6月6日
4〜5日の2日間にわたって、神戸大学本館で日本人口学会(第57回)があった。会場は神戸大学の中でも最古の歴史を誇る経済・経営学部の本拠地、建築もロケーションも素晴らしいの一言に尽きる。六甲山麓一帯に広がる神戸大学のキャンパスの中でも最高の場所だ。高台のキャンパスからは眼下に神戸港が広がり、ポートアイランドや六甲アイランドも手に取るように見える。ここからみると、阪神・淡路大震災で壊滅的な被害を蒙った神戸の市街地も平穏そのものである。
例年6月上旬に開催される人口学会は、昨年も述べたように小さな学会の割には大きな影響力のある学会だ。開催直前に2004年の人口動態統計が発表され、合計特殊出生率(1人の女性の産む平均生涯子ども数)が4年連続で過去最低になったことが判明した。数字は前年と同じ1.29だが、もう少し細かくみると03年の1.291から04年の1.289に低下している。「一人っ子時代」が不可逆的に定着しつつあるわけだ。親世代の人口を子ども世代が維持するために必要な合計特殊出生率2.07を「人口置換え水準」というが、その2/3にも満たない超低水準だ。1世代が変わると人口の1/3強が減っていくという恐ろしいほどの数字なのである。
新しく人口学会会長に就任した阿藤誠氏(前国立社会保障・人口問題研究所長)は、「少子化研究の現状と課題」と題する会長講演の中で、現在日本で生じている少子化(出生率が人口置換水準を持続的に下回っている状態)は一時的な現象というよりは永続的な現象である可能性が大きいこと、また従来の多産多死から小産小死への出生力転換の延長線上にある「行き過ぎた状態」というよりは、新しい歴史的現象であることを強く示唆した。つまり従来の「子どもを中心とする家族・家庭生活」への日本人の価値観が現在大きく揺らいでおり、「個人や夫婦を基礎とする生活」をより重視する新しい価値観が浸透してきている。このような状況のもとではもはや出生率の回復は不可能ではないかというのである。
私は人口学会会員としては新米会員に属する方なので会場では発言しなかったが、日本の少子化の深刻さは認めるものの、それが永続的な現象であるとも、また新しい歴史的現象であるとも考えられなかった。なぜならこのような学説を認める時は、長期的には日本人は絶滅する以外に道はなく、学問論としては到底成立し得ない荒唐無稽な話だからだ。とはいえ、人口研究一筋の研究者がかくも悲観論を展開しなければならないほど絶望感が深かったところに、事態の深刻さと対策の困難さを痛感せざるを得なかった。
私の考え方はこうだ。日本はもとより世界でいま急激に進んでいる少子化は、「将来への不安感」や「未来への絶望感」に深く根ざすものだ。ソ連型社会主義体制の崩壊にともなってロシアや東欧諸国の出生率は激減した(2002年:ウクライナ1.10、チエコ1.17)。その一方で自殺率は激増し、世界の自殺率上位10カ国のうち1位から9位までをロシアと旧ソ連邦諸国が占めている(そして第10位はなんと日本である)。その結果、ロシア人男性の平均寿命は僅か61歳(2000年)で西欧諸国にくらべて16歳、女性は10歳低い。
また急速にグローバル経済の波に巻き込まれ、国際的な金融危機や激烈な経済競争に直面しているアジア新興諸国では、韓国1.17(2002年)、台湾1.24(2003年)と超出生率の進行に歯止めがかからない。日本の超出生率もグローバル経済化を推進する小泉構造改革の中で加速化していることは誰の目にも明らかだろう。また交通事故死の4倍にも達する年間自殺者数はここ数年3万人を下らないのも、その一方の悲しい指標である。
考えてもみたい。若者の失業率が急上昇し、就職しても非正規雇用や派遣労働のような不安定就労しかないとすれば、どうして安心して結婚し子どもを産めるというのだろう。まして低賃金の使い捨て労働者だといわれるフリーター、そのような状況を拒否しているものの展望を見出せないニートといわれる人たちの間では「夢のまた夢」でしかない。また正規労働者の若者も長時間労働と残業で疲れきっている。このような「結婚もできない」「子どもも産めない」社会状況をつくり出しておいて、何が少子化対策だというのか。笑止千万だというほかはない。
少子化問題は社会経済体制と深く関わっている政治問題だ。言いかえれば、資本主義体制そのものの矛盾に根ざす根本問題である。資本蓄積活動や利益追求競争社会が引き起こす人間疎外の究極的現象がいま少子化問題としてあらわれているのではないか。ちょうどそれは人類の存亡を脅かしている地球温暖化ガス問題と酷似している。環境破壊を省みることなく大規模化した資本主義的生産システムが地球環境の変動を通して人類を破滅に導こうとしているのと同様に、人間の生命・生活の再生産活動の社会的基盤である家族・家庭生活を阻害してきた資本活動が、いま人類を消滅させる少子化問題を引き起こしているのである。それは「内なる自然」ともいうべき人間の存在を脅かす根本矛盾だと言い換えても間違いではないだろう。
しかしながら、このような正面切った少子化問題の議論は人口学会には馴染まないようだ。政府機関(独立行政法人)である国立社会保障・人口問題研究所研究員をコアメンバーとする人口学会では、人口現象そのものを厳密に分析することが求められているが、上部機関である厚生労働省の責任問題に直結する政策論議は忌避されることが多いからだ。だが、学会の存在意義は社会の求める課題を実態的にも理論的にも解明するところにある。批判的視点を失った瞬間から学会の存在意義がなくなるといっても過言ではない。その意味で、少子化問題をはじめ人口問題は人口学会の独占に委ねず、関連分野の学会で多いに取り上げなければならない課題だと痛感した。