3月16日

  3月20日に迫った都市住宅学会の中間報告会の準備で四苦八苦している。私が主査をしている「関西大都市圏の都心郊外共生研究委員会」という長たらしい名前の研究会の、2年間のわたる研究成果の中間発表が大阪淀屋橋で行われるのである。通常、学会といえば大学関係者が大半を占めているものだが、この研究委員会は全く違う。自治体や独立行政法人、民間企業の専門家も多数参加しているのが他に類を見ない特徴となっている。府県では大阪・京都・兵庫の3府県、大都市では大阪・京都・神戸・堺の4市、政府系法人では都市再生機構と住宅金融公庫、民間企業では近鉄・阪急・京阪の電鉄3社から然るべき専門家が参加しており、これに関西の国公私立10大学の研究室が加わった大部隊編成なのである。

  これほどの多彩なメンバーが参加している理由はただ一つ。それは研究委員会が「人口減少時代の大都市圏の行方」という誰しもが関心を持たざるを得ない現代的課題に取り組んでいるからだ。国立社会保障・人口問題研究所の2003年12月推計によると、2030年までに(これからの25年)大阪・京都・兵庫の3府県人口は157万人も減少することになっている。とりわけ大阪府の減少が著しくて114万人という大幅減が予測されている。都市規模でいえば、堺・岸和田・池田の3市が全部消えてしまうほどの大きさだ。どうしてこれだけの人口減少が発生するのだろうか。

  人口増減は、自然増減(出生数と死亡数の差)と社会増減(転入者数と転出者数の差)の合計だ。大阪府でこれだけの人口減少が起こるということは、大阪府の社会減にこれからも歯止めがかからず、かつそれを埋め合わせるだけの子どもが生まれてこないということである。15歳未満の年少人口だけをとると、現在125万人の子どもたちの約1/3の40万人、1学年にすると2万7千人が25年間で消えてしまう勘定だ。1学年2クラス・30人学級の小学校なら450校が廃校になってしまう。それも遠い将来のことではない。あと僅か25年で現実化する確実な未来予測なのである。

  高度経済成長時代は、まさに「大都市圏膨張」の時代だった。大阪市を中心とする50キロ圏(西は明石市、東は大津市辺りまで)人口は、1960年当時は1034万人だったのが、10年間で331万人、20年間で509万人も増加した。大阪府だけをとると60年当時は550万人だったが、10年間で211万人、20年間で297万人増えた。住宅公団(当時)をはじめとして各自治体も挙って団地開発・郊外開発に乗り出し、民間デベロッパーもこれに続いた。世は「開発ブーム」であり「行け行けドンドン」の時代だった。

  それが最近では様変わりもいいところだ。バブル経済が崩壊して以来、郊外の宅地開発・団地開発の波はパタリと止んだ。それも遠い郊外住宅地になればなるほどその傾向が顕著にあらわれている。もはや更地が売れないのは勿論だが、疎らに建っていた住宅にも空家が目立つようになってきたのである。沿道の商店が徐々に閉鎖され、医者もいなくなった。バス便が減って外出もままならない。こんな事実上「陸の孤島」ともいうべき郊外団地がだんだん発生してきている。いわば、団地の「立ち枯れ現象」といってもよい深刻な事態なのだ。高度経済成長時代にはまるで洪水のように氾濫した宅地化・団地化の「開発前線」がいま一斉に退き始め、洪水が退いた跡にはところどころに水溜りが残されるように郊外団地が周辺から孤立して取り残されているのである。

  このような事態は住民にとってはもちろん深刻だが、開発者側にとっても決して無視し得ない事態である。開発した宅地が売れなければ先行投資は無駄になるし、なによりも不良資産を抱えることになる。また人が住まない住宅地は災害に弱いし、最近では防犯上の問題もある。新聞広告やテレビでは「都心回帰」ブームを演出するコマーシャルが盛んだが、郊外の立ち枯れ現象には誰の視線も注がれていない。ここのところにメスを入れようというのが研究組織結成の動機だった。

  明らかに開発前線の伸びきった遠隔の郊外住宅地は地価の下落も著しく、いま存立の危機に直面している。人口減少時代の「大都市圏収縮期」において郊外住宅地は本当に衰退していくのだろうか。それとも「郊外型生活様式」ともいうべきライフスタイルが定着することによって、そこに成熟時代の新しいコミュニティが形成されるのだろうか。また開発に関わった自治体やデベロッパーは住宅地を維持するために何をなすべきか。今回の研究発表は、これらのテーマに関する5大学研究室のケーススタディである。自治体関係者やデベロッパー側からのコメントもある。興味のある方は連休中ですが自由に聞きに来て下さい。場所は京阪淀屋橋駅北側島ビル6階、「立命館大学アカデメイア」、日時は3月20日(日)午後1時から5時、資料代1000円です。