9月13日:日本の政治的後進性(続き)

 前回の総選挙の自民党議席数は237(造反議員を除くと212)、今回は296だから議席増加数は59(公示前と比較すると84)である。これに対して民主党は177から113へ64議席減らした。議席数の増減だけを見れば、民主党の減らした分を自民党がほぼそのまま積み上げたことになる。前回に民主党が共産党と社民党から奪い取った議席数の倍以上が今回は自民党に流出したわけだ。つまり民主党は「疑似革新政党」として共産・社民両党から議席を吸い上げ、それを自民党に注ぐ「スポイト」の役割を果たしたのである。

このことの意味するものは、自民党と民主党の日本の二大政党体制なるものが、実は「疑似二大政党体制」だということだ。そもそも二大政党体制は当初のイギリスの例にもみられるように、国民の階級階層のニーズを一定程度反映した異なった政治路線と政策がなければ成立しない。イギリスではサッチャー政権(保守党)とブレア政権(労働党)が登場するまでは、福祉国家体制の枠内で二大政党体制が成立し、政権は緩やかに両党の間で交代(スウィング)していた。二大政党体制という政治フレームのなかで資本主義体制は持続的に機能していたのである。それだけの政治的余裕が資本の側にあったからだともいえよう。

しかし福祉国家路線がグローバル資本の利益を代表するネオコン路線に取って代わられるようになると、イギリスにおいても保守党と労働党の政策は次第に接近し、二大政党体制は急速に機能不全に陥りはじめる。今年のイギリス総選挙では保守党も労働党もともにイラク派兵を肯定するといった状況の下で、第3党の自由民主党が大きく支持率を広げたのはこのためだ(私の訪英中の日記にも書いた)。自由民主党は小選挙区制の壁で政局を左右するまでの議席獲得には至っていないが、実質的には二大政党体制の崩壊がはじまったのである。

今回の総選挙で「次の内閣」をつくり政権交代に備えたはずの民主党が、たとえ瞬間風速的にせよ「政権政党」としての存在感を示すことができなかったのはなぜか。なぜかくも民主党は脆かったのか。その背景には実質的には自民党の一党支配が継続しているにもかかわらず、時代錯誤の二大政党体制を標榜して政権交代を目指した民主党の根本矛盾がある。民主党が出現してからの3回目の国政選挙において、表紙を変えただけの疑似二大政党体制のうさん臭さが漸くにして有権者に分かり始めたともいえる。

 これまでも幾度となく指摘してきたように、自民党と民主党の政策の間にはほとんど違いがみられない。市場メカニズムを万能視する新自由主義(イデオロギー)、日米安保体制の堅持(外交)、憲法9条の改訂と軍隊の海外派兵(軍事)、グローバル資本中心の経済体制(経済)、「小さな政府」論に基づく公共サービスの民営化(行政)、庶民増税による社会保障制度の再編(財政)などなど、ほとんど同一政党といってもよいぐらいだ。両党とも日本経団連を中核とする財界の意を受け、同じ自民党の流れを汲む政策スタッフがマニフェストを書くのだから当然だろう。

こうした体質をみるにつけても、日本の自民党・民主党が目指している二大政党体制は、むしろアメリカの共和党と民主党の「中身は同じで形が違う2本のビン」といわれる保守二大政党体制に近い性格のものだと思う。アメリカ型の保守二大政党体制が成立する条件は、共和党の支持母体である多国籍資本・グローバル企業の力が政治的にも社会的にも際立って大きいこと、国民のなかの激しい階層分化のなかで共和・民主両党支持層に共通する中間層が地域社会での相対的多数派を形成して所属階層の中に安住していること、下層階級やマイノリティが自らの利害を代表する政党・政治勢力を持てないでいること、などといわれている。富裕な経営者層や中間層が政治社会のイニシャチブを握り、下層階級やマイノリティが連邦政府はもとより地方政府においても実質的に政治や行政から排除されている。このことは、今回のニューオーリンズでの黒人たちの被災状況をみるまでもなく、全米大都市でのマイノリティが集住する市街地の惨状を一目見ればよくわかることだ。

わが国の場合はどうか。日本のグローバル企業が強大な権力や影響力を有していることはいうまでもない。いや相対的にはアメリカ以上かもしれない。「工場の前で憲法は立ちすくむ」といわれるほど企業の労働者支配は強大だし、単身赴任も過労死も自殺も絶えることがない。また「企業社会」といわれるほど企業の価値観や行動様式が社会や家庭のなかまで浸透している。連合など主立った労働組合は家畜ならぬ「社蓄」といわれるほど資本に従属しているし、マスメディアへの監視とコントロールはNHKへの介入をみるまでもない。これらの点だけをみれば、自民党と民主党が適当にキャッチボールしながら「日本株式会社」を彼らの思うがままに経営していくことはいともたやすいように見える。これが財界や小泉首相、それに民主党幹部などが描いているわが国の二大政党体制の姿なのである。

しかし日本がアメリカと違うのは、保守二大政党体制を支える中間層がわが国では社会の多数派として質量ともにまだ十分に形成されていないことだ。それどころか90年代に入ってからは、急速に社会や国民生活の二極分化が進行して広範な「中間層の没落」が生じている。自民党を支えてきた農民や商工自営業者の旧中間層をはじめ、民主党の政治基盤だと目されているサラリーマンなどの新中間層も日々倒産やリストラ、失業の恐怖に直面している。保守二大政党体制を支える経済社会基盤がいま崩壊しつつあるのである。これでは経営者と上層サラリーマンを支持層とする保守二大政党体制をわが国の政治フレームとして成熟させていくのは難しい。

現在、わが国で進行しているこのような危機的状況は、本来ならば革新勢力の成長を促すものであるはずだ。だが今回の総選挙の最大の問題点は、フリーターの若者・リストラされかけているサラリーマン・廃業寸前の商店主、過疎地域の高齢者などの社会的弱者が郵政民営化と「改革」だけを絶叫するだけの小泉自民党に投票行動を組織されたことだ。自民党も民主党も現在の国民生活の危機を打開する政策を何一つ具体的に提示することがない(できない)にもかかわらずにである。これを日本の政治的後進性といわずしてなんといおうか。マスメディアを駆使した「小泉劇場」の出番がそこにある。(続く)