3月29日

  (前日に続く)高山市と共催のコミュニティ政策学会シンポジウムのタイトルは、「市町村の新たなかたちとコミュニティ政策〜自律と合併を機に、活力ある住民自治のコミュニティをどう創造していくか〜」というものだ。このシンポジウムの趣旨は、「市町村合併の是非を論じるのではなく、合併するにせよしないにせよコミュニティ政策の推進は不可欠だ。そのあり方についていろんな角度から自由に議論しよう」というもの。だから市町村合併に関しては中立的な立場を維持し、その上でパネリストの各首長にコミュニティ政策についての自説を述べてもらおうというのである。

  そんなことで学会役員の石田犬山市長にパネリストを選んでもらったが、4人の首長パネリストの取り合わせがいかにも興味深かった。今年2月に日本一の広域合併をしたばかりの地元の土野高山市長(岐阜県)、その合併協議から離脱して自立の道を選んだ谷口白川村長(同)、中越地震前の合併協議において住民投票の結果に基づき長岡市との合併から離れた久住見付市長(新潟県)、そして石田犬山市長(愛知県)の個性溢れる4人の首長だ。合併問題は論じないとはいうものの、合併推進派1人、自律(立)派3人という内訳である。しかし、白川村の谷口村長が「高山市長と一緒に出るとは思わなかった」と思わず漏らしたように、地元の合併で互に火花を散らした首長がたとえ学会主催のシンポジウムとはいえ同席するのだから、やはり時代は進んでいるのだと思う。

  だが率直にいって、討論は奥歯にものが挟まったような感じであまり面白くなかった。コミュニティに関する議論は研究者の間でも往々にして奇麗事になることが多い。それはコミュニティなるものが「実態概念」なのか、それとも「期待概念」なのかを区別しないで議論する人があまりにも多いからだ。既存の町内会はもう駄目だといって、新しいコミュニティに期待するという。しかし実態は町内会以外のそんなに目新しいコミュニティ組織があるわけではないから、議論は勢い抽象的な「あるべき論」に傾く。こんな議論の繰り返しではリアルで創造的なコミュニティ政策の話などが出てくるはずがないのである。

  とりわけ今回のシンポジウムでは、「なぜいまコミュニティ政策なのか」という背景に市町村合併問題が横たわっていたことは誰の目にも明々白々だった。なにしろ日本一の広域合併を成し遂げた高山市を舞台にしてのシンポジウムだ。それに役者も揃っている。岐阜県でも唯一村のままでの独立を選択した世界遺産の白川郷を擁する白川村の村長が、元自治省官僚の高山市長を相手にして堂々と論陣を張ってもらえる絶好の機会だったのである。それが合併問題を正面からテーマにすることを避け、まだ実態として成熟していないコミュニティ政策なるものを実現可能なものとして討論の素材にしようとしたところに、学会シンポジウムとはいえそもそも無理があったというべきなのだ。だからこの日記では、私のもっぱらの関心事である高山市の広域合併についての感想と意見を記そうと思う。

  高山市の広域合併への動きは、県の肝入りで2001年5月の飛騨地域1市3郡20市町村長による合併研究会の設立からスタートした。その直前に県の広域行政研究委員会が岐阜県の町村はすべて廃止し、13市に統合することが望ましいという見解を梶原知事に提出しているから、この動きは知事と高山市長の合作ということになるのだろう。梶原知事は全国知事会会長を勤めた「地方分権派」の旗頭だとされている。だが実態は広域行政推進論者の元建設官僚にすぎない。基礎自治体を合併で大きくして行政力を付けさせれば地方自治が実現するというのが彼の単純な持論だから、自治体が住民の自治組織だという「住民自治」の観点は全くないのである。あるのは地方自治体(中央官僚は絶対に地方自治体とはいわないで地方公共団体と呼ぶ)を行政組織としてしか見ない「団体自治」としての地方自治論である。広域合併によって地方自治体が住民の手から離れ、住民自治が空洞化していくといった観点は皆無なのだ。

  それにしても岐阜県北部がすっぽりと覆われる飛騨地域1市3郡20市町村の合併とはあまりにも広すぎる。人口は16万8千人で県人口210万8千人の8パーセントに過ぎないが、面積は4161平方キロで県面積10598平方キロの39.3パーセントを占めるのである。地図上の直線距離にしても南北90キロメートル、東西75キロメートルにわたる広大な山間地域だ。これでは市町村合併というよりは「県の分割」といった方が適切だろう。そこには住民生活に密着した基礎自治体としての面影はもはやまったく見られない。大体、豪雪地域の曲がりくねった山道を100キロぐらい走らないと役場に行けないなんて、これが果たして市町村だといえるのか。

