4月18日
忙中閑ありで、先日、奈良国立博物館で開催中の「曙光の時代〜ドイツで開催した日本考古展」へ行ってきた。どうしても行きたいと思っていた特別企画展だ。正確に言えば、文化庁と奈良文化財研究所が昨年から今年にかけてドイツのマンハイムとベルリンで開催した海外展の帰国展である。日本考古学の総力を結集した展覧会で、三内丸山遺跡(青森県)、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)、黒塚古墳(奈良県)など近年の話題を呼んだ遺跡を核にして、全国97遺跡から1500点余りもの出土品が出展された大型企画展で、国宝3件、重要文化財35件も含まれている。
内容は期待にたがわず素晴らしいもので、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥・奈良時代と、それぞれの時代を代表する遺跡から出土した石器や土器、装飾品などが経年的にわかりやすく展示されている。どれもこれも厳選された出土品ばかりで、これらを一堂に見る機会など滅多にあるものではない。会場では銅鐸についての講演会も開かれていたが、時間が惜しいので展示に集中して過ごした。旧石器時代のパネルには、例の「石器捏造事件」についてもさりげなく触れられており、日本の考古学が蒙った打撃の大きさがわかるというものだ。
奈良県それも明日香村の近くで育った私には、遺跡や考古学の世界は小さいときから身近な存在だった。私の実家がある広陵町の旧百済村には重要文化財の百済寺があり、祖父が解体修理時の責任者だった。小さい頃からそのときの苦労話をよく聞かされたものだ。また百済村の近くには静岡県の登呂遺跡と並ぶ弥生時代の唐古・鍵遺跡があり、小学校の遠足の定番コースだった。
いま高松塚古墳の石室壁画がカビ類の繁殖によって危機的状況にさらされていて、古墳自体を解体するかどうかで激しい論争が起こっているが、あの壁画の第一発見者の網干善教先生(関西大学名誉教授)は私の中学校のときの社会科の先生だった。当時の網干先生は龍谷大学を卒業したばかりのフレッシュな先生で、肝心の授業の中身はすっかり忘れてしまったが、放課後に先生と遅くまで校庭で遊んだことを今でも覚えている。また私の卒業後に結婚されて先生の奥様になられたのは、私たちコーラス部の指導をしてくださった音楽の先生だった。ちょっとこわい先生だったけれども評判の美人の先生で、当時は(男子)生徒のだれもが憧れていた。お二人とも今は白髪の老夫婦になられた。
明日香村の保全計画についても思い出が深い。助手時代に私の指導教授の西山先生のお供をして明日香村の視察に出向いたが、そのときにご一緒したのが橿原考古学研究所の末長雅雄先生や大阪市立大学の直木孝次郎先生など考古学や古代史の錚錚たる先生方だった。この先生方の間で交わされる要所要所での会話がどれほど含蓄に富んだものであったか、今でもそのときの興奮を忘れることができない。そんな思い出や体験の積み重ねが、現在の私の遺跡や歴史への関心につながっている。
これは大学院生時代からの友人である都出比呂志氏(大阪大学名誉教授)から聞いた話だが、日本は世界でも稀なほど考古学に関心の高い国なのだそうだ。ちょっとした遺跡の発掘記事が紙面のトップニュースになるなんて、外国ではとても信じられないらしい。しかし日本では、考古学に関する講演会や討論会も全国紙の大型企画としてしばしば登場するほどの人気ぶりだ。学会賞なども通常の場合はごく限られた専門家の間でしか話題に上らないが、こと考古学の分野になるとデカデカと学芸欄のニュースに取り上げられるのである。またこれほどの考古学ブームやマスメディアの過熱ぶりがなければ、石器捏造事件など起こるはずもなかった。いったいどうしてなのか。
ひとつには、高度経済成長時代からの激しい地域開発が遺跡や文化財を惜しげもなく破壊してきたことへの国民的な反省や悔恨の空気があるのだろう。その結果、地域や環境を乱開発から守る象徴として、遺跡や古墳などの考古学の対象が深層心理的にも私たちの頭脳に記号化されて刷り込まれているのではないか。だがしかし、それだけでは熱狂的といえるまでの昨今の考古学ブームの説明はつかない。奈良県天理市の黒塚古墳から数十枚の青銅鏡が発見されて現地公開されたときは、たった1日でなんと3万人もの見学者が殺到したのである。これほどの国民の興味と関心を呼び起こすのはなぜか。
私は国民の多くが「ロマン」の対象として考古学を見ているのではないかと考えている。それは「未知の世界」をひとつひとつ薄紙を剥ぐようにして明らかにしていくというロマンに満ちた世界としてである。考古学には推理小説の謎解きにも似たスリルと興奮を与える要素があるのだろう。想像上のバーチャルな世界が考古学の成果によって点から線へと現実の世界へつながっていく。その意外さの展開や新しい発見の醍醐味がたまらないという人も多い。
だがもう少し考古学ブームを深読みすると、考古学へのロマンは、実は未来への絶望感の裏返しではないかという見方も成立する。現在に対する閉塞感や将来への不安感が強くかつ未来への希望が閉ざされるときは、過去の追憶の中に身を置くという現実からの逃避的態度が発生する。その逃避傾向のひとつのバージョンが考古学ブームとしてあらわれているのではないか、という理解である。
このことの傍証として高度経済成長時代の「未来学ブーム」がある。とりわけ建築学や都市計画学の分野ではその傾向が激しかった。最近亡くなられた丹下健三氏をはじめとして、著名な建築家や都市計画家は悉く未来学ブームの演出者であり、アクターとして登場した。華やかな未来都市論が語られ、SFまがいの空中都市、海底都市などが大真面目で議論された。それが高度経済成長政策の破綻とともに潮の引くように消えていった。それ以来、二度と未来学を唱える人はいなくなった。考古学ブームが起こったのはそれからほどなくしてのことである。
考古学を揶揄しようというのではない。「未来を展望するには歴史を振り返らなければならない」という言葉もあるように、誤りない未来の選択にとって歴史研究は不可欠の存在だ。だが、同じ歴史学でも近現代史があまり話題に上がらず、考古学だけがブーム状態を続けているということはあまりバランスの取れた話ではない。マスメディアが意図的に考古学ブームを演出しているというのは言い過ぎであろうが、少なくとも日中関係や日韓関係について国民に客観的な判断材料を与える程度の情報を提供するのは、マスメディアやジャーナリズムの使命であろう。
歴史を正しく振り返らないで、専ら「未来の話をしよう」という多くの日本の政治家がいる。それが国際的な外交関係にも通用すると考えているのだから、時代錯誤もいいところだ。でもしかし、それが考古学ブームに酔いしれるマスメディア状況の反映であるとしたら、私たちの歴史認識も根本から問い直されなくてはならない。その時期はもう目の前までやってきている。