策の中身をじっくりと比較検討して判断するという水準に達していない。あるいは公約とその後の結果を比較して客観的に評価するという政治文化を持っていない。またマスメディアもそのような判断に必要な資料や情報を提供していない。テレビに出てくる学識者や評論家と称する人物たちも同種のキャラクターで独占されている。これでは有権者が比較して評価しようにも比較のしようがない。

 今回の総選挙での小泉首相の発言を吟味すると、「郵政民営化で改革、改革」と連呼するばかりで、改革した結果がどのような経済社会や国民生活を実現するのかということについては全く語ろうとしない。言えば民主党と同じく、国民に「痛み」を押しつける話ばかりになるからだ。だから選挙戦術は勢い改革イメージをどう打ちだすかに偏らざるを得ない。前回の総選挙での民主党の戦略は「若さ」を強調して「改革イメージ」と結びつけることだった。たとえば京都の民主党議員は自民党よりも右寄りのネオコンがずらりと揃っているが、スニーカーで走り回るという派手な演出で「肉体的な若さすなわち改革」というイメージづくりに成功した。だが生物年齢と政治革新思想との間には本来何の関係もない。

 しかし柳の下にはいつまでも二匹目の泥鰌はいない。小泉首相は郵政民営化法案否決を逆手にとって、キャリアウーマンを「刺客」に立てるという政治的な賭にでた。このあたりのポピュリスト的感覚はさすがだ。つまり自民党内の新旧・男女交代劇の演出で民主党のお株を奪ってしまったのである。民主党が自民党と政策的に対決しているのであればまだしも、両党の政策は大同小異ときているのだからどうにもならない。前回とはまるで攻守ところを変えた選挙情勢になってしまったのである。

 小泉首相のパフォーマンスの第二は、国民のなかに根強く横たわっている反役人的気分を利用して公務員を徹底的に悪玉に仕上げ、「官から民へ」という新自由主義イデオロギーで全てを染め上げようとしていることだ。彼の郵政民営化の演説を聞いていると、下級公務員でさえも「特権階級」と見なして国民の反感をあおり、そのリストラに国民を巻き込もうとしているのがよくわかる。国民の生活と福祉を支える現場の国家公務員や地方公務員をわざと官僚の「官」と呼び、「官尊民卑」に対する国民の反感を利用して執拗に公務員攻撃を繰り返すのである。要するに公務員を悪玉、民間企業を善玉としてこれ以上ないほど単純化し、世間話程度の勧善懲悪の論理で公共サービスの民間市場への開放を進めようとするのである。

 こんなお粗末な話は聞くのも恥ずかしいが、しかしそれが一国の首相の口から繰り返し語られているのが今回の総選挙の現実だ。しかもそれがマスメディアからの然るべき批判もなく、連日テレビで垂れ流しにされているところに事態の深刻さがある。これはもうポピュリスト的レベルを超えて、新しいファッシズムへの序曲として捉えなければならない段階かもしれない。

 投票まであと僅か1週間もない。この限られた短い時間内で果たしてどれだけまともな政治の話や政策についての議論を深めることができるか、それが勝負どころだ。小泉流のデマゴギーに乗せられるのか、それともその中から真実を見つけ出す真剣な議論が深まるのか、日本人が馬鹿でない証拠を見せてほしい。