  さすがに中山間地域の実情を無視したこの「(超広域)合併研究会」からはその後脱会が相次ぎ、高山市北部の吉城郡6町村からは4町村が抜けて飛騨市を結成(2004年2月)、南部の益田郡5町村はそのまま結束して下呂市を結成(2004年3月)、そして白川村が独立を選択するに及んで、残りの9町村が高山市へ編入してこの一大合併劇の幕は一応閉じられることになった(2005年2月)。

  だが、合併の真価が問われるのはこれからだ。新しい高山市は人口9万7500人、面積は日本一で東京都に匹敵する2180平方キロメートル(東西約81キロ、南北約55キロ)、県境では長野・富山・石川・福井の4県と隣接するという広さである。これをひとつの市として運営していこうというのだから大変なことこの上もない。そこで打ち出されたのが、市町村合併特例法で規定されている旧町村議会に代わる地域審議会の設置(ただし議決権限はない)、旧町村役場の機能を継承した総合支所の設置(地域振興課、市民福祉課、産業振興課、基盤整備課、教育委員会教育振興課の5課体制)、地域振興特別予算の創設(旧町村ごとに4千万円から1億円の枠内で裁量的に使える予算措置)、旧町村ごとに1人から3人、計12人の議員定数の上乗せなどの「コミュニティ政策」である。

  ただし、これは恒久施策ではなくあくまでも当面の暫定措置である。いつまでも続くという保証はまったくない。最大の問題はこれらのコミュニティ政策を支える職員配置の行方だろう。旧町村の職員数は役場や保育所などすべてを含めて約640名、今回はこの6割強に当たる約400名を各総合支所に残して200名近くが市役所へ異動となった。したがって市役所には旧来の高山市職員を加えて現在800名近い職員が在籍している。総合支所を合わせると1200名程度の職員を抱えていることになる。私は5年後にこの職員配置はどうなるのかと質問したところ、高山市長の回答は「人口に比べて現在は明らかに超過定員なので800名程度に削減する。またそうしなければ合併した意味がない」との澱みないものだった。およそ400名の定員を削減する1/3のリストラである。勿論市役所の定員を減らして各支所に手厚く配分するというやり方もあるが、市長には毛頭そんな考え方はないらしい。市役所に人員を集中させる効率型の配置が眼目だろう。そうなると、編入町村の総合支所に残される職員はせいぜい100名程度、1ヵ所平均で10人前後になる。この職員で人口1千人から4千人の住民が200〜400平方キロの山間地域に分散する旧町村地域の直接的な行政サービスを担うことになるのだ。それがどんな状況を意味するかは明らかだという他はない。

  日本の地方自治が、基礎自治体の市町村と広域自治体の府県という二層制の地方自治組織によって担われているのはよく知られている。住民生活に対する直接的な行政サービスを提供する市町村と広域的な後方支援を行う府県とが役割分担をしながら、互いに協力して地方自治・地方行政を支えてきたのである。しかし今回のような大規模な超広域合併になると、市町村は基礎自治体としての役割を遥かに超えた広域的な役割を果たさなくてはならなくなる。つまり市町村と府県の両方の仕事をしなければならないような事態に直面するのである。だから、それを従来型の市町村的発想で運営しようなんて思う方がどうかしている。高山市長のような考え方では、それがたとえどんな個人的善意に基づくものであったとしても、編入された町村は遠からずして激しい行政サービスの低下に直面するであろうし、コミュニティが崩壊の危機に瀕することも否定できない。

  そこで私の提案だが、もしこのような広域合併を県が市町村に強要するのであれば、当然のことながら県の人員・予算・権限を市町村に分権すべきなのである。県の役割は広域行政であるがゆえに、県の資源を面積を基準にして配分することも十分な合理性があると思われる。例えば高山市の面積は岐阜県の20パーセント強であるから、県職員5千人の2割とまでは言わないが、せめて1割程度の500人ぐらいは派遣してもよいのではないか。自らは市町村合併の旗振りをしながら、その結果責任を負わないような天下り官僚や県の役人はもう懲り懲りなのだ。