5月22日
(続き)この選挙結果から一目瞭然にわかることは、労働党が得票率を大幅に減らしながらも、「ウィナー・テークス・オール」(勝者が全てを分捕るという一人勝ち法則)の小選挙区制のお蔭で議席の過半数を制したことだ。ブレア首相は労働党政権としては史上はじめて3期目の政権を担うことになるが、しかし有権者数に対する得票率は21.2%にしか達せず、1951年以来の政権党としては史上最低の支持率でしかなかった。有権者の僅か1/5の支持で過半数の議席を獲得したブレア政権の政治的正当性に対して重大な疑問が投げかけられ、また民主主義政治の根幹である代議制・代表民主制が小選挙区制度ではもはや実現不可能ではないかとの論調が一気に浮上することになった。
イギリスはこれまで富裕階級と中間層を代表する保守党、労働者階級を代表する労働党とから構成される2大政党制の国であり、政党間の良識ある政権交代によって民主政治の継続が可能だとされてきた。だが今回の選挙結果は、このような2大政党制はもはや虚構以外の何物でもないことを白日のもとに曝すこととなった。第3党の自由民主党は、ブレア労働党が43.2%の得票率で議席の2/3近くを獲得した1997年総選挙においてすでに16.8%の得票率を確保しており、2001年には18.3%、そして今回は22.0%と着実に票を伸ばしてきた。しかし議席数は依然として10%にも満たない。選挙後の数日間、タイムズ、インディペンデント、ガーディアンなど各紙を比較しながら読んでみたが、インディペンデント紙の社説や各紙の投書欄には比例代表制でなければこれからは民意を反映できないとの主張が強く出ていた。
一方、保守党内におけるサッチャー主義者(ドライ)と中道右派(ウエット)の対立、労働党におけるブレア派(ニューレイバー)とアンチブレア派(オールドレイバー)の対立はますます激しくなり、もはや同一政党内の政治抗争の域を越える様相を呈してきている。また政党支持者の間でも意識や投票行動の拡散状況がみられるようになり、かってのような2大政党間の規則的な「スウィング」(振子のような左右に揺れる票の移動運動)は、いまや第3党を含めてきわめて複雑な軌跡を描くようになってきている。ブレア政権に反対しながら労働党の旗を掲げて選挙戦をたたかった左派の多くは、小選挙区制度でなければギャロウェイ議員のように今後は新党を作って戦うことになるだろうし、また環境保全を掲げる緑の党に代表されるような多党化も進んでいる。そして、すでにその兆候は中間層の多い選挙区で明確にあらわれている。
事実、今回の総選挙で政党として登録された政治組織は61団体に達し、選挙区によっては10を上回る政党が立候補することも珍しくない。例えば、中間層の多いオックスフォード大学の大学街であるオックスフォード・イースト選挙区では8党が選挙戦を争っており、票は労働党36.9%、自由民主党34.6%、保守党16.7%、緑の党4.3%、独立党3.6%、独立労働者協会党2.1%、連合王国独立党1.7%などへと分散した。そして今回の選挙で労働党から(保守党へではなく)自由民主党への得票移動率が11.8%にも達したのである。
この点で、私たちが滞在していたリバプール市はまだまだ伝統的な政治構造を維持しているように思われる。リバプール市の有権者数は33万4664人、投票者数は15万9730人、投票率は47.7%と全国平均を大幅に下回った。投票行動の選択肢が限られていることが低投票率につながったのかも知れない。リバプール市は伝統的に労働党(オールドレイバー)の地盤である。選挙区は5つに分かれていて1選挙区あたりの平均有権者数は6万7千人、今回も労働党が全選挙区で圧勝した。投票率は選挙区によって54.9%〜41.5%までの差があるが、しかし得票率はどの選挙区でも1位労働党、2位自由民主党、3位保守党という順位は変わらない。ただ政党別の得票率は選挙区によって労働党が72.8%〜54.0%、自由民主党が37.7%〜12.9%、保守党が9.8%〜5.9%までの幅がある。しかし今回の選挙の最大の特徴は、どの選挙区においても労働党から自由民主党への票移動が生じ、その得票移動率は11.8%〜2.7%に達したことである。ここにもリバプール市議会での自由民主党政権の影響があらわれているようだ。
私は、今回のイギリス総選挙の最大の争点はイラク戦争だと思っていた。表面上はそうだったといえるかも知れない。しかし帰国してからよく考えてみると、隠れた争点は実は小選挙区制に代表される選挙制度の問題であり、その上に設立する政治構造の問題だったように思える。各界の政治評論家の指摘はもとより投書欄の意見が訴えていたのは、ブレア首相の大統領的な政治手法に強い危機感を覚えるというものが多かった。イギリスは議院内閣制だから、議会多数の承認を得た党首が首相として選ばれる。しかしブレア首相は党内や議会の意見に耳を傾けることが少なく、側近で周囲を固めて内外の政治課題を断行する場合が多かった。それが小泉首相の「構造改革」のように拍手喝采を呼んだ時期もあったが、イラク戦争への加担やその後の強引な世論操作にも象徴されるように、党内世論や民意を無視して暴走するようになるにつれて、次第に国民の政治不安と政治不信に輪を掛けるようになっていったのではないか。
投票日の翌日からブレア首相に対する厳しい批判がはじまった。選挙に勝利した首相への言葉とは思えないほどの激しい批判だ。それは野党からというよりは、むしろ党内のアンチブレア派の方からのものが多かったように思われた。閣僚を辞任したクック元外相などは、ブレア首相は1年も経たないうちに辞任に追い込まれるだろうと予測した(というよりは辞めろと勧告した)。多くを政治記者はブレア首相は「レームダック」であり「死に体」だと書いた。これに対してブレア首相は選挙の翌日、首相官邸前の路上で次のような演説をした。
「私はこの選挙期間中に多くの人と会い、多くの人の声を聞いて多くのことを学んだ。私はイギリス国民が政府に対して何を望んでいるかをはっきりと理解している。私は低所得家族への援助、公共サービスや保健医療・教育の充実に最優先して取り組みたい。加えて、私はイラク問題がこの国を深く引き裂いたことを知っている。また選挙後は、人々がイラクからの引き揚げを求めることも理解している」。私はこの発言が今後どのような形で実現していくかをしっかりと見守りたいと思う。そしてブレア首相と同じ経路をたどり始めたわが国の小泉首相の行方についても、目を光らせてその動向を追い続けたいと思う。