9月14日:安全弁を壊した小泉自民党(続き)

 今回の総選挙でひときわ目につくのが、「落下傘候補」といわれる自民党の新人候補が地元候補を押し退けて大量に当選したことだ。それも小泉首相の「刺客」だけではない。自民党(本部)が選挙直前に公募で選んだぽっと出の新人候補までが地元のベテラン候補を抑えて結構当選している。当選するための三大要素といわれる「地盤」「看板」「鞄」のうち、最大の要素である「地盤」に異変が生じたのである。

 たとえば、こんな信じられないようなことが起こった。大阪2区で当選した東京出身の自民党女性候補(35歳)は、昨年夏の参議院選挙では和歌山選挙区から民主党公認候補として出馬して落選しているのだ。「小泉批判」を掲げての選挙戦だったという。ところがそれから1年そこそこの今回の総選挙では、驚くなかれ今度は自民党の公募候補として出馬しているではないか。そして街頭演説では「小泉」「小泉」を連呼するだけの選挙だったと大阪の友人から聞いた。出る方も出る方で節操がないことおびただしいが、そんな人物を選ぶ方も選ぶ方だ。これでは有権者としての見識がゼロというものだ。地元での政治活動の実績もなく、政治家としての資質の検証もなく、ただ小泉首相の「街頭宣伝車」に過ぎない無名の候補者に10万票もの支持が集まるのである。これが「小泉劇場」の実態だとしたら、日本の政治は情けないという他はない。いや「怖しい」というべきだろう。

 ところが、これが例外でなかったところに今回の総選挙の異常さと深刻さがある。京都6区でも同様のことが起こった。これも選挙直前に東京から京都に来て自民党公募候補として公認された女性候補(42歳)が、同じ頃に鳥取県の民主党候補に応募していたという。いわゆる「二股をかける」というあくどいやり方だ。だがこの女性候補は民主党候補と互角にわたりあい、落選はしたものの比例区で復活当選した。また和歌山1区では落選はしたものの、竹中経済金融相のブレインが民主党の候補になったのもそうだ。いったい政党とはなにか、といわずにはいられない。

 これらの現実は、候補者にとって自民党と民主党の間の垣根がもはやまったくないことを示している。要するに選挙に公認候補として出られる地域があれば、自民党でも民主党でもどちらでも構わないのである。こんな事態が生じるのは、この手の人物は自らの野心と権力欲を実現するためには手段を選ばないからであろうが、より本質的には両党の体質や政策理念に違いがないからだろう。またそうでなければ、たとえ建前であっても地元組織が公認候補として受け入れるのは難しい。まさに擬似二大政党たる所以だ。

 惨敗を喫した民主党は、新しい代表の選出を含めてこれから出直すという。しかし新代表が実力者グループからであれ、若手グループからであれ、どちらから選出されても新自由主義政党としての民主党の性格は変わらないだろう。数の上で自民党の4分の1にすぎない民主党はもはや「二大政党」を名乗る資格はないが、しかしそれ以上に自民党との同質性によって今後は次第に存在意義を失っていくことは確実だ。今回の民主党の惨敗が小選挙区制に基づくものであって、情勢が変われば同じことが自民党にも起こりうるという論評もあるが、政治姿勢や基本政策において自民党への明確な対抗軸を打ち出せない限り、それは不可能だというものだ。

 これまで民主党に派手な候補者や議員たちが集まってきたのは、政権交代による権力への近道がそこにあると思われていたからだ。だが今回の総選挙によって、その道は遥かに遠くかつ険しいものとなった。「政権準備政党」でなくなった民主党に果たして権力志向の議員たちはいつまでも我慢できるのか。これからは折と機会を見て自民党に接近する風見鶏も数多く出てくるのではないか。また民主党が足踏みを続けるときは、疑似二大政党体制を投げ捨てて憲法改正を契機に自民党との「大連立」に踏み切ることもあり得る。そうなれば国会の大多数を支配する巨大政党が出現することになり、かっての天皇制ファッシズム国家を支えた大政翼賛会体制の再現にもなりかねない。憲法改正が具体的な政治日程に上りつつあるとき、こんな推測が単なる杞憂で終わらないところに現在の危機的状況の恐ろしさがある。

 だが見方を変えてみれば、財界と小泉自民党は今回の総選挙で二大政党体制という「安全弁」を壊してしまったともいえる。そういえば、社会党を自社連立政権に取り込むことによって社会民主主義政党へ成長の道を封じたのも、また小沢自由党との合併によって民主党を新自由主義政党へ傾斜させたのも彼らだった。アメリカ型の保守二大政党体制を確立して日本株式会社を永遠に支配しようとしたのもグローバル資本だった。しかしその勢いがあまりにも強くかつ大きかったために、ブレーキも安全弁も吹っ飛んでしまったのだ。いまや行き着くところは「小泉自民党一党体制」しかない状況になってしまった。ソフトランディングできる条件を自ら摘み取ってしまったのである。

 選挙後の世論調査によれば、「自民党が大きくなり過ぎだ」、「恐ろしさを感じる」といった声が早くも出てきている。革新勢力を一握りの少数政党に押し込め、労働組合を牛耳り、マスメディアを支配下に置いて国民を意のままに操ろうとする彼らの強権的姿勢に対して、世論が警戒の声を上げ始めたのだ。また一方、小泉自民党の「改革」スローガンを真に受けて一票を投じた有権者からは、増税や社会保障の切り捨てが現実化するにつれて、早晩「騙された」との反発が出てくるのは必至だろう。いくら政治情勢に疎い有権者でも生活を取り巻く情勢が目に見えて悪化してくるようであれば黙ってはいまい。自民党の有力議員が政治座談会で「国民の期待が大きいだけに撥ね返りが怖い」といっているのはそのことなのだ。

 事態は分かりやすくなったといえる。これからは半端でない「痛み」が国民を鍛えるだろう。そして一方では改憲の日程は早まったともいえるが、他方では自衛隊のイラク派兵の先行きが予断を許さなくなってきている。イギリス軍とオーストラリア軍がサマワから撤退を計画しているというのだ。「人道支援」を旨とする日本の自衛隊が彼らの護衛なしで果たしてイラクにとどまれるとでもいうのか。もしアメリカのいうままに派兵を継続するようであれば、武装勢力が襲ってきたときにいったいどう対応するのか。「非戦闘地域」で戦闘が始まり多数の死傷者が出たときに、小泉首相はどのように国民に申し開きをするのか。民主党の西村議員のように「お国のために死んでくれ」とでもいうのか。それとも「ブッシュのために死んでくれ」というのか。

 このように考えてくると、小泉自民党のこれからは必ずしも順風満帆というわけにはいかないだろう。むしろ「薄氷を踏む」ような綱渡りを強いられる公算が大ではないか。そしてもし私たちが憲法9条の改悪阻止運動を軸とする国民運動の組織に成功すれば、少数とはいえ民主党内の護憲分子を励ますことも不可能ではないだろうし、良心的な自民党支持層に訴える可能性も生まれだろう。それは文字通り「戦争と平和」をめぐる戦後総決算の歴史的戦いになるだろう。