6月8日
「JR西日本の脱線事故について」

  JR福知山線の電車脱線事故からはや1カ月半近くが経過した。昨日7日の午後からは事故区間で試験運転も始まった。ニュースでみると、沿線でその光景を見守る人びとの表情は複雑そのものだ。私も同じ気持を抱いている。この日記でも何回か事故のことを書こうとしたのだが、何だか気が重くて書けなかった。犠牲者の中に親しい友人の妻や妹がいて、気持の整理がつかないまま一日伸ばしの状態が続いてきたからだ。実際、お葬式での友人の憔悴しきった顔がいまだに脳裏から離れないでいる。

  しかし、6月5日付けの日経新聞の7段抜きの大型コラム『中外時評』で、吉野源太郎論説委員が「JRが取るべき本当の責任、安全投資に向け赤字線撤去を」との乱暴この上ない主張を展開するにいたって、もはやこれ以上黙っていられなくなった。事実上の「経団連の機関紙」といわれる日経新聞とはいえ、読者の購読料で支えられてるはずの商業新聞が「ここまで言うか」と思わずにはいられないほどの露骨極まる論説の展開だ。国鉄民営化をはじめ国民生活を支える数々の公営企業を踏みにじってきた新自由主義が、ここまでネオコン・イデオローグをのさばらせてきたかと思うと空恐ろしくなる。

  吉野氏の主張を要約するとこうだ。「今回の事故の原因をJRの経営効率化に求めるキャンペーンはでたらめだ。効率化が問題なら、トヨタ自動車などは事故だらけのはず。過密ダイヤは、国鉄時代の政治癒着の名残である赤字路線を維持するために都市部の稼ぎを注ぎ込むための知恵なのだ。安全と都市部の事業を両立させるには、非効率な赤字路線からJRを撤退させる構造改革の決断が必要だ。その努力を怠ったことこそがJR西日本経営者のより重大な責任だというべきだ。赤字線から撤退しても、自動車交通が普及した今日、地域の生活や経済に大きな影響はない。JRには今後、巨額の安全投資を求め続けねばならない。それには赤字ローカル線からの撤退が不可欠だ。JR西日本は山陽新幹線と近畿圏の都市交通だけの会社になるかも知れない。それでも惨事を繰り返すよりはよほどいい。安全にはより効率的な経営体制が必要なのだ」。

  読者のみなさんはこの言い分をいったいどのように感じるだろうか。またローカル線の存続のために一生懸命頑張っている地方の人たちは、このコラムの主張に対してどんな気持を抱くだろうか。おそらくは腹の底から込み上げてくる怒りで全身が震えるに違いない。そこにはもはや「社会の公器」や「社会の木鐸」といわれた新聞ジャーナリズムの面影など一欠けらすらもない。それどころか、こともあろうに今回の大事故を逆手にとって、赤字路線を維持するための「知恵」だといってJRの過密ダイヤを擁護し、赤字路線からの撤退が遅れたことが安全投資の不足をもたらした「原因」だとして、安全確保のためには赤字ローカル線からの撤退が不可欠だとする「結論」を導き出すのである。荒唐無稽の詭弁としかいいようのない極めつきの雑論だが、しかしこれが財界主流の考え方であり、構造改革路線の本音だと思えば、今後の赤字路線廃止への動きははますます強まるものと考えなければなるまい。

  私が吉野氏の言い分をなぜ「荒唐無稽の詭弁」だと考えるのか、その理由は次のようなものだ。まず第1に、なぜ国鉄が赤字路線だらけとなり、トヨタ自動車が世界一の黒字を生み出すまでに成長したのかということだ。それは政府が自動車産業に対しては「道路特定財源」という国民の税金を何十年にもわたって湯水の如く注ぎ込み、国土の隅々まで自動車高速道路を建設する一方、国鉄に対しては鉄道建設費用を「借金」として計上してきたからではないか。自動車が売れるためには道路整備が必要不可欠だ。もし高速道路建設をトヨタ自動車など自動車資本に義務付け、その費用を「借金」として計上したならば、トヨタ自動車などは赤字まみれでとっくの昔に倒産していただろう。自動車産業にはタダで高速道路を提供しながら、国鉄には鉄道建設費用の借金返済を求める。こんな不公平な交通政策を何十年にもわたって取り続けてきたところに、国鉄の経営が破綻した根本原因がある。

  だが、吉野氏はこのような背景や根本原因には一切触れようとしない。国鉄の赤字は「政治癒着」が原因だと一言で決めつけておきながら、高速道路の赤字には何一つ言及しようとはしないのだ。つい先ほどの道路公団の民営化論議でも明らかになったように、国民には物凄く高い高速道路の通行料金を押し付けておきながら、道路会計は先行きの見えないほどの巨大赤字の山積状態だ。しかしトヨタ自動車は道路建設に一円の負担もしていないからこそ、1兆円を上回る年間経常利益を上げることができる。いわば政府に「オンブにダッコ」して育てられたのがトヨタ自動車であり、「税金のぬいぐるみ」のような民間企業がトヨタ自動車なのである。これを「現代の政商」といわずしてなんというのか。

  JR西日本を山陽新幹線と近畿圏の都市交通だけの会社にしてしまうことが安全で効率的な経営体制の確立につながるという主張にいたっては、噴飯物を通り越して、思わず仰天してしまうほどの主客転倒の暴論だ。国会はもとより、一度、交通関係の学会で発表して徹底的に議論してもらったらどうか。この論理でいけば、日本の鉄道網は新幹線(それも黒字の東海道線と山陽線だけ)と大都市圏の都市交通だけになってしまう。国土のごく一部にすぎない東海道ベルト地帯だけに鉄道網を整備すれば、あとの地域は切り捨ててもよいとする小泉構造改革路線の引き写しそのものだ。

  鉄道事業はいったい何のためにあるのか。これからの高齢社会に備えて「国民の足」といわれる国民の交通する権利を守ること(高齢者は運転ができない)、自動車交通の数十倍もエネルギー効率性のよい鉄道交通を積極的に活用してエネルギーを節約し地球温暖化ガスの増加に歯止めを掛けること(一番「環境にやさしい」乗物は鉄道なのだ)、マイカー利用で歪められている国民の健康生活や家計構造をバランスのとれたライフスタイルに戻すこと(ウオーキングブームを見よ!)、鉄道を国土幹線として整備して自然に包まれた美しい日本の国土を守り持続可能な観光産業を発展させることなどなど、その存在意義は数限りない。

  徹底したリストラで保安要員と安全投資を削減し、高速・高密度運転だけを追求してきたJR体質には目をつむり、限られた地域や路線への安全投資と引き換えに赤字路線の撤廃を主張する吉野氏は、社説を書く役割を担う論説委員であるだけに責任は重大だ。日経新聞全体がその立場に立っているのか、それとも一論説委員の勇み足なのか、明確な見解を表明する責任がある。

  また日本交通権学会をはじめ赤字ローカル線の撤廃に直面している地域では、このような暴論を座視することは許されないというべきだ。日経新聞への抗議行動をも含めて何らかの意思表示が求められる。