4月13日

  京都はいま桜の季節、いわゆる桜の名所が多いのが京都の特徴だ。私の家からも徒歩で半時間余りも行けば、太閤花見で有名な醍醐寺がある。お庭も境内も素晴らしい世界遺産の寺だ。この10日の日曜日は絶好の花見日和で、太閤行列や野点もあって大変な人出だったそうだ。

  最近では花見といえば桜に決まっているが、昔は必ずしもそうではなかったらしい。日本人はいろんな花を愛し、それにふさわしい花見を楽しんだ。いつか京都府立植物園の園長さんに興味深い話を聞いたことがある。それは「桜は衆で愛でる、梅は独りで楽しむ」というものだ。私なりに解釈すれば、桜は人の気持を掻き立て、晴れやかに浮き立たせる。その気持を多くの人と分かち合えば合うほど喜びも大きくなる。だから桜はできるだけ多くの仲間と愛でる方が楽しいというわけだ。

  これに対して、梅の花はどこか人の心に寄り添うようなところがある。梅の香りに包まれると、瞑目していつまでもその中に浸っていたい気になるから不思議だ。梅の花が独りの世界を演出してくれるのかも知れないと思う。それに梅の花の咲く季節はまだ早春の頃で肌寒い。桜の季節のような春爛漫の雰囲気ではない。そんな季節の環境もどこかで影響しているのだろう。

  どちらかといえば、私は衆で愛でるよりも独りで楽しむ方が好きだ。それも梅とは限らない。桜でもそうだ。だから大勢の人たちがビニールシートを広げて陣取りをするような場所は大概敬遠する。京都でいえば、円山公園の夜桜見物などはあまりにも有名だが、学生時代に行ったきりで以降行っていない。また、バーベキューをしながらカラオケをやっているような場所には絶対に近寄らないようにしている。独りでも散策しながら花見を楽しめる琵琶湖疎水の道や鴨川の堤防などが、私の飛び切りのお気に入りのコースなのである。

  だからこの季節になると、仕事の目的地まではできるだけ川岸沿いルートを選んで歩いていく。例えば大学でいうと、龍谷大学へは自宅から伏見疎水に沿って、京都大学へは京阪三条駅で電車を降りて鴨川の河川敷を、府立大学へは京阪出町柳駅を降りて高野川から下鴨疎水へという具合である。いずれも歴史のある水辺の桜並木道で人びとはゆったりと歩いている。時折お弁当やサンドウイッチを広げている人もいる。とても好きな雰囲気だ。

  桜といえば、もう一つ忘れられない思い出がある。前任校の京都府立大学で開学100周年記念事業があったときのことだ。「京都の桜守り」として有名な佐野藤右衛門さんから2本の桜を寄贈いただいた。佐野藤右衛門さんは江戸天保時代から続く植木屋の第16代目の当主で、日本中の桜を集め、京都御所の右近の桜や円山公園の枝垂桜などを守ってきた桜守一家の後継者である。佐野さんが京都府立大学の前身の京都農林学校の卒業生だということで、山桜1本と本願寺門主命名の御信桜1本を体育館の前に植えていただいたのである。

  ところがそのときには誰も気付かなかったのだが、後で佐野さんから聞いて驚いたのは、移植された桜の葉という葉がすべて丁寧に3分の1ほど切ってあったことだ。桜が根付くまでの間、葉からの蒸発を抑えて枯れないようにするための配慮だというのである。このことを知った林学の先生たちも大いに感激したし、また私も佐野さんの桜に対するやさしい思いやりの心と至芸の職人技の凄さに圧倒された思いがしたものである。

  その後お礼にと嵯峨野の広沢池の近くにある佐野さんのお宅を訪ねたが、そこでも自家園の広大さとそこで守られている桜の貴重種や原木の種類を多さに圧倒された。聞けば、3代前の当主の時代から日本中を渡り歩いて集めて来たものばかりだという。日本で2本しか残っていない桜のうちの1本がそこで守られていた。日本や京都の桜がこのような人たちの手で守られてきたのである。

  あれから7年、京都府立大学の体育館の前には2本の桜が大きく育っている。