3月1日

  今年も3月となった。この季節になると、受験時代の「春はあけぼの」という清少納言の一節がよみがえる。しかし、春の訪れは一進一退だ。3月上旬に行われた昔の大学入試の頃には必ずといってもよいほど「ドカ雪」が降った。今年も荒れ模様の天候が続くらしい。

  そんな不安定状況の中で、昨28日の市町村合併をめぐる各紙の報道はショックだった。1999年4月から始まった「平成の大合併」によって、3229もあった全国の市町村が特例措置が終わる2006年3月末時点には6割弱の1896に減る見通しだというのである。しかし都道府県別の減少率をみると、広島県は86から24(72%減)、愛媛県は70から20(71%減)、長崎県は79から23(71%減)、大分県は58から18(69%減)、新潟県は112から35(69%減)に激減するというのだから中途半端な減り方ではない。中山間地域の過疎自治体が「根こそぎ大合併で消されていく」といっても過言ではないだろう。

  日本の市町村数は、市制町村制が公布された当時は71314町村だった。それが「明治の大合併」(1888年)で約1/5の15859市町村に減り、さらに戦後の「昭和の大合併」(1953年)で約1/4の4459市町村となった。そしてその後じりじりと減り続けて20世紀末(2000年)には約3/4の3229市町村まで減少していた。それが今回の「平成の大合併」によってまだ削減されるというのである。

  この前の災害シンポジウムでも述べたように、私は今回の市町村合併は過疎地域の切り捨て政策・棄民政策に他ならないと考えている。「均衡ある国土の総合開発」を掲げながら、その実、全国規模で過密過疎化を推進してきた全国総合開発計画の後始末を市町村合併で尻拭いしようというのだ。広大な中山間地域に点在する過疎自治体の役場・学校・保育所・幼稚園・保健所・病院・福祉施設など住民の生存・生活に不可欠な基盤施設を目先の「効率原理」のもとに統廃合し、「可住地域」を限定・縮小して行政コストを大幅に削減しようというのがその目的だ。そしてあくまでも現地に踏みとどまって住み続けようとする住民に対しては、「自己責任」の名のもとに自力で生きるしかない状態で事実上行政責任を放棄しようとするものだ。こんな憲法違反の非人道的な仕打ちがどうして許されるというのだろうか。

  国土の7割を占める中山間地域をこのような乱暴な市町村合併によって切り捨て無人化していくことは、これまで営々と広大な国土と自然資源を守りつづけてきた得難い守人・番人を失うことに他ならない。そのことによって日本の国土は将来の長きにわたって自然の荒廃と脅威に曝されるばかりか、地球温暖化防止の決め手になる森林資源や水資源の維持涵養の危機に直面することは必至なのだ。だからこそ、私たちはこのような「世紀の暴挙」を糾弾しなければならないし、また即刻止めさなければならないと思う。

  話を京都へ戻そう。京都府の場合は北部・中部を中心に44から32への統合が予定されており、すでに丹後半島6町が「京丹後市」として発足している。京都における市町村合併の顕著な特徴は、それが「京都オール与党体制」(自民・民主・公明3党が中核となり社民党も参加)によって強力に推進されていることだ。京都市長選挙と全く同一の政治構図が農村部の市町村合併においても展開されているのである。

  全国の市町村合併反対運動の中には、地元保守層の有力者が合併反対に立ち上がっている地域は数多くある。当然だろう。日米の多国籍資本エージェント(代理人)としての小泉構造改革路線は、もはや「草の根保守層」をこれまでのように必要としていないし、またそれを維持するために土建予算をバラマキする必要もないと考えているからだ。だからこそ、いま地方は容赦なく切り捨てられ、そのための手段として市町村合併が強行されているのである。このことに気付いた各地の保守層が自民党を離れ、批判的勢力として変身しつつあるのはそのためである。自治体問題研究所主催の「小さくても輝く村」をテーマにする合併問題シンポジウムに、全国から良心的な保守系首長が多数参加しているのもその表れだといえるし、2月27日の住民投票では「南セントレア市」と「中央アルプス市」の合併が白紙に戻ったのもその新しい展開だとみなせるだろう。「南セントレア市」の場合は、愛知県美浜町と南知多町の合併協議会が中部国際空港の愛称にちなんで市名を独断で提案したところ、その「国際化路線」の危うさを敏感に感じ取った住民が市名はもとより合併そのものを否定したのである。また長野県駒ヶ根市・飯島町・中川村の「中央アルプス市」の場合は、「世界的に通じる壮大な名称」のもとに提案した合併案が地元重視を求める住民投票で否定された。

  ところが、京都では草の根保守層がいまだに「オール与党体制」の中に強固に組み込まれている。その原因は、かっての蜷川民主府政時代の野党体験に基づき、野中広務氏に代表されるような旧来の利権型自民党ボスと構造改革路線の谷垣禎一氏(現財務大臣)との間に革新陣営には絶対に自治体を渡さないとの政治的妥協が成立しているためである。また多国籍資本の利益を代表する松下政経塾出身の「若手ネオコン民主党」がもともと市町村合併に大賛成なのはいうまでもない。かくして京都では、オール与党体制下の京都府主導のもとに市町村合併が推進され、各与党が一致結束して地元住民の合併反対運動に対決するという構図になっているのである。

  そのような政治状況のもとで対決の焦点になったのが、今回の大江町及び美山町の合併問題だった。大江町では福知山市との合併が、美山町では野中広務氏の実弟が町長として君臨している園部町との合併が世論を二分する一大政治イシューとして浮上した。しかしこの場合のオール与党体制側の戦略は、合併の是非をめぐる住民投票に絶対に持ち込ませないことだった。住民投票を求める直接請求署名を悉く議会で否決して事前に火種を消してしまう作戦に出たのである。そしてそれを突破するための住民側の次の行動提起である首長リコール運動や議会解散請求運動に対しては、問題を合併の是非を問う原理的な選択から首長や個々の議員にからまる地域的利害関係に逸らせることに成功した。台風災害時に行方がわからないという極め付きの大江町長が再選され、「日本一の田舎づくり」で知られる美山町で議会解散請求が実らなかった背景がそこにある。

  政治的対決が激しく政治構図が複雑に入り組んでいる京都では、合併問題ひとつを取って見てもまともな判断を貫くことは容易なことではない。政治課題であれ社会問題であれ、シングルイッシュー(単一の争点)で政治的勝利を収めることは不可能だ。地域社会を丸ごと包含するような戦略を構築し、その時々の情勢に合わせて政治的争点に仕立てる緻密な戦術が求められる所以である。