4月6日

  4月に入ってからあっという間に時間がすぎていく。いろんな行事が目白押しだからだ。1日は龍谷大学瀬田学舎で辞令交付式、2日は神戸で阪神・淡路まちづくり支援機構の中越地震復興支援調査の打ち合わせと災害復興基本法策定に向けての研究会、3日は同じく神戸で10月に迫った市長選挙のための「神戸再生フォーラム」第2回総会、4日は歴史の道同好会と「山の辺の道」を奈良から桜井まで踏破、5日は最近の大阪市の職員厚遇問題をめぐる学習会と伏見勝手連の会合、そして今日6日は今年度最初の大学院研究科会議と歓送迎会などなどである。どれここれも日記に書きたいことばかりだが、すでにレジュメで予告していることでもあり、神戸市長選について話を進めよう。

  神戸市婦人会館に集まった100人ばかりの参加者を前にして私が話したことは、現在の神戸市政をどうみるかという分析視角についてであった。これまで神戸市については洗練された経営的行政手法とデザイン企画力に富んだ各種イベントや事業が評価され、「神戸株式会社」「神戸型経営」ともてはやされてきた。それがバブル経済が崩壊して地価が暴落し、日本中の開発行政が行き詰まってきた頃から、神戸市においても同様に(あるいはそれ以上に)際立った矛盾に直面するようになった。「山を削って海を埋め立てる」という神戸型開発方式・ゼネコン行政が完全に裏目に出て、開発した宅地や造成した埋め立て地が全く売れなくなってしまったのである。

  しかし悪い時には悪いことが重なるもので、阪神・淡路大震災が発生したのはちょうどこの頃だった。被災地はもとより日本中が驚愕に包まれていたそのときに、「さすが」というべきか、神戸市の都市計画官僚(テクノクラート)たちは震災を逆手にとって、バブル崩壊以降の行き詰まっていた開発事業を「震災復興計画」として一挙に打開しようと思い立った。当時のこのあたりの雰囲気は、震災に対して「幸か不幸か」と発言した都市計画担当助役の言葉がなによりも雄弁に物語っている。この助役はまた、市長の諮問を受けて専門学術的見地から答申を出す都市計画審議会の会長も兼ねており、神戸市の都市計画審議会がその名に値しない完全なお手盛り体制だったことがわかる。しかし被災者がまだ避難所に溢れていた震災2カ月後の3月17日、住民の圧倒的反対を押切って神戸市が大規模市街地再開発事業の都市計画決定を強行したころから、神戸市のゼネコン行政に対する疑問と批判が一挙に浮上するようになった。加えて笹山市長が被災者の生活復興救援を差し置き、「神戸空港は必ず建設する」と言明したことも「市民不在の復興計画」という批判に油を注ぐことになった。

  「ゼネコン行政」とは、自治体行政の基本を住民自治に基づく市民生活の向上や市民福祉の実現に置くのではなく、経済成長に基づく都市間競争を都市経営の目的として絶対化し、そのために官僚・テクノクラートが主導して産業基盤・インフラ投資と都市開発事業を公共事業として推進する開発主義行政のことであり、ゼネコン(巨大総合建設業)を主たる担い手とするハコモノ行政のことだ。震災を契機とする神戸市政の展開は、まさに「ゼネコン行政」というにふさわしいものだった。例えば「大事なことはみんなで決めよう」という誰もが否定できない民主主義的原則を掲げ、20数万人もの市民が署名した「神戸空港建設の是非を問う住民投票条例直接請求」を問答無用で否決し、また神戸空港建設をめぐる市民訴訟においても利用者がどれだけあるのといった需要算定方式や、離発着時の関西空港とのコースの重なりにともなう安全性確保などについてもなんら説明らしい説明をしないまま、ただひた走りにゼネコン事業に邁進してきた。

  神戸市のゼネコン行政は3つの要素から構成されている。第1が戦後半世紀にわたって続いてきた助役出身の市長、第2がこれを支える官僚機構(当局)・オール与党の市議会・職員労働組合の市労連の「市役所一家」、第3が「市役所親衛隊」ともいうべき数々の官製市民組織(女性・婦人団体など)である。いわば「神戸型翼賛体制」ともいうべき身内市長・市役所一家・市役所親衛隊の三位一体構造が、市役所城下町としての神戸市のゼネコン行政の骨格を形成しているというわけだ。

  なぜ、ゼネコン行政は市役所一家や親衛隊による翼賛体制を必然化するのだろうか。それは、都市開発事業は巨額の公共投資と長期の計画・事業期間を必要とするからだ。つまり長期にわたって公共土木事業や都市開発事業を計画的に推進しようとすれば、そのような都市経営方針を一貫して掲げる首長、それを継続的に推進する官僚組織、開発事業予算を安定的に保障する翼賛議会、そして「世論の盾」となって市民の批判を覆い隠す(開発利益のおこぼれにあずかる)労働組合幹部と一部市民団体が必要だからである。そしてこのような翼賛体制がいったん形成されると、開発利益は身内の中で循環するようになり、「甘い汁」を分け合う利益共同体が成立する。

  こう書いてくると、読者の方々は「これは大阪市のことではないのか」と思われるに違いない。そうなのである。神戸市の基本的な体質は、いま「職員厚遇問題」で日本中の話題をさらっている大阪市の体質と「双子」といえるほど相似しており、行動様式もまったく変わらない。官僚・テクノクラートによる庁内の専制的支配体制と市民軽視の風潮、行政による議会操作・懐柔の蔓延、当局・労働組合幹部のパートナーシップによる職員監視網、批判者(良心的で批判的な職員、少数野党議員、市民運動団体など)の徹底的排除、「身内意識」「特権意識」による市民不在市政の蔓延などである。

  私も含めて、これまで多くの市民運動団体は神戸市のゼネコン行政を厳しく批判してきた。しかしながら現在、神戸市のゼネコン行政は「外からの破綻」と「内からの崩壊」に直面している。「外からの破綻」とは、インフラ過剰投資に基づく施設の遊休化・未利用化・陳腐化(港湾施設、臨海造成地開発、空港建設)、大規模開発事業・再開発事業の経営不振と赤字破綻(ニュータウン、リゾート、テーマパーク、商業系・住宅系市街地再開発)、3セク外郭団体の財政悪化と経営破綻にともなう市財政本体の傾きなど、もはやそれは誰の目にも隠蔽できない「仮借ない矛盾」としてあらわれている。またゼネコン行政の後押し役であり、推進役でもあった財界・金融機関にとっても、3セク破綻処理や市街地再開発事業の赤字処理をめぐって特別調停にともなう「損切り」が急増しており、開発行政・ゼネコン行政の後始末はもはや放置できない負担とリスクに転化しつつある。

  一方「内からの崩壊」とは、「市役所城下町」「市役所一家」体制に対する空前の市民の批判の高まりの中で、当局・議会・市労連幹部に対する一般職員の疑問と離反が顕在化しはじめたことだ。また、職員の仕事に対する「モラル」(倫理観)と「モラール」(意欲)が喪失し、職場を覆うモラルハザードが次第に深刻化していることである。強固な身内意識・市役所一家意識が動揺し崩壊しつつあることである(明日に続く)。